第二十七章

『華燭(一)』

 朱雀派は馬月うまづき二十日の吉日に、門人の朱燕児シュエンジと若き侠客の凌拓飛リョウタクヒが婚礼の儀を執り行うと各門派に通達した。

 これは拓飛の討伐を要請してきた青龍派に対する断りの返事に他ならない。


 


 紅霞山荘の中庭では黙々と套路を行う拓飛の姿があった。その様子を、縁側で猫のように寝そべり日向ぼっこをしながらセイが眺めていた。


「なあ、拓飛ぃ」

「あ? なんだ?」


 拓飛は手を止める事なく返事をする。


「ほいで、燕児ちゃんのオカンはお前の腕の正体を教えてくれたんか?」


 この質問にはピタリと拓飛の動きが止まった。


「……式が無事終わるまでは、たとえ殺されても教えねえだとよ。あのババ——オバさん」


 いつもの悪態が口をいて出そうになったが、相手はこれから自分の義母ははになろうかという人間である。喉元まで出かかっていた言葉を拓飛はグッと堪えた。


「ええやん、ええやん。ちゅう事は何か知ってはるて事やんか。一歩前進やな」

「へっ、どうだかな」


 拓飛は吐き捨てるように言ったが、その声はどこか嬉しそうであった。


「……しかしアレやな、結婚式を一週間後に控えた男が、やる事が鍛錬て。普通そんなんでけへんで?」

「しゃあねえだろ。他にやる事がねえんだからよ」

「いやいや、他にナンボでもやらなアカン事があるはずやろ」

「やらねえといけねえ事? そんなモン何があるよ?」


 拓飛がキョトンとすると、斉は呆れた表情を浮かべた。


「いや、あるやろ。結婚式の段取りとか知ってんのけ、自分?」

「舐めんなよ、コラ。それぐれえ知ってるわ。まず天に拝礼してからの地に拝礼だろ?」

「それからどないすんねん?」

「そ、それから後は……」


 斉がニヤニヤしながら言うと、拓飛が口ごもり始める。


「拝礼が終わったら、お床入りや。やり方が分からへんねやったら、ワイが教えたろか?」

「————いらねえよっ! ……つ、つーか、おめえこそ朱雀派の女をブッ倒すのはやめたのかよ?」


 分かりやすく拓飛が話題を変えると、斉は気の抜けたような顔になった。


「……なんやもう飽きてもうた。ナンボやっても『浸透勁しんとうけい』が打てへんし」

「打ち方なら教えてやっただろうが」


 この言葉に、ガバッと斉が跳ね起きた。


「————いや、『身体を水のようにして打つ』て意味が分からへんねんて!」

「はあ? 何が分からねえんだよ?」

「全部や、ゼンブ! なんちゅうか、もうちょい具体的に教えてくれや! 呼吸法とか氣の込め方とか色々あるやろ!」


 興奮した斉は必死の形相で懇願した。


「んなモンねえよ。俺もさっきの口伝をガクのオッサンに教わっただけだ。大体おめえ、他人様ひとさまから盗んだ秘伝書で内功を会得したんだろ? 自分てめえでなんとかしろよ」

「カーッ! 使えへん師弟もあったモンやな。ワイが見た秘伝書は注釈がビッシリ書いてあって、ご丁寧に図解まで記してあったんや!」

「そうか、それじゃあ力になれねえな」


 素っ気なく拓飛が言うと、背後から女の声が聞こえてきた。


リョウさま」


 声のぬし子雀シジャクであった。


「おう、どうした?」

「はい、稽古中に申し訳ありませんが、お身体の寸法を測らせていただけないでしょうか?」

「寸法? んなモン測って、どうすんだよ?」

「鈍いやっちゃな、お前の晴れ着をこしらえんねやろ」

「はい、腕によりを掛けさせていただきますわ」


 子雀は巻尺を取り出し、拓飛の身体を採寸していく。


「子雀、その……燕児はどうしてる……?」


 拓飛が照れ臭そうに尋ねると、子雀はクスクスと笑みを漏らした。


「燕児姉さまは、お身体をお清めなさっておりますわ。残念ですが、式までお顔を合わせる事は出来ません」

「お、おう、そうか」

「姉さまの花嫁衣装も今、鋭意制作中ですわ。楽しみになさっていて下さいね」


 玉のような笑顔を残して、子雀は戻って行った。その背を見送りながら、斉がつぶやく。


「あの子も、お姉さまの門出が嬉しいんやろうなあ」

「ああ」


 斉の言葉に拓飛が同意したその時、子雀と入れ違いで一人の老婆が中庭へ入って来た。


「お二人とも、昼餉ひるげの用意が出来ましたよ」

「待ってましたやで!」


 昼食と聞いた斉は手を叩いて、一目散に食堂へ飛んで行った。


「チッ、あの猿。動いてねえクセに、一丁前に食い意地だけは張ってやがるな」


 斉に対しては遠慮なく毒づきながら、拓飛は汗を拭うために手拭いに手を掛けた。


「凌さま、私が拭って差し上げましょう」

「おう、悪いな、バアさん」


 この老婆————シュばあやは、紅霞山荘で拓飛たちの世話を申し付けられた女中で武術の心得はない。世話役には若い女を所望した斉は文句を垂れていたが、若い女が苦手な拓飛は却って気を遣う事もなく、すっかりと打ち解けていた。


 拓飛から手拭いを受け取った朱ばあやは、孫に接するように優しく拓飛の背を拭い出す。


「……懐かしいですねえ。燕児さまが幼い頃にも、こうして汗を拭って差し上げたものです」

「何だ、バアさん、燕児の世話をしてたのか?」

「ええ。僭越ながら、燕児さまのお母さまのお世話もさせていただいておりましたよ」

「へえ、そうなのか」


 関心したように拓飛が言うと、朱ばあやの声が震え出した。


「……凌さま、どうか燕児さまを幸せになさって下さいね……!」

「お、おう、任せとけ」


 拓飛が振り向いたその時、服の隠しからある物がポトリと落ちた。


「————こ、これは…………‼︎」


 それを眼にした朱ばあやの顔が、驚愕に染まった。

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