『求愛(三)』


 赤い燕——燕児エンジ——は静かに降り立つと、無言で拓飛タクヒをジッと見つめた。その眼には怒りや恨みの色は見えず、どのような感情が渦巻いているのかは読み取れない。


「なんで、この場所が……」

「やっぱり、さっきのおネエちゃんたちから報告があったんやろな」


 拓飛の呟きにセイが答えた。


「燕児さん! 怪我は治ったのね⁉︎」


 凰華オウカが喜んで声を掛けるが、燕児は一顧だにせず一心に拓飛を見つめ続ける。


「な……なんでえ、何か用かよ?」

「そら、こないだのお礼参りに決まってるやろ」


 ニヤニヤしながら斉は樹にもたれかかり、高みの見物を決め込んだ。


「……ようやく見つけたぞ……!」


 燕児は静かに口を開くと、拓飛の前へと一歩踏み出した。


「待って! 燕児さん、落ち着いて話を聞いて!」


 両手を広げて凰華が拓飛の前に立ち塞がるが、その肩に手が掛けられ、脇へ寄せられた。


「気は進まねえが、ヤんなら受けて立つぜ」

「拓飛! ダメよ、落ち着いて!」

「落ち着いてんだよ俺は! 挑まれたんならヤるしかねえだろ!」


 燕児の腕前を痛いほど知っている拓飛は全身に氣を巡らせ構えを取った。しかし、燕児は無造作に一歩一歩間合いを詰めて来る。


 まるで散歩に行くかのような、ゆったりとした足取りである。虚を突かれた拓飛は反応が遅れ、気付いた時には間合いの中へ侵入を許していた。


 燕児の両手がゆらりと拓飛の胸元へ伸ばされる。


「————拓飛!」

「チッ!」


 慌てて拓飛は燕児の手を払おうとしたが、予測に反してその細腕は軌道を変え、拓飛の腰へ回された。


 

 ————次の瞬間、桜桃のような愛らしい唇が、男のそれに重ねられた。


 

 生まれて初めての感触に拓飛の赤眼が見開かれ、石像のように身体が硬直した。何が起きているのか理解が追いつかないまま、永遠とも思える時間が流れる。


 この光景に凰華はあんぐりと口を開け、斉は驚きつつも笑みを浮かべた。


 首元から徐々に蕁麻疹が吹き出し、我に返った拓飛は燕児の肩を突き飛ばすと、首を掻きむしりながら指を突きつけた。


「————てっ、てめえ何考えてやがる! こ、この馬鹿、この女!」


 動揺しているのか、その罵り言葉にいつものキレはない。


 一方、燕児は無表情のまま胸に手を当てると、格好の良い唇から驚くべき事を言い放つ。


「拓飛、私にお前の『子』を産ませてくれ」


 このとんでもない発言に一同は我が耳を疑った。拓飛は平静を装い耳をほじると、改めて聞き直す。


「……おめえ、今、なんつった……?」

「お前は私に勝った。だから、私にお前の『子』を産ませてくれ」

「————いやいやいや! 『だから』の意味が分かんねえよ! どういう思考回路してんだ、てめえは⁉︎」

「我ら朱雀派には男弟子がいない」


 この言葉に凰華は、朱雀派は女のみで構成された門派という事を思い出した。


「————まさか、その『子』を朱雀派に……⁉︎」

「そうだ。我らは強く優秀な男の血を求めている。朱雀派の弟子は決闘で男に敗れた場合、その男の『子』を授からなければならない」


 当たり前のように燕児が答えると、今度は拓飛が声を上げた。


「待て待て待て! てめえ、この間は俺を妖怪だっつって襲い掛かって来たじゃねえか!」

「妖怪を滅ぼすのは皇帝のめいだが、我らとっては門派の掟が至上だ。幸いお前はまだ人の部分が強く、子を成すのに問題はなさそうだ。さあ拓飛、お前の子を私に授けてくれ」


 そう言うと燕児は拓飛ににじり寄った。拓飛はまるで怯える子供のように後ずさる。拓飛の脳裏に、成虎セイコのニヤついた顔が蘇った。


(あのクソオヤジ……! このクソみてえな掟を知ってやがったな……‼︎)


