『紅霞島(二)』
待たされる事が嫌いな
「いけませんわ、
「うっせえ、こいつらが運ぶのを待ってたら陽が暮れちまうだろ。オラ、
「おネエちゃんたちに重いモン持たせるワケにもいかへんし、しゃあないな」
二人は大部分の物資を持って船を降りて行った。その様子を見ながら、
「
「そうだね、私もそう思うよ」
子雀の言葉に同意すると、燕児は拓飛たちの後を追う。
船が停泊した砂浜の先には大陸のものとは別の種類の木々が密生しており、匂いや空気感も違うものに感じられる。
「あっ、見てみい拓飛! あの虫、大陸のヤツとツノの形がちゃうで!」
斉が子供のように呼びかけるが、拓飛は取り合わず、
「燕児、コイツはどこまで運べばいいんだ?」
「もう少し歩けば、朱雀派の本拠『紅霞山荘』が見えてくる。すまないが、そこまで頑張ってくれ」
「そこに朱雀派の掌門も居るのか?」
「ああ」
「燕児ちゃんの別嬪はんのオカンやな? はよ、ご尊顔を拝見したいなあ!」
横から斉が口を挟んでくるが、やはり誰も取り合わなかった。
程なくすると開けた場所に出て、大きな岩山が姿を現した。島の外観から見えたトンガリ山である。燕児の言葉通り、岩山を背にするようにして建てられた立派な屋敷が見える。これが『紅霞山荘』であろう。
上を見上げれば、岩山の中腹や頂上付近にも建物が点在しており、まるで燕の巣のようである。
「ほえー、凄いなあ。あんなん、どないして建てたんやろ」
「燕が一本一本、丁寧に枯れ草を運んで巣を作るように、建築資材を少しずつ運び出し建てられたと聞き及んでおります」
だらしなく口を開けたまま斉が感想を述べると、子雀が説明する。
「そら、ごっつい大変やったやろなあ。ほいで誰が住んではるの?」
「あれは門人たちの住居ですわ。上にあるほど位が高いのです」
「つうこたぁ、掌門は頂上に居るってワケか?」
「その通りですわ、凌さま」
見れば、確かに頂上には一際大きな屋敷があった。
「二人とも、ありがとう。物資は山荘の入り口で下ろしてくれていい。私は師父に挨拶と来客を報告してくる。子雀、ひとまず拓飛たちに点心でも振る舞ってやってくれ」
燕児はそう言うと、軽氣功を用いて、岩山を登って行った。
「それでは、お二方、こちらへどうぞ」
子雀に案内され山荘に入ると、赤い衣装の女たちの姿があった。下は子雀よりも若い者から、上は四十代と思しき者もいる。
朱雀派の門人たちは拓飛と斉とすれ違うたびに、その顔に笑くぼを浮かべ、何やらヒソヒソ話を始める。中にはあからさまに秋波を送ってくる者もいて、拓飛は首筋に冷たいものが走った。
「ええなあ、ええなあ! まさにこの世の楽園やな!」
「どこがだよ、用件が済んだら早えトコおさらばしてえぜ……」
拓飛がゲンナリすると、斉が急に小声になった。
「……せやけど、燕児ちゃんほどの別嬪はんは今のところ見当たらへんな」
「それは当然ですわ。燕児姉さまは武芸も容貌も若弟子の中では群を抜いておりますもの」
耳ざとく聞きつけた子雀が得意そうに言う。
「そうかあ。でも、子雀ちゃんも五年……いや、三年後には負けず劣らずの別嬪はんになるわ。ワイが保証したる!」
「ふふ、ありがとうございます。それでは、こちらの部屋で少々お待ちください」
応接間に通されると、卓の上にはすでに茶と点心が用意されており、拓飛は無作法にむんずと掴むと口に放り込んだ。
「……なんや、この月餅の餡? 黄色うて甘酸っぱい。初めて食べた味やな」
「知るかよ、腹に入りゃあ何でも同じだ」
「それもそやな」
二人は瞬く間に平らげると、斉が立ち上がった。
「おい、どこ行くんだ? ここで待てって言われたろ」
人から舐められる事の次に待たされる事が嫌いな拓飛だったが、美味い菓子で腹が満たされた事もあって少し待つ事にした。
「ここで時間潰すのもなんやし、ワイ、おネエちゃんたちに挑戦してくるわ。全員に勝てたら、まさに酒池肉林てヤツやで……!」
人間、腹が満たされると、別の本能が首をもたげてくるものである。斉は細い眼をより一層細めて、意気揚々と部屋を出て行った。
「ケッ、助平猿が……」
悪態をつくと拓飛は、長椅子にゴロンと横になった。腹が膨れた事で眠気が襲って来たのである。少しだけのつもりで眼をつぶると、脳裏に
凰華は馬上に揺られており、その背では男が手綱を握っている。男の顔は影になっていて見えないが、凰華は輝くような笑顔を男に向けている。
それは愛する男を一心に見つめるようでいて、えも言われぬほど美しい。拓飛は顔の見えない男の正体が気になって仕方がない。突然、陽が刺し、男の顔を照らした。
————男は、
「————凰華!」
「キャッ!」
拓飛がガバッと起き上がると、扉のそばに子雀が驚いた様子で立っており、みるみる内にその表情が笑みを帯びてきた。
「凌さま、師父の謁見の準備が整いましてございます。掌門の間までお願いいたします」
子雀は
「お、おう、分かった……」
拓飛はバツが悪い様子で立ち上がると、部屋を出て行こうとする子雀を呼び止めた。
「おい、待て。……さっき、なんか聞こえたか?」
「いえ? 何も耳にしてはおりませんわ」
「そうか」
拓飛がホッとすると、子雀が振り返り、
「ご安心ください。ご妻女がいらっしゃっても問題ありませんわ」
「————やっぱ聞こえてんじゃねえか、クソガキッ!」
顔を真っ赤にして拓飛が怒鳴り上げると、子雀は猫に追われた雀のように、慌てて飛び去って行った。
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