『野望(二)』

 話が一段落したところで、拓飛タクヒ凰華オウカ西王母セイオウボに辞去を告げた。


「それでは行って参ります、西王母さま」

「うむ、気をつけるのじゃぞ。特に拓飛。恐らく、そなたは青龍派に目の敵にされておるはずじゃ」

「へっ、上等だぜ」


 不敵な笑みを浮かべると、拓飛は熊将ユウショウへと視線を向けた。


「悪いな、熊将。技を教えるのは、また今度な」

「ああ、岳師叔ガクししゅくによろしくな」

「任せとけ。なんならオッサンをここまで連行して来てやるよ」


 拓飛は手を振ると凰華の後を追ったが、戸口に足を掛けたところで何かを思い出したように振り返った。


「————そうだ、バアさん。一つ訊き忘れてたぜ」

「何じゃ」

「例の『原初の仙人』て奴らは、ヒトとケモノを造った後はどうなったんだ?」


 この質問に一瞬、西王母の表情が曇ったように見えた。


「……邪仙とのいさかいから争いが起き、皆滅びたと云われておる」

「そうかよ。随分と締まりのねえオチだな」

「御伽噺とは得てしてそうしたものじゃ」

「……ふん」


 西王母が静かに答えると、拓飛は鼻を鳴らして出て行った。


 


 拓飛と凰華は西王母の宮殿を出て、例の階段に差し掛かった。


 拓飛が先に足を掛けると、凰華は階段の途中で足を止め、戸惑うような表情を浮かべている。


「おい、どうした?」

「う、ううん。何でもないわ」


 階段は登って来た時よりも明らかに段数が少なくなっているように感じられたが、考えても理由は分からず、凰華は小走りで拓飛を追いかけた。


 凰華が階段を降り終えると、大きないななきと共に焔星エンセイが駆け寄って来た。


「おう、焔星! 久しぶりだな!」

「焔星、ごめんね。待たせちゃって」


 二人が声を掛けながら焔星のたてがみを撫でると、焔星は嬉しそうに頭をすり寄せて来た。


 その時、二人の背後から軽やかな蹄の音が響いて来た。振り返ると薄紅色の毛並みをした馬が走って来るのが見える。


「わあーっ、可愛い! 何、この子!」


 凰華が歓声を上げて近寄ると、薄紅色の馬はペロリと凰華の頬を舐める。


『————凰華や、紅州は広大じゃ。その馬をそなたに預けよう。連れて行くが良い』


 宮殿の方から西王母の声が響いて来た。


「西王母さま! とてもありがたいのですけど、普通の馬は焔星を怖がってしまって……」


 薄紅色の馬はクリクリとしたつぶらな瞳を焔星に向けると、臆する事もなくトコトコと歩み寄っていった。


「見て、拓飛! この子、焔星を怖がらないわ!」

「おお、マジか……」 

『その馬は神獣の血を引いておるのじゃ。多少の事では動じぬ』

「西王母さま、おっしゃっていた事は本当だったんですね!」

『無論じゃ。わらわは嘘など申さぬ』


 話している間に薄紅色の馬は焔星のそばに近寄ると、鼻先を近づけ匂いを嗅ぎ始めた。


「西王母さま、この子の名前は何と言いますか?」

桃花トウカと名付けておる』

「——桃花、じゃあ女の子ですね! よかったね、焔星!」 


 嬉しそうに凰華が焔星の背中を叩くが、焔星はプイッと馬首を返すと小走りで行ってしまった。この様子を見た凰華がプッと吹き出した。


「アハハ! 焔星、まるで誰かさんみたい!」

「うっせえ!」


 凰華のからかうような物言いに、拓飛は怒鳴り声を上げる。


「ごめんね、桃花。あの子、少し恥ずかしがり屋なの。気にしないで仲良くしてあげてね?」


 凰華が桃花の背中を撫でながら優しく語りかけると、拓飛は焔星を捕まえて、諭すように話しかけた。


「いいか、焔星。以前まえに言ったろ、女なんかに気を許すんじゃねえぞ。油断してっとケツの毛まで毟られんぞ」

「聞こえてるわよ。変な事を焔星に吹き込まないの!」


 後ろから、凰華が桃花の背にまたがり声を掛けてくる。


「うるせえ、焔星に何を言おうが俺の勝手だ」


 文句をいいながら拓飛が焔星の背に飛び乗ると、再び西王母の声が響いてくる。


『準備はもう良いか? 前方に林が見えるな?』


 二人がくつわを並べて前方を眺めると確かに、満開の桃の花が咲き乱れる林が見える。


『その先が桃源郷の出口じゃ。ただ、正しい道を通らねばいつまでも迷うて出られぬ。妾が案内して進ぜるゆえ、言う通りに進むのじゃ』

「ありがとうございます、西王母さま!」



 林の中を進んでいくと、程なくして十字路に差し掛かった。


『右へ曲がれ』


 西王母の声に従い右へ曲がると、すぐにまたしても十字路にぶつかる。


『次は左じゃ』


 声の通りに左へ進むと、今度は三叉路に出くわした。


『そこは真っ直ぐ進むが良い』


 この後、何度も十字路と三叉路を通り抜ける羽目になった二人は、次第に方向感覚が狂ってしまい、今自分が北を向いているのか、それとも南か全く分からなくなってしまった。


「……拓飛、これ本当に出口に向かってるのかしら……?」

「……俺に訊くな。黙って進め」


 

 何十個目の角を曲がったのか数えるのも忘れた頃、目の前が霧で覆われているのが見えた。


『そこが出口じゃ。その霧に飛び込めば、外の世界に出られよう』


 出口と聞いた凰華は安心して溜め息を漏らす。


「西王母さま! 案内していただいてありがとうございました!」

『うむ、そなたらの旅の無事を祈っておるぞ……』


 西王母の声が木霊のように途切れ、やがて聞こえなくなった。


「やれやれ、ようやく出られんのか」

「あっ、待ってよ、拓飛!」


 拓飛が手綱を絞ると、慌てて凰華も霧の中に飛び込んだ。


 

 真っ白い霧の中を駆け抜けると、二人の眼に飛び込んで来たものは、灰色の曇り空であった。


 振り返ると、背後には枯れ木の林が一面に広がり、桃の花の香りは微塵も感じられない。桃源郷の入り口は崑崙山をかなり登った所にあったが、どうやら山の麓まで降りて来られたようである。


 桃源郷に滞在していたのは十日あまりであったが、二人には隔世の感すら感じられた。


「さあて、行くか、凰華!」

「うん!」


 拓飛がニッと牙を見せると、凰華も微笑んで応える。二人は同時に手綱を絞り、まだ見ぬ南の地へと駆け出した。


 ———— 第十六章に続く ————

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