「ちょっ、ちょっと待ってよ! 燕児さん、あなた別に拓飛が好きじゃないんでしょ⁉︎ いくら掟だからって、あなたはそれでいいの⁉︎」


 凰華が慌てて立ち塞がるが、燕児は一切の揺らぎなく言い放つ。


「私の意思は関係ない。私の母も、その母もそうして来た事だ」

「そんな……だからって……!」


 なおも食い下がる凰華を、燕児は不思議そうに見つめた。


「君は拓飛の妻か?」

「なっ……‼︎」


 突然の思いも寄らぬ発言に、凰華は真っ赤になって言葉に詰まった。


「安心してくれ、私は拓飛に何人妻がいようが構わない。私は拓飛の子を授かるだけでいい。それ以外の事には一切干渉はしない」

「ちっ、違います! 妻なんかじゃありません!」

「だったら何も問題はないじゃないか」

「問題大有りでしょっ!」


 真っ赤な顔のまま凰華が反論すると突然、斉が話に割り込んできた。


「ちょお待てや燕児ちゃん、朱雀派っちゅうんは女しかおらへんのやろ? デキたんが男やったらどないすんねん?」

「産まれた子が男だった場合は父親に返される。父親が引き取りを拒否する場合は寺院に預けられる」


 燕児の返事を聞いた斉は、拓飛の方へ顔を向けた。


「聞いたか拓飛! 浮気し放題の上に、チビがデキても認知せえへんでもええんやて! 男にとってこないなええ話があるか⁉︎ 羨ましい限りやで!」

「マジで下種だな、てめえは……」

「……ホントに最低……! もうあたしに話しかけて来ないで……」


 拓飛と凰華に軽蔑の視線を向けられたが、斉は全く意に介さず何やらブツブツと独りごちている。


「ええなあ。こないなコトやったら、あの時ワイがっとくんやったわ。しもたなあ……」


 斉の独り言を耳にした凰華は何か閃いた様子で、燕児に問いかける。


「……燕児さん。要するに貴方は相手が拓飛じゃなくても、強い男の人だったらいいのよね?」

「まあ、そうだな」


 お望み通りの答えを受け取ると、凰華は斉を指差した。


「だったら、このお猿さん——もとい、斉は拓飛より強いわよ!」

「ほえ?」

「ああ⁉︎」


 気の抜けた斉の返事と、ドスの効いた拓飛の返事が重なる。燕児は斉の頭から爪先まで見回した。


「……そうなのか?」

「いや……まあ、うん、どやろな……」


 燕児の興味が斉に移ったと見るや、凰華は畳み掛けるように続けた。


「斉の方が強いんだから、もう拓飛に構う事はないんじゃないかしら?」

「ちょっと待て、凰華。てめえ、俺がこの猿より弱えだと? ふざけたコト抜かしてんじゃ————」


 ズイッと拓飛が口を挟むと、凰華は近寄り、ヒソヒソと小声で話しかけた。


(こうでも言わないと、この先ずうっと燕児さんにつきまとわられるわよ? 拓飛はそれでいいの?)

(う……、そいつは困る……)

(でしょ? だったら、あたしに上手く合わせて)


 完全に自らを棚に上げた凰華がなんとか拓飛を丸め込むと、燕児がおもむろに口を開いた。


「よし、斉。拓飛と立ち合ってみてくれ」

「ほえ?」

「私の前でお前が拓飛に勝って、その後、私に勝てればお前の子種を受け入れよう」

「————えええっ⁉︎」


 思いも寄らぬ展開に凰華が素っ頓狂な声を上げた。

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