『華燭(三)』
屋敷の中に入っても、やはり門人どころか使用人の姿すら無かったが、拓飛は掌門の間へ進んで扉に手を掛けた。
扉を開くと、太鳳の姿が眼に飛び込んで来た。
前回は後ろ向きで宙に浮いていたが、今回は大きな
つい先ほどまで紅霞山荘の大広間に居たはずであるが、まるで客の来訪を察知していたかのようだ。
その口元にはうっすらと笑みが浮かんでいたが、瞳の奥には怒気が含まれているように拓飛には見えた。
娘の結婚が直前で破談になり、他派へ大いに恥を晒したとなれば、胸中に憤怒の感情が渦巻いているのも無理からぬ事であろう。
しかし、拓飛は
「————止まれ、何用だい」
ようやく太鳳が口を開いたが、その言葉からは感情が読み取れない。
拓飛は言われた通り太鳳の三丈ほど前で足を止めたが、
「アンタに訊きてえ事がある」
「おや? 結婚式が無事終わるまでは、たとえ死んでも教えないと言わなかったかねえ」
太鳳はわざとらしく顔を逸らすと、口を真一文字にキリリと結んだ。これ以上一言一句とも発さぬ構えである。
拓飛はその反応を予想していたかのようにうなずくと、
「分かってんよ。もうアンタに、この左腕の事を訊くつもりはねえ」
「それじゃあ何を訊こうってんだい? 私はお前の顔も、もう見たくないんだがねえ」
取り付く島も無い様子だったが、拓飛は黙って懐に手を差し入れた。
「訊きてえ事ってのは、
拓飛が懐から取り出したモノを掲げると、それを横眼で見た太鳳の表情が驚愕の色に染まった。
「————それは…………‼︎」
————差し出された拓飛の手のひらには、
「……やっぱコイツを知ってるようだな」
「何故……、お前がそれを持っている……⁉︎」
「訊いてんのは俺だ。アンタが答えてくれりゃ、俺も教えてやるよ」
拓飛はその場に
「……以前、話しただろう。それは駆け落ちした私の
「————
拓飛の口から妹弟子の名が発せられると、太鳳の眼が見開かれる。
「何故、その名を————……そうか、あの乳母から聞いたんだね?」
「ああ、そうだ。あのバアさんはコイツを見た途端、今のアンタと同じように驚いて凰珠って名をつぶやいたのさ。それっきりオイオイ泣いちまって、何も聞き出せなくなっちまったがな」
太鳳は在りし日を思い出しているのか、顔を空へ向けた。
「……その髪飾りは凰珠が幼い頃、師父に隠れて作った物だ。いつか自分と添い遂げる男が現れた時に誓いの証として『鳳』を渡し、自らは『凰』を持つのだと言っていた」
ここまで話すと、太鳳はゆっくりと顔を下げて拓飛へと向けた。
「————それを、どうしてお前が持っている……‼︎」
突如、凄まじい氣の奔流が掌門の間に立ち込め、拓飛は押し潰されるような圧迫感を全身に受けた。
しかし、拓飛はあくまでも平静を装い、
「コイツは
「……石、凰華……だと……?」
太鳳はその名に心当たりが無いようで、何度もブツブツとつぶやいている。
「……その女、歳はいくつだい?」
「今年で十八っつってたな」
「十八……、歳頃は合っている……。だが、石だと……? 石……そんなはずは…………」
「凰華はコイツを母親の形見だと言っていた。アンタの妹弟子は
拓飛は半ば答えが分かっている質問を投げかけた。
「違う…………」
「…………それじゃあ、男は
これは凰華の出生に関わる事で、みだりに首を突っ込むような事ではないのかも知れない。しかし、拓飛は何故かどうしても聞きたくなったのである。
「…………凰珠、どうして、お前は……凰珠、凰華……? 石……セキ……オウカ…………」
だが、太鳳は気が触れたかのように再びブツブツとひとりごちて、拓飛が何を言っても反応しなくなってしまった。
その様子を見た拓飛はため息を漏らし、無言で叩頭すると屋敷を後にした。
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