『対決(三)』


 拓飛タクヒセイが先へ進むと、引きずられてかすれた血痕が道標みちしるべのように奥へ続いていた。


 血痕が途切れた先には一人の男が倒れている。


「————オイオイ、アンタ大丈夫かいな⁉︎」


 斉が男の安否を確かめるが、拓飛は引き付けられるように通路の先を凝視している。


「貴様が凌拓飛リョウタクヒか。ようやく会えたな」


 皇帝を想起させる玉座に座りし男————黄志龍コウシリュウは昔馴染みの客人を迎えるような笑みを浮かべた。


 しかし、拓飛は不機嫌そうに、


「……てめえが、青龍派の掌門だな……⁉︎」

「いかにも」

龍悟リュウゴを斬ったのは、てめえか……!」

「あれしきの傷で貴様に一太刀すら浴びせられぬとは、我が息子ながら情けない事よ」

「てめえ……っ‼︎」


 赤眼に怒りの炎を宿らせて、拓飛が一歩踏み出した。


「威勢の良い事だが、貴様の目当てはであろう?」


 志龍は玉座の陰から何かを引きずり出した。


「————凰華オウカ‼︎」


 志龍の腕には捜し求めていた女がグッタリともたれ掛かり、その眼は固く閉じられていた。


「てめえ、凰華を放しやがれ!」

「何故だ? 娘を如何様いかようにしようとも、父であるワシの自由であろう」

「お、凰華が……てめえの娘だと……⁉︎ デタラメ抜かしてんじゃねえ!」

「信じずとも一向に構わんが、貴様はワシと口喧嘩をしに来たのか?」

「……上等だ、この野郎……!」


 拓飛が歩を進めると、凰華が身動みじろぎだした。


「うう……」

「凰華!」

「……拓飛……? ————拓飛!」


 凰華は拓飛の姿を認めると、大粒の涙を浮かべた。


「逃げて、拓飛! この男には勝てないわ!」

「余計な事を申すな」


 志龍は眼にも止まらぬ速さで、凰華の経穴ツボを封じた。凰華は身体の自由を奪われ、声も出せなくなってしまった。

 しかし、その眼は一心に愛する男を見つめ、『逃げろ』と雄弁に語っている。


「待ってろ、いま助けてやるからな」


 だが、拓飛はその声には耳を貸さず、更に玉座へ近づいていく。


「……待て、凌拓飛……」


 その時、通路に倒れていた男が拓飛の肩に手を掛けた。


「なんだ、てめえは?」

「俺は柳怜震リュウレイシン、龍悟の兄弟子あにでしだ」


 拓飛は少し驚いた表情を浮かべた。


「おめえが、柳怜震……」

「悪いが、順番を譲ってくれ……」

「ああ⁉︎ ふざけた事————」


 拓飛は一喝しかけたが、怜震の胸から絶えず血が溢れ出る様を見て押し止めた。続いて目線を上げたところ、何かの覚悟を決めているようなおとこ表情かおが見え、留め立てすることは出来なくなった。


「……分かった」

「すまんな……」


 怜震は拓飛の隣に並び、寂しそうに笑った。


「残念だ……。龍悟を倒したというお前ともいつか立ち合ってみたかった……」

「…………」

「勝手ついでにもう一つ、頼まれてくれないか……?」

「言ってみろ」

「白虎派の蘇熊将ソユウショウどのを知っているか……?」

「友達だ」

「それは良かった……。もし、お前がここを出られたら……蘇どのに伝えて欲しい事がある」

「ああ」


 怜震は眼を閉じて感謝の意を示すと、天を仰いだ。


「『今生で決着を付ける事が叶わず申し訳ない。柳めは、先に九泉で貴殿を待っている』と…………」

「……必ず、伝えてやる……!」


 拓飛が力強く答えると、怜震は槍を握り、下方へ穂先を向けた。


「師父、最期の稽古をつけていただきとう……ございます」

「……よかろう」


 志龍は凰華を玉座へ横たえ、壇上から広間の中央へ降り立った。


 怜震は志龍の前に進み、下段の構えから中段へ構え直すと、


「————参ります」


 言葉の終わりと共に怜震の槍が突き出された。


 

 ————それは致命的な傷を負ってなお、生涯最速とも言える突きだったが、どこにも永遠に届く事はなかった————。


 

「……さらばだ、怜震」


 志龍がつぶやき、剣を収めると同時に怜震の身体がかしぎ出す。


 再び胸に取り返しのつかない傷を穿うがたれ、崩れ落ちる怜震の脳裏に様々な想いが蘇ってきた。


 

 辛く厳しい修行の日々————

 初めて内功を授けられた喜び————

 血よりも濃い絆で結ばれた同門の士たち————

 愛する女の顔————

 好敵手と果たせなかった約束————


 そして、厳しくも優しかった師父ちちの姿————…………


 

 龍の師弟の対決を見届けた拓飛は動かなくなった怜震を抱え、広間の端へと運んだ。


 乱れた衣服と髪を整えてやると、床がえぐれるほど強く叩頭して、ゆっくりと立ち上がった。


「待てや、拓飛! あのオッチャンは、ホンマやばい————」


 斉は拓飛を止めようと遮るように前に立ったが、その表情を眼にすると思わず後ずさった。


 拓飛が無言で歩み寄ると、志龍は眉をひそめた。


「……なんだ、その眼は?」

「さあな、俺にもよく分からねえが……てめえは、てめえだけは許さねえ……‼︎」


 凄まじい形相で拓飛が構えを取った時、背後の壁面からピシリという音が聞こえたと思うと、次いでその一部が砂状と化し始めた。


「な、なんや⁉︎」


 斉が驚きの声を上げるのも無理はない。なんと砂と化しているのは、人ひとりが通れるほどの長方形の面積のみだったのである。それはまるで扉のようであった。


 流れ落ちる砂によって砂煙が上がる中、新たに作られた戸口から聞き覚えのある野太い声が聞こえてきた。


「————悪いなあ、小飛シャオフェイ。そいつの相手は、このオジサマに譲ってくれねえか?」


 男の声を耳にした志龍の表情が、にわかに変わった。

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