第十九章

『入門(一)』

 拓飛タクヒが寝台から起き上がると、外から雀の鳴き声に混じって男の大きな声が聞こえて来た。


 凰華オウカを伴って外に出ると、セイ成虎セイコに叩頭している光景が見えた。


「この通りや、ガク先生! いや、お師匠はん!」


 額を地面に擦り付けながら斉が何かを懇願している。成虎は頭を掻きながら、面倒臭そうな表情を浮かべた。


 この様子を見た拓飛は隣の凰華に問い掛ける。


「何やってんだ? 斉の野郎」

「なんかね、昨夜の岳先生の腕前を見て感動したんだって。それで頼み込んで、弟子入りしようとしているのよ」

「へーえ、アイツがねえ……」


 拓飛が視線を戻すと、斉はますます額を強く地面に打ち付けた。


「お願いしまっさ! 『うん』て言うてくれはるまで、ワイはテコでもここを動かへんで!」

「わーかった、分かった。とりあえず見てやっから、テキトーに打ち掛かって来な」


 根負けした様子で成虎が言うと、斉は四つん這いの姿勢のまま跳躍してトンボ返りした。着地した時には今まで見た事のない面がその顔に装着されている。


「ほお」


 斉の変面の技に、成虎は感心したような声を上げた。


「ホンマはもう面を変えるんは辞めたんやけど、やっぱりなんや顔にハメとかな落ち着かんよってな。ほな、行きまっせ!」


 言葉が終わらない内に斉は素早く間合いを縮めると、牽制の突きを打ち出した。成虎が片手を上げていなそうとするが、寸前で拳がピタリと止まり、斉の身体が沈み込んだ。


 斉は両手を地面に突いて、その反動を利用すると下方から成虎の顎先目掛けて蹴りを槍のように突き上げた。

 この蹴りはすんでのところで躱されたが、ピンと伸びた足首から先がまるで蛇のように蠢き、両のかかとが成虎に襲いかかる。


 成虎は腕を上げ踵落としを防ぐと同時に蹴りを斉の後頭部に放つ。斉は両腕に力を込めて跳躍し下段蹴りを躱すと、空中から雨あられと突きの散弾を放った。以前、拓飛に深手を負わせた技である。


 しかし斉の拳は空を切ると、背後から凄まじい衝撃を感じ数丈先へと吹っ飛ばされた。


 背に成虎の体当たりを食らった斉は、腰をさすりながら立ち上がった。


「……痛ったーっ、イケると思たんやけどなあ」


 成虎はゆっくりと振り返ると、いつものだらしない表情に戻った。


「いやあ、おめえスゲえクセ技だな。ちいと面食らったぜ。自分で編み出したのか?」

「さいです。せやけど、あっさり躱しはって面食らったとか、よう言いはりますな」

「いやいや、独学でここまでやれりゃ大したモンだ」

「ほな、弟子にしてくれまっか⁉︎」


 斉は再び叩頭の姿勢を取り、顔をクリっと猫のように傾けた。


「ダメだ」

「なんでですねん⁉︎」


 斉が叫ぶと、成虎はいつになく真剣な表情になった。


「おめえの技は他の誰にも真似できねえ唯一無二のモンだ。俺があーだこーだ言って縮こまっちまうのはよくねえ。どうせなら、そのまま独立独歩の道を行って一派の開祖になっちまえ」

「一派の開祖……?」


 斉は成虎の言葉を反芻すると、突然跳躍して構えを取った。その面はまた新たな物に変わっている。


「せやな! 何もわざわざ人の下につく事はあらへん! 男一匹、新たな門派を立ち上げたるんや! 斉さまがここに『変面派』の誕生を宣言したる!」


 かくして神州に新たな門派『変面派』が産声を上げた。


「斉掌門。『変面派』の立ち上げ、お慶びを申し上げる」


 成虎が半笑いでおざなりな拍手を贈ると、拓飛が横に並び呆れた口調で言った。


「オッサン、もっともらしい事言いやがって、ホントはアイツに教えんのがめんどくせえだけだろ?」

「まあな、あそこまでクセ技が染みついちまってたら矯正すんのも一苦労だ。ただ、小さく縮こまらず伸び伸びやった方がいいってのは本当だぜ」


 成虎は拓飛の方へ向き直り、ニヤリと口の端を持ち上げた。


「今はまだおめえの方が上だが、才能や勘はアイツの方が一枚上だ。余裕こいてウカウカしてやがると、すぐに置いてかれちまうぞ」

「……分かってんよ……!」


 拓飛が凶悪な笑みを浮かべると、凰華が近寄って来ておずおずと口を開いた。


「あの、岳先生……」

「………」


 成虎は聞こえていないのか、何の反応も見せない。


「あの……」

「ああ、俺に言ってんのか。『岳オジサマ❤️』と呼んでくれねえから、気付かなかったわ」

「————もういいですっ!」


 凰華は頬を膨らませると、プイッと顔を逸らした。その様子を見て成虎は面白そうに膝を叩く。


「悪い、悪い。なんだい、お嬢ちゃん?」

「……あの、あたしにも稽古をつけてもらえませんか……?」

「急に何言ってんだ、おめえ?」


 機嫌を直した凰華の言葉に拓飛が茶々を入れる。


「だって拓飛は岳先生に鍛えてもらって強くなったんでしょ? あたしも強くなりたいの。朱雀派に繋ぎをつけるためには、今より少しでも腕を上げないと」


 朱雀派と聞いた成虎の表情が一瞬、真顔になった。


「……朱雀派と繋ぎだと?」

「は、はい。白虎派の任務なんですけど」

「そうだな。最低でも、あの燕児エンジって女とタメ張れるくれえじゃねえと、朱雀派の奴らと話つけるなんてできねえだろうな」

「お嬢ちゃん、朱雀派とやり合ったのか?」

「いえ、手を交えたのは……」


 凰華が拓飛を指し示すと、成虎が問いかける。


「おい、本当か? 小飛」

「ああ、月餅湖で成り行きでな」

「倒したのか?」

「まあな。軽氣功とかいう怪しげな技を使って来やがったけど、『浸透勁』でぶっ倒してやったぜ」


 拓飛が得意げに答えると、成虎は意味深な笑みを浮かべる。


「……そうかい、そりゃ大変だな。いや、喜ばしいと言うべきか……」

「……?」


 成虎の思わせぶりな口ぶりに、拓飛は何か嫌な予感を覚えた。

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