『隠士捜索(四)』
夕食時という事もあり、
屋敷の中は綺麗に掃き清められており、家具なども一通り揃えられている。食堂に向かう途中には丹房らしき部屋もあり、様々な薬材や薬草などが積まれているのが見えた。
「わっ、色んな薬があるね。さすがお医者さまだわ」
「ホンマや、あの人参なんか売ったら、ごっつい値が付くで」
「眺めるのはいいが、絶対に触るんじゃねえぞ? 例えばネエちゃんの眼の前にあるその赤い葉は『
成虎が神妙な面持ちで言うと、凰華はビクッとして両手を胸の前に引っ込めた。
「やめろオッサン、コイツ単純だから信じちまうだろ」
「ハッハッハ」
拓飛がたしなめるが、成虎はどこ吹く風で食堂へと入って行った。
食堂に入ると鼻腔をくすぐる良い香りが漂い、卓の上にはいくつもの料理が並び美味しそうに湯気を立てている。席に着くと、先程の女性が赤飯を寄越した。
「はい、お嬢さん」
「ありがとうございます、奥さま」
照れ臭そうに凰華が椀を受け取ると、女性は一瞬キョトンとした後、笑みを漏らした。
「アハハ、そんなんじゃないよ! あたしは
「え……え? 奥さまじゃないんですか……?」
今度は凰華がキョトンとすると、不機嫌そうに赤飯を掻き込んでいた拓飛が助け舟を出した。
「
「オバさんってヒドいねえ。あたしはまだ三十だよ? さすが先生のお弟子だ。口が悪いったらありゃしない」
「フン……」
拓飛の言葉に香と名乗った女性は口を尖らせたが、すぐに意味深な笑みを見せた。
「……まあ、世話をしてるのは食事だけじゃ無いんだけどねえ……」
「綺麗に掃除が行き届いてますもんね」
相槌を打って凰華は部屋の中に視線を巡らせるが、一同の反応は微妙である。
「……あきませんて姐さん。凰華ちゃん、そっちの方は全然アカンねん」
「あら、そうなのかい? 残念だねえ」
「え? 何? そっちって何の事?」
斉の言葉の意味が分からない凰華は、拓飛に救いの眼を向けた。
「…………」
しかし拓飛は黙って飯を咀嚼するのみで、今度は助け舟を出してくれない。しばらく眉根を寄せて考え込んでいた凰華だったが、不意にあっと声を上げると、ボッと赤面して黙り込んでしまった。
「いやー、いいねえネエちゃん! 小飛をからかうより何倍も面白えわ!」
成虎が豪快に笑うと、
「ふふ。それじゃあ積もる話しもあるだろうから、今日はあたしは帰りますね、先生」
香は前掛けを外して食堂から出て行った。成虎は頷いて感謝の意を伝えると、ゆっくりと拓飛へ目線を向けた。
「その様子じゃあ、左腕は治ってねえようだな」
「ご覧の通りだ」
拓飛は椀を持っていた方の手を振って見せる。
「西王母のバアさんはなんて言ってた?」
「俺ん中の『邪仙』ってヤツの遺伝子が暴れてんだと」
拓飛が皮肉っぽく笑うと、成虎は顎に手をやった。
「……成程ねえ、そいつを抑えるためには善行を積めってトコか?」
「……ああ」
「いいじゃねえか。おめえみてえなモンが、世のため人のためになるんなら重畳至極ってなモンだぜ」
この言葉に拓飛は箸を卓に叩きつけ立ち上がると、キッと成虎を睨みつけた。しかし成虎は酒をクイッと飲み干し、
「俺がその腕の治し方を知らねえのは分かってんだろ。んで? 今さら俺を訪ねて来た理由は何でえ?」
「……チッ」
拓飛は舌打ちすると席に着き、重苦しく口を開いた。
「腕を治してえのは勿論だが、今はもっと、強くなりてえ……!」
「拓飛……」
拓飛の切実な願いに、凰華が思わず声を漏らす。
「ふうむ、強くなりてえ、ねえ……。それなら良い手があるぜ」
「なんだ、そりゃ⁉︎」
拓飛が眼を輝かせると、成虎は手にした
「
「ざけんなよ、オッサン!」
拓飛は激昂して徳利を打ち払った。
「あーあー、勿体ねえ。まだ残ってたのによ」
「俺はマジで言ってんだぜ、オッサン!」
「わあーったよ。おめえ、今いくつだっけ? 十八? 十九?」
「あ? 十九だ。それがなんだよ?」
「十九か。それじゃあ後、十一年待て」
「……?」
なぜ十一年なのか、拓飛にはサッパリ意味が分からない。成虎はニヤリと笑って口を開いた。
「童貞のまま三十を過ぎると『
「————てめえ、表ぇ出ろ! ブッ殺してやる‼︎」
拓飛は卓を蹴り上げると、成虎の胸ぐらを掴んで表へ引き摺り出して行った。
「拓飛! 相手は師父なのよ!」
「ええやないか、ワイもあのオッチャンがどの程度のモンか観てみたいわ」
「う……」
斉の言葉ももっともである。軽口ばかり飛ばす成虎の腕前を凰華も興味津々だったのだ。二人は床に散らばった食べ物や膳の片付けもそのままに、師弟の後を追った。
二人が中庭に出ると、拓飛と成虎が向かい合っているのが見えた。
「さあて、可愛い愛弟子がどのくれえ強くなったか見せてもらおうじゃねえか」
依然として口元に笑みを浮かべたまま成虎が言う。一方、拓飛は腸が煮えくり返っていたものの頭の中は幾分か冷静だった。
(一年前はまるで歯が立たなかったが、今の俺がどのくれえアンタに近づけたのか確かめさせてもらうぜ)
師父の元を飛び出してから、幾度かの死線を潜り抜けた自負もあって、拓飛は敢えて挑戦したのである。
若虎は全身に氣を巡らせると、礼を取るでもなく、眼前の大虎に襲い掛かった。
拓飛は、見慣れぬ寝台の上に己が横たわっている事を理解するのに数十秒の時間を要した。
「おはよ。大丈夫……?」
聴き慣れた声に振り向くと、壁際の椅子に凰華が座って、心配そうな眼差しを向けているのが眼に入った。窓からは雀の鳴き声が聞こえてくる。どうやら朝になっているようだ。
「……やられたのか、俺は……」
「……うん、初手を外されて一撃だったわ」
拓飛の脳裏に徐々に昨夜の記憶が戻って来た。渾身の右突きを躱された後、成虎の掌底が顎に迫って来た事までは覚えていた。
拓飛には現時点で師父に及ばないのは分かっていた。しかし、それは幼児が父親に敵わない事を漠然と理解しているようなもので、彼我の実力差を正確に測れていた訳ではない。
だが昨夜の立ち合いで自分と師父との間には、にわかには埋める事の出来ない絶対的な差が横たわっている事を改めて痛感させられた。
「拓飛……」
凰華が励ましの声を掛けようとすると、
「……上等だ。いつか絶対ぶっ倒してやるからな、クソオヤジ……!」
新しい玩具を手に入れた子供のように、拓飛は笑った。
———— 第十九章に続く ————
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