第十四章

『天地開闢(一)』

 拓飛タクヒが倒れて以来、食事を届けるのが日課になっていた凰華オウカが、いつも通り朝食を運んでいると、拓飛の部屋からドスンドスンという大きな音が激しい振動と共に響いてきた。


「拓飛っ!」


 凰華が急いで扉を開けると、上半身裸姿の拓飛が部屋の中心に立っているのが見えた。その足元は強烈な震脚によって石畳の床がえぐられている。


「もう大丈夫なの?」

「おう、ちっと身体がなまっちまったがな」


 凰華が笑顔で話しかけると、拓飛もニッと笑って見せた。脇の下の傷も跡が残ってはいるが、ほぼふさがったようである。


「拓飛、朝ご飯を食べたら西王母セイオウボさまの所に行きましょ。拓飛が歩けるようになったら、連れてくるように言われてたの」

「ああ、そうだな。俺もあのバアさんに色々訊きてえ事がある」


 


 朝食を急いでかき込んだ拓飛は、凰華を伴って西王母の居室に出向いた。


「よくぞ参ったのう、拓飛や。そなたが無事でなによりじゃ」


 西王母は拓飛の顔を見るや否や、婀娜あだな表情を向けた。


「へっ、心にもねえこと言ってんな。あんた俺のことなんざ、使える駒くれえにしか思ってねえだろ」

「ちょっと、拓飛。失礼でしょ」


 凰華が拓飛をたしなめると、西王母は扇子で顔を覆った。


「……非道いことを言いおる。そなたのことが心配で心配で、わらわは今まで一睡も出来なんだと言うに……!」


 西王母は見ているこちらが恥ずかしくなるほどのわざとらしさで、泣き崩れる素振りを見せた。


「————のワリにすこぶる血色が良いように見えるのは、俺の気のせいか?」

「ふむ。では前置きはこのくらいで終いにしようかの」


 呆れ顔で拓飛が指摘すると、西王母は突然真顔になった。


「そなたの左腕のことじゃが……」

「————何かご存知なのですか⁉︎ 西王母さま!」


 西王母の言葉に拓飛が反応するより早く、凰華が声を上げた。


「うむ。結論から申せば、その腕は妖怪であって、妖怪ではない」

「……バアさん、今はなぞなぞをやってる気分じゃねえぞ」


 拓飛が鋭い眼光を向けるが、西王母は構わず続ける。


「————かつて、この神州の地は濁った氣が充満しておっただけの『虚無』だったそうじゃ。その氣を集めて、空と海と大地を造った超絶の存在————誰か分かるかえ? 凰華や」


 西王母は私塾の講師のように、凰華に問いかけた。


「それって『天地開闢てんちかいびゃく』の昔話ですよね? えっと……確か天地を造ったのは『原初の仙人』だったと……」

「そうじゃ。まあ神州の者なら童でも知っておる昔話じゃな。じゃが、彼らがどのような風貌をしておったかは知っておるかえ?」

「いえ、そういえばどんな姿をしていたか詳しくは知らないです。拓飛は知ってる?」

「知らねえ。つーか、んな昔話がなんだってんだよ?」


 拓飛と凰華が西王母に顔を向けると、西王母は意味深な笑みを浮かべた。


「原初の仙人……彼らはのう、人面獣身の姿をしておったのじゃ」

「えっ⁉︎」


 凰華が驚きの声を上げ、拓飛の眼が赤みを増した。


「ある者は蛇の半身を持ち、またある者は犬の半身を持ち、中には虎の半身を持った者もおったという」

「西王母さま、それって……!」


 凰華がたまらず口を挟むが、西王母は構わず話を続ける。


「天地を造り終えた彼らが次に成した事、それは生物を生み出す事であった。彼らは自らの身体の因子を用いて、ヒトとケモノを次々と生み出していった。当初、ヒトとケモノは何の問題もなく共存しておったが、次第にケモノの中に凶暴化し、ヒトを襲い出すモノが現れた。それが————」


 西王母は言葉を区切り、


「————妖怪じゃ」


 静かに、そして力強く言葉を締めた。


 長い沈黙の後、拓飛がゆっくりと口を開く。


「……そのケモノが凶暴化したってのは、何でなんだ?」

「原初の仙人の中には、邪悪な心根を持った者もおったと言われておる。『邪仙』とも言うべきか。邪仙の遺伝子を色濃く受け継いだケモノが妖怪へと変貌したという事じゃろうな」

「その話がマジなら、俺らの身体ん中にも、その原初の仙人ってヤツの遺伝子が含まれてるっつう事か?」

「その通りじゃ。ケモノから妖怪に変化するものが現れる一方で、ヒトの中にも特異な力を持つ者が生まれ出した」

「————それが仙士せんし……⁉︎」


 凰華が続く言葉を引き取ると、西王母が相槌を打つ。


「そうじゃ。受け継いだ遺伝子が強い者ほど、仙士としての素質が高いと言う訳じゃな」

「……そんな事って……」

「信じられぬか? ふむ、そなたたち人間が妖怪へと変わるのを見聞きした事は無いかえ?」


 拓飛と凰華の脳裏には『人虎』が思い浮かんでいた。


「心当たりがあるようじゃな。人間の中にも邪仙の遺伝子が強い者がおる。妾が思うに、その者の邪気が邪仙の遺伝子と結びついて妖怪へと変貌するのであろう」

「ま、待ってください。それじゃ……!」


 凰華の視線が拓飛へと向けられる。


「拓飛や、そなたの身体にも邪仙の遺伝子が色濃く受け継がれておる。その左腕が何よりの証拠じゃ」


 左腕が微かに脈動を始めたのを感じた拓飛は、思わず右腕で押さえつけた。

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