『求愛(四)』

 燕児エンジは脇に下がると、拓飛タクヒセイに声を掛けた。


「どうした? 早く立ち合ってくれないか?」


 拓飛と斉は顔を見合わせるが、どちらも動こうとはせずに、代わりに凰華オウカに助けを求めるような視線を向けた。


「あのー、燕児さん? 斉の方が強いって言ったわよね? 何も立ち合う必要は無いと思うんだけど……?」

「うん、それはさっき聞いたね」

「だったら————」

「君を疑う訳じゃないが、私は自分が見たものしか信じない。立ち合えないなら、やはり拓飛の方が優れていると判断する」


 これはどうにも立ち合わざるを得ないようだ。凰華は拓飛の側に近寄り小声で話しかけた。


(聞いたでしょ拓飛、こうなったら適当に斉と手合わせして、一本譲ってあげなさい)

(ああ⁉︎ 八百長やれってのかよ?)

(しょうがないでしょ? 燕児さんと一緒になりたいなら別にいいけどね)


 凰華は少し不機嫌そうに言うと、燕児の側に戻った。拓飛は何か納得がいかない表情で斉の前に立つ。


(……ここは我慢だ。わざと負けりゃ、このめんどくせえ女から解放されるんだ……)

「こうなったらしゃあないなあ、拓飛。ほな、やろか」


 先程のヒソヒソ話が聞こえていたのか、斉は片眼をつむりながら構えを取った。この様子を眼にした拓飛の眼尻がピクッと吊り上がった。


(このクソ猿野郎……、人の気も知らねえでムカつくツラしやがって……!)


 拓飛が睨みつけた時には斉がすでに眼前に迫っていた。


 


「————やはり私を倒した男の事だけはあるな」


 頭を抱える拓飛の側で、燕児が感心したように頷く。そのかたわらでは斉が鼻血を流して地面に横たわっていた。


「斉! 大丈夫?」

「う、うう……」


 凰華が倒れた斉に近寄り介抱する。拓飛は恐る恐る話し掛けた。


「お、おい……凰華……」

「……良かったわね、拓飛。素敵なお嫁さんができて」


 満面の笑みで凰華が答えるが、眼の奥は笑っていない。


「ちげーんだよ、コイツのツラがあまりにムカついたモンで、つい手が出ちまって……」

「あら、そうなの。あたしには嬉々として手を出していたように見えたけど?」


 冷たく返答すると、凰華は再び斉に声を掛けた。


「斉、しっかりして……?」

「ア、アカン……膝枕してくれへんと治りそうにない……」

「仕方ないわね」


 凰華はこれ見よがしに斉を自らの太腿に横たえると、手巾を取り出し優しく鼻血を拭い出した。


「ああー……、なんや痛みが引いていくようやわ……」


 斉は何故か勝ち誇ったような表情を拓飛に向けた。


「てめえ、なんだそのツラぁ!」

「凰華ちゃん、助けてえな! 殺されてまう!」

「敗者に鞭打つなんて、武術家のやる事なの⁉︎ 最低よ!」


 凰華にかばわれると、斉はその太腿に頬を寄せ再び先ほどの表情を浮かべた。

 この様子を見た拓飛は歯噛みして、地面がえぐれるほど地団駄を踏んだ。


「どうした、拓飛。何を苛立っている?」

「なんでもねえよ……クソォっ!」


 不思議そうに訊いてくる燕児に苛立ちをぶつける訳にもいかず、拓飛は天に向かって吼えた。


 


 街道を駆ける二騎の背に、それぞれ男女の姿が見える。


 焔星エンセイの背には拓飛と燕児が、桃花トウカの背には斉と凰華がまたがっていた。


「斉、怪我は大丈夫?」

「もうへっちゃらや! 凰華ちゃんのおかげやな!」


「拓飛、顔色が優れないようだが体調でも悪いのか?」

「……ああ、なんだか頭痛がして来やがった……」

「それはいけないな。どこか休める所を探そう」


 二組の男女はくつわを並べて走っていたものの、間に見えない壁があるかのように会話が交わる事は無かった。


 


 一刻後、四人は小さなまちに辿り着くと、少し早いが投宿する事にした。


 お世辞にも綺麗とは言えない旅籠を見つけると、燕児は受付である物を取り出す。それは石榴石ざくろいしのような鮮やかな赤色の牌で、表面に生き生きとした朱雀が彫られていた。


「すまないが、部屋を二部屋用意してくれないか?」


 番頭は赤い輝きを眼にするなり、燕児の言う通りに急いで部屋を二つ用立てた。この様子に斉が嬉しそうに言う。


「朱雀牌っちゅうのんも効果絶大やな」

「さて、部屋割りだが————」

「こっちはあたしと燕児さん、そっちの部屋は拓飛と斉ね」


 凰華が燕児の言葉を引ったくると、燕児が反論する。


「どうしてだ、私は拓飛と————」

「ほ、ほら! 拓飛は体調が悪いみたいじゃない! そうでしょ、拓飛?」

「お、おう……」

「ね? それじゃ今日は色々あったし、もう休みましょ!」


 釈然としない様子の燕児の肩を押して、凰華は部屋の扉をバタンと閉めた。廊下に残された拓飛と斉は思わず顔を見合わせる。


「……お前がワイに勝ちを譲ってたら、今夜は二組でお楽しみやったのにな……」

「……うっせえよ……」


 斉の恨めし気な視線に、拓飛は力なく呟くのみだった。


 

 夜は更けたが、拓飛はいくら眼を閉じても寝付く事ができなかった。それは隣の寝台から聞こえてくる斉のイビキだけが原因ではない。


 いくら女が苦手とは言っても、拓飛も熱い血が流れる若者である。昼間の燕児の甘いような香りと柔らかな唇の感触を思い出すと、下腹部の辺りからムラムラとしたものがこみ上げ、悶々とした気持ちになってくる。


 しかし、次の瞬間には脳裏に、見慣れた少女の優しい笑顔が浮かんできた。少女の表情は、怒った顔、悲しそうな顔、ふてくされた顔、母親のような慈愛に満ちた顔と、猫の眼のようにコロコロと変わっていく。


 不思議と穏やかな気持ちになった拓飛は眠りに落ちる寸前だったが、窓が開いた気がしてうっすらと眼を開けると、滑らかな女の姿態が飛び込んできた。


 

 ————月明かりを背後から浴びた半裸の燕児である。


 

「……拓飛、さあ、始めよう……」

「————おわあああァァァァァッ‼︎」


 深夜に虎の絶叫が響き渡り、旅籠は騒然となった。


「な、なんや! 火事かっ⁉︎」

「どうしたのっ⁉︎」


 斉が寝台から転げ落ちると同時に、凰華が扉を開けて駆け込んで来た。


「あっ……」


 怯えるように壁に張り付いた拓飛と、半裸姿の燕児を視界に収めた凰華は肩を震わせ怒鳴り声を上げた。


「————拓飛ぃッ‼︎」

「俺はなんにもやってねえよッ!」


 拓飛は浮気現場を押さえられた間男のような情けない声を上げるばかりだった。


 ———— 第二十一章に続く ————

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