第十二章

『交流試合(一)』

 翌朝、拓飛タクヒは見覚えの無い部屋で眼を覚ました。


「……? アッタマいってえ……」


 痛む頭を押さえてなんとか身体を起こすと、徐々に昨日までの記憶が蘇って来る。凰華オウカと一緒に白虎派に辿り着き、食堂で食事を取っていた所まで記憶を辿っていると今度は腹の虫が鳴った。


「……腹ぁ減ったな」



 食堂に向かうと、入り口から蒸された饅頭まんとうのいい匂いが漂って来る。喜び勇んで中に入ると、凰華が一人座って朝食を取っているのが見えた。


「あ、拓飛……おはよう」

「おう」


 凰華は拓飛に気付くと声を掛けるが、その声にいつもの元気は無い。不思議に思った拓飛は、凰華の向かい側に腰掛け口を開いた。


「どうしたよ? いつもは朝っぱらから、うるせえくれえなのによ」

「う、うん。ちょっと試合の事を考えてて……。緊張してるのかも」

「それだけじゃねえだろ。昨夜なんかあったのか?」


 凰華は驚いて拓飛の顔を見つめた。豪放磊落な拓飛だったが、妙なところで勘が鋭い。


「……拓飛。危ないと思ったら降参してね」

「ああ? ふざけんなよ、俺が負けるわけ————」


 文句を言おうとした拓飛だったが、凰華の表情は強張り、箸を持つ手が震えている。拓飛は言葉を飲み込むと、黙って饅頭を次々と頬張りだした。


「拓飛……?」

「おめえが何を気にしてんのか知らねえけど、いらねえ気を回してんじゃねえよ。どんなヤツが相手だろうが、俺は負けねえ。この饅頭みてえに頭からガブリと喰ってやるぜ!」


 そう言うと拓飛は瞬く間に、皿の上の饅頭を腹に収めてしまった。唖然とした凰華だったが、思わずプッと吹き出し、


「何するのよ。あたしが頼んだ饅頭だったのに」


 いつもの笑顔を見せると、拓飛もニッと笑った。


「お二方、交流試合は一刻後に開始します。練武場へお越しください」


 白虎派の弟子が近づいてきて、開始時刻を告げると去っていった。


 拓飛は立ち上がり、不敵な笑みを浮かべる。


「さーて、食後の運動に青蛇退治と行くか……!」


 

 二人が練武場に到着すると、数十名の白虎派の弟子が練武場を取り囲むように控えており、中央には試合に出場する選手らしき白虎派の若い弟子が三名と、龍悟リュウゴを筆頭にケイ以下三名の青龍派が、東西に別れて座っているのが見えた。


 拓飛は龍悟の姿を認めると、牙を剥き出し、今にも飛び掛からん形相になったが、当の龍悟は拓飛など眼中にも無い様子で、そばの凰華を一心に見つめている。凰華も何かを懇願するような視線を龍悟に向けたが、龍悟は眼をつぶり無言で首を横に振った。


 このやりとりが何を意味するのかは拓飛には分からなかったが、かえって頭は冷静になり、代わりにはらわたがグツグツと煮えくりかえった。


 その時、熊将ユウショウが群衆の中から中央に歩み出ると、氣の通った声で呼ばわった。


「白虎派掌門、オウ掌門のおなり!」


 熊将の宣言が終わると、どこからともなく練武場に桃の花の香りが立ち込めた。咄嗟に凰華は袖で顔を覆ったが、吸い込んでも意識が遠のく事は無く、気づくと、いつの間にか練武場の北側の壇上に鎮座する西王母セイオウボの姿が見えた。


