第二十二章

『襲撃(一)』

 夜間に大騒ぎを起こした拓飛タクヒたちは、夜が明けると同時に足早に旅籠を後にした。


 この時間ではまだまちの茶館や食堂などは開いておらず、饅頭などの屋台の姿も見えない。

 それでも鎮中を探し回ると、鎮の外れに豆腐屋を兼ねたこじんまりとした食堂を見つけ、四人は席に着いた。


 ほどなくして、店のお婆さんが熱々の豆乳を運んでくる。


「大したものは出せないけど、これでも飲んでて少し待っててねえ」

「ありがとうございます」


 凰華オウカが笑顔で豆乳を受け取り、片方をセイに手渡した。


「はい、斉」

「おおきに、凰華ちゃん」


 斉が礼を言うと、燕児エンジが同じように拓飛に豆乳を手渡した。


「熱いぞ、拓飛」

「……ああ」


 うつむいたまま拓飛が返事をする。


 四人の若者はそれぞれ二組に分かれて卓に着いていた。卓は大きく四人同時に座れると言うのに。


「どうした、拓飛? 元気がないようだが」

「…………」


 燕児が尋ねると拓飛は無言で豆乳を飲み干し、ゆっくりと口を開いた。


「……いいか、燕児。昨夜みてえなマネは二度とすんじゃねえ」

「どうしてだ?」


 意外そうに燕児が訊き返す。


「どうしてって当たり前でしょ!」


 隣の卓から聞き耳を立てていた凰華が思わず声を上げた。


「どうして君が答えるんだ?」

「ど、どうしてって……とにかく、あんな事は宿の人に迷惑が掛かるから、絶対やっちゃダメなの! いいわね!」


 赤面しながら凰華が言い捨て、斉は漫才でも見るような様子で含み笑いを浮かべている。

 拓飛はコホンと軽く咳払いをして、再び燕児に顔を向けた。


「とにかく、俺は掟だの命令だの、おめえの気持ち無視ってのが気に入らねえ。もう一回言うが、昨夜みてえなマネしやがったら俺は姿を消すからな」

「私は嫌々従っている訳ではない。生まれた時からそれと決まっている事だからだ」

「それが気に入らねえってんだよ。大体俺の気持ちは無視ってもいいってのかよ?」


 燕児は少し悲しそうな表情になった。


「……私には女としての魅力が無いのだろうか……?」

「ああ? 急に何言ってんだ、おめえ?」

「男は金を払ってでも、女の肉体を欲しがるものなんだろう?」


 この言葉に凰華が口に含んでいた豆乳を吹き出した。


「私の母も言っていた。男は魅力的な女を前にすると、理性を保てなくなるものだと。お前が私の肉体を求めないという事は、私が魅力的では無いという事なんだろう……」


 シュンとなった燕児の表情はなんとも艶かしく、魅力的でなかろうはずが無い。そもそもかなりの美人である上に、手足がスラッと長く、出るべき所は大胆に主張しており、控えるべき所はキュッと締まっているのだ。


「い、いや、別にそんな事は……」


 拓飛がドギマギして慰めようとすると、隣の卓からの刺すような視線に気が付き、またしてもコホンと咳払いをした。


「————と、とにかく俺が言いてえのは、おめえはもうちょい自分の身体を大事にしろって事だ。いいな?」

「…………分かった」


 渋々と燕児が頷くと、凰華はホッとしたように息を吐き、拓飛の横顔を覗きこみ少し微笑んだ。


 その時、油条ヨウティアオや卵焼きなどが運ばれてきた。甘い豆乳にひたして食べると素朴な味ながらも絶品である。


「色っぽい話もええけど、今はいただきますしようや。せっかくの料理が冷めてまうで」


 言うなり、斉は鶏肉にかぶりついて三人が後に続いた。


 


