第十三章

『不倶戴天(一)』

 拓飛タクヒは深淵の闇の中をあてもなく歩いていた。


 しかし、音も光も無い真っ暗な空間の中では自分が進んでいるのか、はたまた落ちていっているのかすらも分からない。


 不意に全身が火炙りにあったように熱を持ったかと思うと、次の瞬間には氷水に浸けられたようにガタガタと全身が震え出した。

 長い間耐え忍び、ようやく凍えるような寒さが治まったかと思えば、今度はまた身体が熱を帯び、ダラダラと汗が止まらなくなる。


 こうして灼熱地獄と氷結地獄が交互に身体を襲い、いよいよ耐えきれなくなってきた時、突然視線の先に小さな光の点が見えた。


 無我夢中で光の中に飛び込んだ拓飛は、あまりのまばゆさに目がくらみ、何も見えなくなった————。


 

 拓飛が眼を開くと、今度は周囲が薄暗い。何故か身体を動かすのが億劫で目線だけ動かすと、見覚えのない模様の天蓋が眼に入った。どうやら寝台の上に横になっているようだ。


 ふと右手に違和感を感じ、なんとか首を右側に向けると寝台のふち凰華オウカが上半身を伏せて眠っているのが見えた。


 凰華は微かな寝息を立てながらも、拓飛の右手をしっかりと握りしめ放さない。意識すると右手がむず痒く感じたが、以前より酷くなく我慢できないほどではない。何より眠っている凰華を起こすのが忍びなく、拓飛はそのままにさせた。


「ん……」


 吐息と共に凰華が眼を覚まし、拓飛と眼が合った。


「————拓飛! 気がついたのね!」


 凰華が嬉しそうに顔を近づけてくる。拓飛は眼を逸らして、照れ臭そうに口を開く。


「……近えよ。あと手を放せ」

「あっ、ごめん」


 凰華はパッと拓飛の手を放すと、大きな瞳いっぱいに涙を浮かべた。


「なに泣いてんだよ……」

「だって……、拓飛、七日間も眼を覚まさなくて……っ、その間、ずっと凄い高熱で……あたし、拓飛がもう眼を覚まさないんじゃないかって……っ」

「七日間……? 俺、七日も寝てたのか……」


 拓飛はボンヤリとしていたが急に血相を変え、上半身を起き上がらせた。


「————七日間⁉︎ おい、試合はどうなった⁉︎」

「えっと……あの後、結局白虎派は青龍派の人たちに負けちゃった……」


 凰華は涙を拭いながら答える。


「他の奴らの事なんかどうでもいい! 俺と龍悟リュウゴの野郎の試合だ!」

「……うん、拓飛が勝ち名乗りを受ける前に気を失っちゃったから、引き分けって事になったわ」


 この言葉に拓飛は寝台に拳を叩きつけ、


「……引き分けだぁ……⁉︎ ————クソぉぉぉぉぁッ‼︎」


 悔しまぎれに絶叫を上げた。この様子に凰華が慰めの言葉を掛ける。


「で、でも、先に倒れたのは龍悟くんだし、実質は拓飛の勝ちよ……」

「ざけんな! 止めを刺せなきゃ勝ちもクソもあるか! 引き分けじゃ意味がねえんだよ‼︎」


 これほど悔しがる拓飛を凰華は見た事がない。それほど相手に、そしておのれに心底克ちたかったのだと思うと、凰華は思わず自分を恥じた。口では悔しいと言いつつも、自分は敗北をすんなりと受け止め、それきりである。


 凰華は拓飛の握り拳を両手で包み込むと、力強く握りしめた。


「……拓飛、今は傷を治す事に専念して。龍悟くんも言ってたわ」

「……何? 野郎と話したのか?」

「うん……拓飛が倒れた次の日————」


 


 凰華が医務室で拓飛の看病をしていると、扉を叩く音が聞こえた。凰華が扉を開くと、龍悟とケイが立っている。凰華は眠っている拓飛を背中でかばい、身構えた。


『構えなくていいよ。この場で彼をどうこうするつもりは無い』

『え……?』


 思いも寄らぬ言葉に凰華が構えを解くと、龍悟が続ける。


『敗者が勝者に手をかけるなど、そんな恥知らずな真似は出来ない』

『負けてはいないでしょう。引き分けよ』


 慶が口を挟むと、龍悟がたしなめた。


『よせ。先に意識を絶たれたんだ。誰がなんと言おうと僕の敗北だ。慶、アレを』

『……ええ』


 慶は懐から小さな箱を取り出すと、凰華に手渡した。


『これは……?』

『青龍派に伝わる『天涼快明膏てんりょうかいめいこう』よ。切り傷によく効くわ。貴女あなたの傷に使ってちょうだい』


 凰華の傷は慶に手加減されたため、大したものではなかった。しかし、箱の中の薬の量は明らかに一人分ではない。凰華は感激で目頭が熱くなった。


『————ありがとうございます‼︎』


 凰華が二人に頭を下げると、


『凰華さん。我々はこれから本拠に戻るが、彼が眼を覚ましたら伝えて欲しい』


 龍悟は眠っている拓飛にチラリと眼をやると口を開いた。




「————龍悟くんは『次にまみえる時は僕が勝つ』と言ってたわ」


 話を聞いた拓飛の顔に赤みが刺し、口元に笑みが浮かぶ。


「……上等だぜ、あの野郎……!」


 拓飛の血色が良くなったのを見た凰華も笑顔になった。


「でもホントに良かった。脇の下の傷が少しでも動脈に届いてたら、命が無かったって西王母セイオウボさまがおっしゃってたのよ」

「へっ、あんなんで俺が死ぬかよ。なんだ、こんなモン!」


 いつもの減らず口を叩くと、拓飛は全身に巻かれた包帯を力任せに破り裂いた。見れば一番深い脇の下の傷以外は、ほぼ塞がっており、薄っすらと跡が見えるだけである。


「凄い! さすが青龍派の霊薬ね!」


 凰華が手を叩くと、拓飛は懐疑的な眼差しを向けた。


「何⁉︎ まさか奴らの薬を俺に塗ったのか⁉︎」

「うん。せっかく貰った薬なんだもん」

「……クッソが、なに余計なマネしてくれてんだ! 奴らの薬なんざ勝手に塗りたくりやがって……!」

「変なの。龍悟くんと仲直りしたんじゃないの?」

「仲直りなんかするか! ……つうか『龍悟くん』だと? おめえこそ、いつの間に野郎と仲良くなったんだ?」

「試合の前の日の夜にちょっとね、二人で話をしたの」


 この言葉に拓飛はさらに不機嫌になった。


「フン! おめえ、あんな女みてえなツラの野郎が好きだったのか」

「どうしてそうなるの? ちょっと話しただけって言ったじゃない」

「どうだかな。そんなに野郎と話がしてえなら青龍派にでも行っちまえ!」


 この物言いに今度は凰華が口を尖らせた。


「じゃあ、お言葉に甘えてそうしようかしら! 龍悟くんはカッコ良くて優しいし、誰かさんみたいに意地悪な事も言わないしね!」

「おう、是非そうしてくれ! 清々するぜ!」

「————意地っ張りのヤキモチ焼き!」


 凰華は立ち上がると、そのまま振り返らずに部屋から出て行ってしまった。


「誰がヤキモチ焼きだ、コラァッ!」


 拓飛は興奮したせいか、脇の下が痛みだし、再び横になった。


「……クソッ、なんなんだよ、この気持ちは……!」


 傷の痛みとは違う、なにかモヤモヤしたものが胸につかえて、拓飛は眼を閉じても再び眠る事が出来なかった。

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