『華燭(二)』

 ————一週間後、凌拓飛リョウタクヒ朱燕児シュエンジの結婚式の日が訪れた。天候は晴天に恵まれ、絶好の婚礼日和と言えよう。


「いやあ、馬子にも衣装っちゅうヤツやな!」

「……うるせえよ」


 新郎の待合室で真紅の婚礼服に身を包んだ拓飛の姿を見て、セイがウンウンとうなずいた。


 前日、子雀シジャクに渡されたそれは、金糸で緻密な龍の刺繍が施された一品で袖丈から身幅、着丈まで拓飛の身体にピッタリであった。

 いつもはボサボサのまま無造作に束ねられた真っ白な髪も綺麗に結われており、凶悪な面構えを除けば、花嫁の到着を今か今かと待ちわびる若旦那のようである。


「子雀のヤツ、大したモンだな。『龍』の刺繍ってのが、ちと気に入らねえが」

「こういう時は龍の刺繍て相場が決まっとんねん。作ってもらっといて文句言うたらアカン」

「わ、分かってんよ……」


 珍しく斉にたしなめられ、拓飛は素直に引き下がった。


「しかし、せっかくの晴れの日にホンマに親族を呼ばへんで良かったんか?」

「親族ったって身内はジジイ一人だけだしな。歳も食ってるし、ここまで来るのはシンドイだろ」

「さよけ、ほなワイが一肌脱いだるわ!」


 斉は新しく着替えた服の胸を打った。


「はあ?」

「友達のおらへんお前のために、この斉さまが新郎の付き添いをしたるって言うてんねや」

「おい、馬鹿にすんな。友達なら白虎派に一人いるぞ」

「ほな、ワイで二人目っちゅうワケやな」

「へっ、ぬかしやがれ。誰がてめえなんか」


 言葉とは裏腹に拓飛が笑みを漏らすと、結婚式の開始を知らせる号砲が鳴り響いた。


「時間やな。ほな行きましょか、新郎どの」


 


 紅霞山荘の大広間には赤い布で装飾された祭壇が設けられ、赤い蝋燭が煌々とゆらめいている。祭壇のかたわらには各門派からの贈り物が並んでおり、その中には白虎派や玄武派の物もあったが、青龍派の名は見当たらない。


 参列者は朱雀派の重鎮と思しき者が数十人と、新婦の縁者の席には掌門の朱太鳳シュタイホウの姿も見えた。


 進行役の式辞が読み上げられると、斉に付き添われた拓飛が姿を現した。次いで心地よい笛の音と共に、子雀と七人の若い門人に付き添われた新婦がしずしずと大広間へ入って来た。


 新婦は鳳凰が鮮やかに刺繍された真っ赤な花嫁衣装を纏い、紅巾で覆われて顔は見えないが、背格好から燕児に他ならない。


 新郎が左に立ち、新婦が右に揃うと、進行役が声を張り上げた。


「————天に拝礼!」


 拓飛は言われるままに中庭に向かってひざまずいて叩頭し、燕児もそれに続いた。


「————地に拝礼!」


 拓飛と燕児は向き直って、今度は広間の奥へ向かって叩頭した。


「————掌門に拝礼!」


 次は太鳳に向けて叩頭する。太鳳は笑みを浮かべてこれを受けた。


「————夫妻の拝礼!」


 最後は新郎新婦が互いに向かい合って、お互いを拝礼する事で夫婦となるのである。


 拓飛は立ち上がり、燕児に向き直って膝を突こうとしたが、燕児はうつむいて立ちすくんだまま跪こうとしない。見れば、肩が小刻みに震えている。参列した誰もが、新婦は感激のあまり身を震わせているのだと思った。


 しかし、何かを感じ取った拓飛は燕児の顔を覆う紅巾に手を伸ばした。この紅巾は床入りの前に初めて取られる物なのだが、礼儀作法に頓着の無い拓飛には何の障壁にもならなかった。


 

 ————何かがポタリと音を立てて、赤い絨毯じゅうたんに染みを作った。


 

 あらわになった燕児の双眸からは滂沱ぼうだの涙が流れていた。一粒流れ落ちた涙はせきを切ったように次々と足元の絨毯を濡らしていった。


 参列者は当初、新婦は感激の涙を流しているのだと思っていたが、次第に新婦の様子がおかしい事に気付き出し、大広間がざわめき出した。


「燕児……?」


 拓飛が不可解な表情で呼び掛けると、燕児はゆっくりと顔を上げて、


「……拓飛……っ!」


 絞り出すように瞳の中の男の名を呼ぶが、続く言葉がどうしても喉から先へ出てこない。何度も口を開け閉めした後に、ようやく低く小さくその言葉が発せられた。


 

