『華燭(四)』


 太鳳タイホウの屋敷を後にした拓飛タクヒは船着場へと足を運んだ。


 本土から乗って来た船の脇にはセイが立っており、拓飛の姿に気づくと手を振った。


「おーい、こっちや!」


 拓飛が歩み寄ると、斉が声を掛ける。


「お前の荷物とお馬さんたちは船に乗せておいたで」

「悪いな」

「お前の用は済んだんか?」

「……ああ」


 拓飛は低く返事をして船に顔を向けた。手前に朱子雀シュシジャクの姿が見えた。


 子雀は物憂げな表情で海の彼方を眺めている。間もなく拓飛の視線に気づいたが、その眼は氷のように冷たく、昨日までの愛くるしい笑顔はどこかへ消え去ってしまったようだった。


「……それでは参りましょうか。一度は客人として招き入れましたので責任を持って本土へお送りいたしますが、船が離れれば貴方あなたがたは二度とこの地を踏む事は出来ません」


 子雀はなんの感情も込めず言った。本土へ送り届けた後は、もはや客人として認知はしないと言外に示している。


 拓飛は子雀から笑顔を奪った事が心苦しかったが、どんなに弁明をしたところで、その事実を消す事は出来ないと思い黙って船へと乗り込んだ。


 先に乗り込んでいた斉が問いかけてくる。


「それで、本土へ戻ったらどないすんねん?」

「そうだな————」


 船から梯子はしごが外され、今にも出航かと思われたその時————、


「————待ってくれ!」


 聞き慣れた女の声に拓飛が振り返ると、船着場の先に褐色の美女が立っていた。


 ————将来を共にするはずだった女、朱燕児シュエンジである。


 燕児は船を呼び止めたきり何も語らなかったが、拓飛を見つめるその眼には無限の感情が込められているかのようだった。


 しばし二人が見つめ合った後、燕児はきびすを返して、砂浜の方へと走って行った。


「……すまねえ、ちょっと待っててくれ」


 拓飛は子雀に声を掛けると、軽功を使って燕児を追い掛けた。


 前を駆ける燕児の軽功は砂浜に足跡すら残らぬ見事なもので、拓飛がどんなに追い掛けても一向に距離が縮まらない。


 拓飛には、縮まらぬこの距離が二人の関係性を表しているように感じられた。


 その時突然、燕児がピタリと脚を止めた。拓飛もその数歩手前で止まる。


 しかし、燕児は背を向けたまま何も語らない。拓飛も口を開く事はなく、ただ時間だけが流れていく。


「…………拓飛……っ」


 長い沈黙の後、ようやく燕児が肩を震わせて口を開いた。


 拓飛は強いて笑みを浮かべると、肩をすくめた。


「わざわざ言わなくても分かってんよ。俺みてえなバケモンと一緒になっちまったら、おめえと朱雀派の名声が汚れちまうモンな」

「……違う……」

「だから、おめえが気に病む事なんかねえよ。元々、俺みてえなゴロツキにゃ縁のねえ話だったのさ」

「……そうじゃない……!」

「安心しろよ。きっと、おめえより強くて品行方正な野郎がどっかにいるさ」

「————そうじゃないんだッ!」


 拓飛の眼に、泣き腫らした女の顔が映った。燕児は両手で泣き顔を覆うと、絞り出すように話しだした。


「お前に落ち度なんて一つも無い。私が……お前に相応しくない……、私は卑怯で臆病な女なんだ……!」


 燕児に見限られていたものだと思っていた拓飛は、この告白に動揺を隠せない。


「ど、どういうこったよ、そりゃあ? そういやおめえ、この間もそんな事言ってやがったな……?」

「……凰華オウカは…………」

「えっ……⁉︎」

「————凰華は、お前を愛しているんだ!」


 燕児が顔を上げて言い放つと、拓飛の眼が見開かれた。


「凰華は……、私がお前に好意を持っていると知って自ら身を引いたんだ。私は早くからそれに気付いていたのに、凰華の本心をお前に告げなかった……!」

「なんで……言わなかったんだ……⁉︎」

「だから言っただろう、私は卑怯な女だと。言えば、お前が凰華を追い掛けると思った。私はお前を失う事が怖かったんだ……!」

「…………」


 拓飛は何も言い返せなかった。確かにあの時、凰華の本心を知っていたなら何を置いても追い掛けていただろう。


「……皮肉なものだな。以前私はお前に何人妻がいようと構わないと口にしたが、今は違う。お前が、私以外の女と見つめ合う様子を想像するだけで、胸が苦しくなってしまう」 

「…………」

「私は自分のために凰華の気持ちを利用したんだ。この先、お前と一緒になっても幸せになどなれない……いや、なってはいけない。凰華に顔向けが出来ない……!」


 潮騒の音だけが若い男女を包み込み、永遠とも思える時が流れた。


「————拓飛」


 再び顔を上げた燕児の顔は涙の跡が乾いていた。


「身勝手な頼みだが、凰華を捜してあげてくれないか」

「……ああ」

「ありがとう」

「おめえは、これからどうすんだ?」

「以前と同じさ。もう誰にも負けるつもりは無い」


 そう話す燕児は、どこか吹っ切れたようであった。


「……そうか。それじゃあ、元気でな」


 別れの言葉を言い残して拓飛が船に戻ろうとした時、赤い影が眼の前を通り過ぎた。


 

 ———— 再見了さようなら————


 

 二度目の口づけは、別れの味がした————。


 


 拓飛が船に戻る頃には陽が暮れようとしていた。


「……もう、ええんか?」

「ああ」


 船に飛び乗った拓飛に斉が声を掛けると、船が本土へ向けて出航した。


 船は夜通し波を掻き分けて進んでいたが、誰も口を開く事はなかった。


 


 ————翌朝、船が本土に着岸した。


「じゃあな子雀。世話になったな、おめえも元気でな」


 拓飛が声を掛けるが、子雀は顔を背けたまま返事もない。それ以上なにも言わずに拓飛は焔星エンセイを引き連れて再び本土の土を踏んだ。


「————リョウさま!」


 振り返ると、子雀が船のへりに立ち、大きな眼いっぱいに涙を溜めている。


「燕児姉さまの名誉を守っていただき、ありがとうございました……! きっと、師父も感謝していると思います!」


 子雀は深々と頭を下げた。拓飛はニッと白い牙を見せると、


「はあ? なんのこったか分かんねえな。俺は天下のゴロツキ、凌拓飛さまだぜ! 行くぞ、斉!」


 手綱を引いて斉と共に駆け出した。


 子雀はその姿が見えなくなっても、しばらくの間、頭を下げ続けていた————。


 ———— 第二十八章に続く ————

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