『指南(二)』

 龍悟リュウゴは男の前に迫ると、のっけから青龍派の絶技を繰り出した。それは先刻のように怒りの感情によるものではなく、むしろ尊敬の念による所が大きい。


 最早、男を軽んじる気は微塵も無く、師父に全力をぶつける弟子のように龍悟は双剣を振るう。


「いやあ、ホント大したモンだぜ。俺がおめえさんくれえの頃より数段強えわ」


 男は嵐のような剣舞の中にあっても、まるでそよ風の中を散歩しているかのように話しかけてくる。


「素材は一級品、内功の素養も中々のモンだ。同世代でおめえさんに敵うヤツはいくらもいねえだろう」


 男は口々に龍悟を褒めそやすが、龍悟の剣は男の薄皮一枚どころか、衣服の端にすら触れられない。


「————だが、技が死んじまってるのはいただけねえ」


 この言葉に龍悟の剣がピタリと動きを止めた。


「……ご先輩、『技が死んでいる』とは、どういった意味でしょうか……⁉︎」

「そのままの意味だ。おめえさんの技には、一つも活きた技がねえ」

「……活きた、技……⁉︎」


 龍悟には男が何を言っているのかが、にわかには理解できない。技に『死んだ』だの『活きた』だのという概念があるのだろうか?


「分かんねえか? そうだな、口でああだこうだ言うより実践してみた方が早えだろう。『地龍排尾チリュウハイビ』を見せてみな」


 男が突然、青龍派の秘技の名を口にする。龍悟は驚きを隠せない。


「なぜ青龍派の技の名を……!」

「細けえ事はいいから、早くやってみろい」


 釈然としないものの龍悟は『地龍排尾』をその場で繰り出す。神速の三連突きで対手を仰け反らせ、返す刃で残った脚を切り裂く龍悟の得意技の一つである。今まで何度振るったか分からないほどだ。


 男は無言で技の帰結を見届けると、


「突きの前の踏み込みをもう半歩前にして、突きの角度をもうちょい上に向けてみな」

「は……?」

「いいから、やってみな」


 男の真剣な表情に、渋々言われた通りにしてみると、龍悟の眼が大きく見開かれた。その様子に男はうっすらと笑みを漏らす。


「どうでえ?」

「…………!」


 龍悟は驚きを禁じ得ない。なにしろ二手目の技の方が、妙に手に馴染んでしっくりと来たのである。まるで長年使い込まれた道具を手にしたように。


「よし、次は『天龍双角テンリュウソウカク』だ。普段よりも動きを大きく豪快にやってみろ。その次は『降龍陣雨コウリュウジンウ』、これは逆に型を小さく鋭くだ」


 男は矢継ぎ早に青龍派の技を言い放つ。しかし、龍悟はもう問い質す事なく言われた通りに技を繰り出した。


 不思議な事に、男に指摘された通りに技を振るうと、その全てが一点の淀みなく繰り出された。

 今まで何の疑問もなく師父に教えられた通りに振るってきた技の方が、却って違和感を生じてしまうほどに。


 龍悟は愕然として、その場に膝を突いた。


「……これは、何故……!」

「おめえさんの師父は技を仕込む時に、ちいとでも型を外れたら、その都度矯正してたんじゃねえか?」


 まるで稽古の様子を見てきたかのように男が言った。


「その通りです。我が師父は一寸の狂いも見逃しませんでした」

「俺に言わせりゃ、それが間違いだ。おめえさんはどっちかっつうと小柄な方だ。身体に無理が出ねえように技を調整すべきだと思うがな」


 龍悟は信じられないと言った表情で立ち上がった。


「何を馬鹿な、我が門派の技は偉大な先達が心血を注いで編み出した結晶です。それを一個人に合わせるなどと……!」

「人にはそれぞれ個人差ってモンがある。一人一人体格が違やあ、性格も風格も違う。いくら優れた技だろうが、使う人間に合わなけりゃ死んだも同然だ」

「し、しかし……そんな……」 

「相手が三下ならそれでいいだろうよ。だが、真に強え者を前にした時、死んだ技を振るうおめえさんは、どうなるかな……?」

「————!」


 男の言葉に龍悟はうつむいて何も言い返せない。男は続ける。


「いいか、技が人を振り回すんじゃねえ。人が技を使いこなすんだ」

「……人が技を、使いこなす……」


 龍悟が男の言葉を己が身に刻みつけるように反芻すると、男はニッと笑顔を見せた。


「……なんつってな。オジサマ、最近まで久しぶりに若人たちと触れ合ってたモンで、熱い血潮が蘇っちまったらしいや。いけねえ、いけねえ」


 男は照れたように頭を掻くと、龍悟に背を向けた。


「ま、オッサンの戯言たわごとだと思って吐き捨てるも良し、噛み砕いて飲み込むも良し。おめえさんの好きしたらいいや。そんじゃあな、ニイちゃん」

「お待ち下さい! せめて名を————」


 龍悟が男を呼び止めた時、冠を戴いた老人が滝壺の中からザバッと顔を出した。それはどうと言った特徴も無い顔つきだったが、ただ一つ常人と決定的に違う部分があった。


 

 ————その顔は常人の数倍はあろうかという大きさだったのである。


 

「……セんシ、ツヨい仙士センシガフタリモぉぉぉぉッ‼︎」


 絶叫を上げて老人の巨顔が宙を舞い、男の背に凄まじい勢いで迫る。


(————妖怪!)


 老人の首から下はおぞましい柄の大蛇のそれであった。反応が遅れた龍悟が剣を握った時には妖怪は男の後頭部に牙を立てた。


 まるで錆びた鉄の大門が閉まるような耳障りな音と共に、妖怪の口が閉じられ、男は姿を消した。


「ご先輩!」


 龍悟が声を上げた時、モグモグと口を動かしていた妖怪の動きがピタリと止まった。


「……いけねえなあ、せっかくの別れの余韻が台無しじゃねえか」


 男は妖怪の頭の上から呟くと、軽くその百会ひゃくえを突いた。


 次の瞬間、妖怪の頭の天辺から尻尾の先まで導火線のように光が走り、内部から爆裂した。


 妖怪の肉片が散弾のように周囲に飛び散り、龍悟は双剣の結界で防ぐ。肉片の雨が止んだ時には、瀑布の轟音が響き渡るばかりで男の姿は見えなかった。


『俺の事はガクのオジサマとでも呼んでくれや。縁があったらまた会おうぜ、ニイちゃん————……』


 遠くの方から男の声だけが山彦のように響いてきた。


「……岳、先生……」


 ひとりごちると、思わず龍悟は声のする方へ跪いて叩頭した。


 ———— 第二十二章へ続く ————

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