『華燭(三)』


 セイと別れた拓飛タクヒは再び絶壁を登り、岩山の頂上に足を踏み入れた。


 朱太鳳シュタイホウの屋敷はまたも門が開かれていたが、人の気配は無くガランとしている。構わず拓飛は無言でズカズカと侵入して行く。


 屋敷の中に入っても、やはり門人どころか使用人の姿すら無かったが、拓飛は掌門の間へ進んで扉に手を掛けた。


 扉を開くと、太鳳の姿が眼に飛び込んで来た。


 前回は後ろ向きで宙に浮いていたが、今回は大きな紫檀したんの椅子に座り、こちらを真っ直ぐに見据えている。

 つい先ほどまで紅霞山荘の大広間に居たはずであるが、まるで客の来訪を察知していたかのようだ。


 その口元にはうっすらと笑みが浮かんでいたが、瞳の奥には怒気が含まれているように拓飛には見えた。


 娘の結婚が直前で破談になり、他派へ大いに恥を晒したとなれば、胸中に憤怒の感情が渦巻いているのも無理からぬ事であろう。


 しかし、拓飛は気圧けおされる様子もなく、悠然と太鳳へ近づいていく。


「————止まれ、何用だい」


 ようやく太鳳が口を開いたが、その言葉からは感情が読み取れない。


 拓飛は言われた通り太鳳の三丈ほど前で足を止めたが、ひざまずくでもなく突っ立ったまま話し掛ける。


「アンタに訊きてえ事がある」

「おや? 結婚式が無事終わるまでは、たとえ死んでも教えないと言わなかったかねえ」


 太鳳はわざとらしく顔を逸らすと、口を真一文字にキリリと結んだ。これ以上一言一句とも発さぬ構えである。


 拓飛はその反応を予想していたかのようにうなずくと、


「分かってんよ。もうアンタに、この左腕の事を訊くつもりはねえ」

「それじゃあ何を訊こうってんだい? 私はお前の顔も、もう見たくないんだがねえ」


 取り付く島も無い様子だったが、拓飛は黙って懐に手を差し入れた。


「訊きてえ事ってのは、の事だ」


 拓飛が懐から取り出したモノを掲げると、それを横眼で見た太鳳の表情が驚愕の色に染まった。


「————それは…………‼︎」


 

 ————差し出された拓飛の手のひらには、凰華オウカから贈られたほうの髪飾りがあった。


 

「……やっぱコイツを知ってるようだな」

「何故……、お前がそれを持っている……⁉︎」

「訊いてんのは俺だ。アンタが答えてくれりゃ、俺も教えてやるよ」


 拓飛はその場に胡座あぐらをかくと、腕を組んで太鳳の返答を待った。太鳳はしばし逡巡した後、ようやく口を開いた。


「……以前、話しただろう。それは駆け落ちした私の妹弟子いもうとでしが作った物だ」

「————朱凰珠シュオウジュだな?」


 拓飛の口から妹弟子の名が発せられると、太鳳の眼が見開かれる。


「何故、その名を————……そうか、あの乳母から聞いたんだね?」

「ああ、そうだ。あのバアさんはコイツを見た途端、今のアンタと同じように驚いて凰珠って名をつぶやいたのさ。それっきりオイオイ泣いちまって、何も聞き出せなくなっちまったがな」


 太鳳は在りし日を思い出しているのか、顔を空へ向けた。


「……その髪飾りは凰珠が幼い頃、師父に隠れて作った物だ。いつか自分と添い遂げる男が現れた時に誓いの証として『鳳』を渡し、自らは『凰』を持つのだと言っていた」


 ここまで話すと、太鳳はゆっくりと顔を下げて拓飛へと向けた。


「————それを、どうしてお前が持っている……‼︎」


 突如、凄まじい氣の奔流が掌門の間に立ち込め、拓飛は押し潰されるような圧迫感を全身に受けた。


 しかし、拓飛はあくまでも平静を装い、


「コイツは石凰華セキオウカっつう女から貰ったモンだ。『凰』の方は、その女が持ってる」

「……石、凰華……だと……?」


 太鳳はその名に心当たりが無いようで、何度もブツブツとつぶやいている。


「……その女、歳はいくつだい?」

「今年で十八っつってたな」

「十八……、歳頃は合っている……。だが、石だと……? 石……そんなはずは…………」

「凰華はコイツを母親の形見だと言っていた。アンタの妹弟子は石桐仁セキトウジンってオッサンと駆け落ちしたのか?」


 拓飛は半ば答えが分かっている質問を投げかけた。


「違う…………」

「…………それじゃあ、男は何処どこのどいつなんだ?」


 これは凰華の出生に関わる事で、みだりに首を突っ込むような事ではないのかも知れない。しかし、拓飛は何故かどうしても聞きたくなったのである。


「…………凰珠、どうして、お前は……凰珠、凰華……? 石……セキ……オウカ…………」


 だが、太鳳は気が触れたかのように再びブツブツとひとりごちて、拓飛が何を言っても反応しなくなってしまった。


 その様子を見た拓飛はため息を漏らし、無言で叩頭すると屋敷を後にした。

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