第二十五章

『紅霞島(一)』

 朱雀派の門人、朱子雀シュシジャクに案内された先には、船体の所々に朱塗りが施された船が停泊していた。帆には生き生きとした朱雀が描かれており、今にも飛び出しそうな雰囲気である。


「ええやん、ええやん。なかなか立派な船やんか。ワイ気に入ったで」

「ふふ、さあ皆様。お乗りになってください」


 子雀に促され、拓飛タクヒたちは焔星エンセイ桃花トウカを引き連れ乗船する。


 船内には数人の女性がいたが、佇まいなどを見るに内功の心得は無さそうである。


「なんだ、全員が内功を使えるワケじゃねえのか」

「ああ、彼女たちは船を操る乗組員で武術の心得は無い。島にも素人の使用人が数十人ほどいるんだ」

「へーえ……」


 拓飛が拍子抜けしたように言うと、燕児エンジが丁寧に答えた。


「今夜はこちらに留まり、明朝出発いたします。よろしければ夕食をご馳走させていただきますわ」

「待ってましたで!」


 夕食と聞いたセイは一目散に船室に飛び込んだ。


 


 夕食を食べ終えた拓飛と斉は船倉に腰を下ろした。


「災難やったなあ、拓飛!」

「全くだぜ。あの子雀ってガキ、マジの雀みてえにピーチクパーチクとうるせえったらねえ……」


 愉快そうな斉とは対照的に、拓飛は悪態をついた。


 夕食の間中、子雀がしきりに拓飛に話しかけてきたのである。あまりのしつこさに辟易していた拓飛だったが、さすがに十四、五歳の小娘に怒鳴り散らす訳にもいかず、おざなりな相槌に終始して食事の味など何も分からなかった。


「許したりぃな。燕児お姉さまに勝った男に興味津々なんやろ」

「はあー……、島に着いてもこんな感じだったら、やってらんねえぜ……」

「世の中には、女の子に構ってもらいたぁてもサッパリ相手にされへんヤツもおんねん。話しかけてもらえてる内が華っちゅうモンやで」

「フン、俺は別に……」


 拓飛が面倒臭そうに言うと、突然斉が真顔になった。


「————『たった一人の女でええ』か……?」

「ああ⁉︎」


 拓飛に睨まれた斉は布団を頭からかぶり、


「おお怖! 怖いから、ワイ寝る」


 程なくすると、本当に寝入ってしまった。


「チッ、クソ猿が……」


 拓飛も横になり眼をつむるが、何故か気持ちが落ち着かず、なかなか眠る事が出来ない。眠ろうとすればするほど、人は雑念の沼に足を踏み入れ、その深みへと沈み込んでいく。


 その時、船倉の扉がゆっくりと開き、女がひとり入ってきた。


 

 ————憂い顔の燕児である。


 

「燕児、てめえはまた性懲りもなく……!」

「拓飛……」


 拓飛は悪態をつきかけるが、燕児の様子は以前とは違っていた。


「……どうした……?」

「拓飛、私は……っ」


 思いつめた表情で、燕児は必死に何かを絞り出そうとしている。


「……なんでも無い、よく眠ってくれ……」

「お、おう……?」


 しかし、燕児は何も言わずに船倉を出て行ってしまった。


「いったい、なんやったん?」

「てめえ、起きてたのかよ」


 声に振り向くと、斉が頭の後ろで腕を組みニヤついている。


「おもろいモンが見える思てたんやけど、拍子抜けやったな」

「ワケが分からねえ……」


 拓飛は呆れた表情で首を捻った。


 


 翌朝、日の出と共に船は紅霞島こうかとうへ向けて出航した。


 深夜にようやく眠りにつけた拓飛は依然として眠りこけている。


「子雀ちゃん、どんくらいで島に着くん?」

「一刻もあれば着きますわ」

「おおきに! 楽しみやなあ」


 斉は舳先に立ち、目の前に広がる洋洋たる大海原を眺め見た。船は帆いっぱいに風を受け真っ直ぐに淀みなく航行しているが、脇に眼をやると、海面が波立ち海流が幾重にも渦巻いているように見える。


 その時、遠くの方で小さな船が同じ方向に向かって、波に揺られているのが見えた。


「燕児ちゃん、あの船も朱雀派のヤツやろか?」

「あれは違う。乗っているのは男だけだ」

「ワイも眼はええんやけど、この距離でよう見えるなあ。……ん? 男だけっちゅう事は————」


 再び斉が眼を向けると、男たちの船はみるみる内に海流に飲み込まれ転覆してしまった。


「なるほど、船頭がおらへんかったら、ああなるねんな」

「あらあら、この綺麗な海がまた汚れてしまいますわね」


 子雀は船が沈みゆく様を見ながらニコニコしている。


「ふあーあ、まだ着かねえのか?」


 まだまだ眠気が残っている様子で、大あくびをしながら拓飛が船倉から姿を現した。


「おはよう、島まではもう少しかかる」


 挨拶を返す燕児の眼の下には、うっすらとクマが見える。こちらも睡眠不足のようである。


「燕児、ところで朱雀派の掌門ってどんなヤツなんだ」

「私の母だ」

「何? そんな事おめえ、一言も言ってなかったじゃねえか」

「すまない、聞かれなかったので言わなかった」

「聞かれなかったって、おめえなあ……」


 呆れたように拓飛が言うと、


「ふふ、燕児姉さま、相変わらずですわね。よろしければ、私がお話いたしましょうか?」


 微笑みながら、子雀が助け舟を出した。


「頼む、子雀」

「はい、我が朱雀派の掌門は朱太鳳シュタイホウとおっしゃいまして、今は紅霞島で門人の育成をされておりますが、お若い頃は大陸で仙士せんしとして第一線でご活躍されていたと聞き及んでおりますわ」

「その掌門はんは別嬪なんか⁉︎」


 たまらず斉が横から口を挟んだ。


「もちろん燕児姉さまのお母さまでいらっしゃいますから、それは美人であらせられますとも」

「ええなあ。はよ、お会いしたいなあ……」


 子雀の言葉に斉は蕩然となった。


「んなこたぁ、どうでもいいんだよ。その掌門は妖怪の事について詳しいのか?」

「ええ、師父は大変博識でいらっしゃいますし、強い殿方がお好きですから、きっとリョウさまのお力になってくださいますわ」


 そう言うと子雀は燕児に意味深な笑みを向けた。しかし、燕児はさして反応も見せずに、


「見ろ、あれが我が朱雀派の総本山『紅霞島』だ」


 指差した先には、青々とした木々に覆われ、中心に大きなトンガリ山が顔を覗かせた孤島の姿があった。

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