「————ところで拓飛、お前の左腕なんだが、よければ事情を話してくれないか?」


 朝食を食べ終わった燕児が唐突に口を開く。拓飛は持っていた茶碗を置くと、左腕を恨めしそうに見つめた。


「……コイツはな————……」


 


 拓飛は十年前の事件後、成虎セイコに引き取られてから現在までの経緯と、西王母セイオウボに聞かされた『邪仙』の件を三人に話して聞かせた。敢えて小蛍ショウケイのくだりは省いたが、その気持ちを察した凰華は思わず目頭を熱くした。


「はあー……、妖怪の正体が邪仙いう奴らの成れの果てやて? ごっつい衝撃なんやけど。それにしても、なかなか強烈な人生歩んでんねんな、自分」

「ふむ……、白虎派掌門の話を信じるならば、その虎の妖怪に触発されて、拓飛の内の邪仙の遺伝子が目覚めたという事か……」


 斉と燕児が各々感想を述べる。


「つーワケで、俺はこの忌々しい左腕とオサラバするために旅してんだよ。そうすりゃ、おめえみてえなヤツにいちいち絡まれねえで済む」


 拓飛は少し意地悪そうに燕児に視線を送った。


「む……、あの時は済まなかった。しかし、言ってくれれば話くらいは聞いたぞ」


 珍しく燕児が口を尖らせる。


「てめえ、どの口が言ってんだ! 問答無用で襲い掛かって来たじゃねえか!」

「まあまあ、二人とも無事だったんだから良かったじゃない」


 慌てて凰華が取り成すと、


「詫びという訳じゃないが、良ければお前たちを我が朱雀派の総本山『紅霞島こうかとう』に案内しよう。掌門や長老ならば何か知っているかも知れない」

「————ホンマに⁉︎ ええのん⁉︎」


 拓飛が反応する前に、斉が眼を輝かせながら立ち上がった。


「ちょ、ちょっと待って、斉。燕児さん、朱雀派って女性だけなんでしょ? 拓飛と斉が足を踏み入れてもいいの?」

「問題ない。朱雀派に男は入門出来ないというだけで、立ち入りを禁止している訳ではない。だが、紅霞島に入れば門人たちに次々と決闘を申し込まれるかも知れないな」


 これまた珍しく燕児は冗談めかして言った。


「言っとくが、てめえらのバカみてえな掟を知ったからには、誰に挑まれても俺は受けねえからな」

「ワイは『いつ、何時、誰とでも』やからな!」

「てめえはババアにでも挑まれてやがれ」

「青いなあ拓飛。ワイの守備範囲を甘くみたらアカンで」


 拓飛と斉が丁々発止のやりとりを続ける脇で、凰華は燕児にそっと耳打ちをする。


「あの、燕児さん。あたし白虎派の門人として、朱雀派の掌門の方にお話があるんだけど、その……取り次いでもらえたりしないかしら……?」

「構わないよ。きみの望み通りになるかは保証できないが、女弟子が相手なら話くらいは聞いてくれるだろう」

「ありがとう、燕児さん!」


 凰華は喜び、燕児の手を握りしめる。


「おーい、そろそろ行くぞ。凰華、いま小銭を切らしててよ。ここの支払い頼むぜ」

「うん、分かったわ」


 機嫌が直ったのか、凰華は普通に返事をした。


「支払いなら私が————」

「いいの、こんな早い時間に開けてもらったんだもん。あたしが払うわ」


 朱雀牌を取り出そうとする燕児を止めて、凰華は小銭を卓に置いた。


「優しいな、きみは」

「え、そうかな? でも燕児さんも優しいじゃない。拓飛をわざわざ総本山まで案内してくれるなんて」


 凰華が微笑みながら言うと、燕児は突然うつむいて、


「……拓飛のためなら、いくらでも力を貸したいと思う」


 小鳥が鳴くような声で呟くと、足早に店の外へ出て行ってしまった。


「…………え?」


 一人残された凰華の女の勘が、嵐の予感を告げていた。

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