「……妖怪ババアめ」


 拓飛が小声で毒づくと、西王母は拓飛に顔を向け、


「聞こえておるぞ、拓飛や」


 笑っているような、いないような表情で一声かけた。これに拓飛はベロを出して返答をする。


「それでは西王母さま、ご挨拶を」

「うむ」


 ゴホンと咳払いをした熊将に促され、西王母は立ち上がった。


「これより白虎派と青龍派の交流試合を執り行う! 立会人は白虎派掌門、この王が相務める!」


 西王母が宣言を行うと、白虎派と青龍派の面々が一斉に包拳礼を取った。慌てて凰華も追従するが、拓飛は首を鳴らすだけだった。


「試合は両派の和気を損なわぬよう、寸止めをって行う。じゃが、拳や剣に眼は付いておらぬゆえ、手元が狂い、止めが間に合わぬ事もあろう。武術家に怪我は付き物じゃ。万が一、大事だいじに至っても不問とする」


『はっ‼︎』


 西王母の声に、一同が返事をする。西王母はニコリと微笑むと、促すように扇子を熊将に向けた。


「先鋒、前へ!」


 熊将が呼ばわると、青龍派の列から一人の女性が進み出た。青龍派の紅一点、李慶リケイである。


 凰華は深呼吸すると、ゆっくりと立ち上がり、拓飛を振り返った。拓飛が強く頷くと、凰華は勇気が湧いてきて、先ほどまでの緊張は吹き飛んでしまった。


 凰華が中央に進むと、慶が包拳をしながら小声で話しかけてきた。


石姑娘セキクーニャン、どちらが勝っても、いい試合をしましょう」


 遠目から見た李慶からは、少し冷たく近寄りがたい雰囲気を感じていた凰華だったが、間近で見ると知的で穏やかな女性だという事が分かり、これから闘う相手だというのに好感を持った。


「はい。よろしくお願いします」


 笑顔で凰華も包拳礼を返す。


「————それでは、始めっ‼︎」


 熊将の号令と共に、凰華は距離を取った。


 凰華の作戦は、慶の得物が分かるまでは、距離を取り相手の出方を窺うというものであった。青龍派が武器を用いるという事は、間合いの面からも先手は向こうにある。ならば相手に先に攻めさせ、反撃に懸けるつもりである。


 しかし凰華の予想に反して、慶はこちらに近づいて来るどころか、後退あとずさり間合いをさらに空けてしまった。両者の距離は数丈に広がり、これでは槍などを出したとしても凰華には届かないだろう。


 凰華が不思議に思っていると、慶はゆっくりと右腕を上げて袖口を凰華に向けた。慶の服の袖は指が隠れるほど長いもので、袖口が異様に広く、その中は漆黒の闇のようで全く奥が見えない。凰華はまるで砲台を向けられている感覚に陥った。


 不意に袖口の中からキラッと光が見えると、次の瞬間、凰華の左肩に焼けるような痛みが走った。


 凰華が左肩に眼をやると、小さな小刀が刺さっているのが見えた。その小刀は数秒後フッと消え去り、傷口から鮮血が流れ出した。


(————これは、暗器術⁉︎)


「ボサッとしてんな、凰華! 次が来るぞ!」


 拓飛の声にハッとして凰華が視線を正面に戻すと、第二、第三の光がこちらに向かって飛んで来る。凰華はゴロゴロと転がり、なんとか追撃を避けた。


「落ち着け! 暗器で怖えのは毒が塗ってあるのと、いつどこから飛んで来るのか分からねえ事だ! 集中すりゃあなんて事ねえぞ!」


 拓飛の助言に凰華はうなずいて、気を引き締めた。


 慶の飛刀は氣で生成された物なので毒の心配は無いが、腕を振り上げるなどの起こりも、音すらも無く暗器を発射する。真っ直ぐに飛ばされた飛刀は凰華の目には小さな点にしか見えないが、発射の直前に光を発するので、集中を切らさなければ躱せるはずだ。


 その後、第四投、第五投を狙い通り躱した凰華の脳裏に反撃の算段が浮かぶ。


(よし、だいぶ慣れてきたわ。飛び道具を使うという事は接近戦は苦手なはず。次の投擲に合わせて間合いを詰める!)


 凰華は慶の右腕を注視していたが、ふと気付くと、いつの間にか左手に別の暗器が握られているのが見えた。


「……なかなかやるわね。では、コレを使わせてもらおうかしら……」


 慶の鋭い眼光が凰華を捉えた。

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