 ————あなたとは……、結婚できない————


 

 燕児は痛む胸を押さえるようにして一言だけ言い残すと、顔を覆って広間を飛び出して行ってしまった。


 成婚の直前に新婦が飛び出して行くという突然の事態に、誰も新婦を追いかける者はなく、新郎は呆然として立ち尽くしている。広間には先ほどとは比べ物にならないほどの喧騒が立ちこめた。


 燕児から発せられた別れの言葉はとてもか細いもので参列者のざわめきも相まり、正確に聞き取れた者は、眼前で向かい合っていた拓飛の他には、もう一人の女だけであった。


 大広間を包む喧騒が頂点に達した時、


「————ハッハッハッハッハッハ‼︎」


 大量の氣が込められた男の嘲笑が、ざわめきを消し飛ばし、広間には笑い声が幾重にも反響した。内功に劣る若い門人などは、あまりの衝撃に耳を塞ぎその場に崩れ落ちる者もいるほどであった。


 どれほど時間が経っただろうか、ようやく笑い声が消え去ると、声のぬし————拓飛が再び口を開いた。


「……やっぱ駄目だわな。この凌拓飛さまが、一人の女なんかに縛られるなんてよお」


 この言葉に朱雀派の女たちが血相を変えた。しかし、拓飛はそれに気付く風でもなく続ける。


「しかもあの女、全然しゃべらねえし、人形みてえに澄ました顔しやがって、つまんねえんだよなあ。女ってのは誰にでも愛嬌振りまいて、ピーチクパーチクさえずってりゃいいんだよ」


 ここまで言うと、拓飛はおもむろに着ている婚礼服に手を掛け乱暴に脱ぎ出した。

 脱いだ服を振り上げたその時、群衆の中の子雀と思わず眼が合った。子雀は両手を胸の上に添えて悲痛な表情を浮かべている。よく見れば、白魚のように滑らかだった指先がカサカサと荒れているのが分かった。


 この婚礼服を作るためにどれほど精魂込めてくれたのだろうかと思うと、拓飛は胸がズキリと痛んだが、歯を食いしばって床に叩きつけた。


「いいか、てめえら、よっく聞きやがれ! この凌拓飛さまは婚礼の儀を土壇場で反故ほごにするなんて屁でもねえ最低のゴロツキだが、朱燕児は清い身体のままだ! てめえらのよく回る舌で神州中に触れ回っとけ‼︎」


 言うだけ言うと拓飛は満足したようにゲラゲラ笑いながら、大股で広間を出て行った。


 残された朱雀派の門人たちは皆一様に殺気を帯びた眼光を薄情な男の背に向けていたが、祝いの席を血で汚す訳にもいかず、拳を固く握りしめるのみであった。


 子雀は微動だにしない群衆の中から歩み出ると、震える手で拓飛が脱ぎ捨てた婚礼服を手に取った。清らかな雫が刺繍の上に落ちて、それはまるで龍が悲しみの涙を流しているかのようであった。


 


「————待てや、拓飛!」


 廊下を歩く拓飛を、斉が呼び止めた。


 振り返ったその顔には何の表情も浮かんでいない。斉は拓飛の横に並ぶと、


「……男は女にフラれた数だけ強くなんねん」


 拓飛の肩をポンと叩いて、それ以上何も言わなくなった。拓飛は無言でうなずき、笑みをもってこれに応える。


 しばしの沈黙の後、拓飛が口を開いた。


「俺はこの島を出る。おめえはどうする?」


 斉は少し考え込むと、


「せやなあ。ここのメシも悪ないけど、そろそろ本土のメシが食いたなってきた事やし、ワイも帰ろかな」

「そうか。そんじゃ、ちっと頼まれてくれねえか?」

「ええで。今日は友達想いの斉さまが何でも聞いたるわ」


 斉は飛びきりの笑顔を見せて胸を叩いた。


焔星エンセイ桃花トウカを連れて船着場で待っててくれ。俺は島を出る前に行くトコがある」

「任しとき。なんとか子雀ちゃんにでも船を出してくれるよう頼んでみるわ」

「……ありがとな」


 拓飛は礼を言うと、走って行った。


「……明日、槍でも降るんちゃうやろな……?」


 残された斉は、唖然とした表情でつぶやいた。

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