『真氣開放(二)』

 曹慈功ソウジコウが話し始めた時には、すでに陽が落ちかけていた。


「————十日ほど前の事だ。泉安鎮せんあんちんに一匹の妖怪が現れたとの一報が白虎派に入り、掌門しょうもん(総帥)がこの白虎牌の持ち主である木心戒ボクシンカイを含む三名の仙士せんしを派遣した。しかし七日経っても木たちは戻って来ず、便りも無かった。そこで掌門は新たに私と四名の仲間を遣わせたのだ」


 旅籠の壁にもたれて話を聞いていた拓飛タクヒが口を開いた。


「その四人はどこに行ったんだ?」

「……分からん。私たちが到着した時にはすでにまちはこの有様で、様子を探るためそれぞれ別れて行動していたのだが、私以外の者もいつの間にか姿が消えてしまった……!」


 曹は肩を震わせながら、絞り出すように声を出した。その様子を見て、凰華オウカは恐る恐る疑問を口にした。


「それで……その妖怪の姿は見たんですか?」

「……見ていない。だから不気味————」

「……? 曹さん、どうしました?」


 曹は話の途中で急に表情が歪むと、そのまま後ろへバッタリと倒れてしまった。


「曹さん!」

「そいつに触れんな!」


 曹に駆け寄ろうとする凰華を拓飛が大声で制止した。


「拓飛! どうして⁉︎」

「そいつの顔色を見ろ!」


 振り返ると、曹の顔色はみるみる紫色に変色していった。明らかになんらかの毒にあたった証拠である。


「そいつに触れたら、そっから毒が回っちまうかも知れねえ」

「でも、このままじゃ曹さんが!」

「もう手遅れだ。息をしてねえ……!」

「そんな……どうして急に毒なんか……!」


 拓飛は直接肌に触れないように、注意深く曹の身体を探ってみるが、外傷は見つからなかった。


「俺は離れたとこからお前らを見てたが、吹矢や暗器みてえなモンは飛んで来なかった。毒の煙や霧を吸い込んだってんなら、俺とお前も今頃ぶっ倒れてるはずだぜ」

「……ていう事は、曹さんはあたしたちに会う前に毒を飲まされてたって事……?」

「かも知れねえ。とにかく、ここはヤベぇ気がする。いったんこの場所から離れんぞ」


 その時、焔星エンセイが大きくいなないた。二人が振り向くと、真っ暗な道の真ん中に十歳くらいの少女が立っていた。


「お嬢ちゃん! 大丈夫⁉︎ こっちへ————」

「行くんじゃねえ!」


 またも拓飛が凰華を一喝した。


「……ったく、おめえはちったあマシになったかと思えば、人の生き死にが懸かると途端に頭に血が昇っちまうな」

「ど、どういう意味よ」

「こういうこった」


 拓飛が左腕を上げると、激しく振動していた。


「それって、まさか……!」

「まさかもクソもあるかよ。大体この異常な状況で、こんなガキが一人でうろついてるワケがねえ」


 凰華がゆっくりと振り返ると、無表情だった少女の口が三日月のように耳まで裂けた。


「フ、フフ、勘のいい人間だ。どうやらそっちの白い方は、今までの仙士とは違うようだな」


 その声は少女の身体には不釣り合いで、とても耳障りのする酷いものだった。


「てめえが曹のおっさんが言ってた妖怪だな? 鎮の奴らはどうした?」

「喰った。もっとも大部分は逃げ出したのだがな」


 この言葉に拓飛のこめかみに青筋が走る。


「そんで白虎派にチクられてちゃ世話ねえぜ。間抜けか、てめえは」

「いやいや、そうでも無いぞ。俺は白虎派の連中が来るのを待っていたのだ」

「何ぃ?」

「仙士というものはいいなあ。普通の人間を喰らうより、数倍、力が湧いてくる。そして何より、美味い……!」


 少女——妖怪——の口からよだれが溢れ出る。その光景を眼にした凰華は寒気を覚えた。


「お前は今まで喰った奴らよりも美味いだろうなあ……!」


 妖怪の眼が怪しく光ると、何かを察知したように拓飛が後ろへ飛び退すさった。妖怪は少し驚いたように口を開く。


「……ほお。これに気付くとは、やはり大したものだな」

「耳が良いモンでな」


 さっきまで拓飛が立っていた場所を見ると、地面から針のような物が飛び出していた。


「なるほど。この触手みてえなモンを地中から走らせて、足の裏から毒をブチ込んでたってワケだな」

「フフ、地中を走るわずかな物音を聞き取ったのか。だが、そちらのお嬢さんはどうかな……?」


 妖怪の視線が凰華を捉える。拓飛は血相を変えると、凰華のそばに駆け寄り突き飛ばした。


「キャッ!」


 急に強い力で突き飛ばされた凰華が眼を開けると、拓飛の脚に妖怪の針が刺さっていた。


「ぐ……、く、あ……っ……!」

「————拓飛‼︎」


 たちまち拓飛の体が紫色に変色していく。凰華は思考が止まり、拓飛に触れようとするが、拓飛は腕を振り上げて制した。


「馬鹿、野郎……! 触んじゃねえって、言ったろが……!」

「で、でも、このままじゃ拓飛が……!」


 凰華は泣きじゃくり、言葉が続かない。


「腕は立っても所詮は人間だな。弱い個体をかばい、結局強い個体まで共倒れする」


 いつの間にか妖怪が背後まで接近している。凰華は身体が硬直してしまったように動けなくなった。しかし、妖怪は凰華には興味を示さず通りすぎた。


「娘、お前は見逃してやろう。また強い仙士を引き連れて来い」


 妖怪は凰華に言い残すと、膝を突く拓飛の眼前で止まった。


「さて、それではいただこうか」


 突如、拓飛は傷口付近を指で突くと、瞬時に立ち上がり左腕で渾身の突きを繰り出した。拓飛がこのような反撃を繰り出すと思わなかった妖怪は、身体をよじってかわしたが、右の脇腹が消し飛んでしまった。


「ギャアァァァァッ‼︎」


 この世の者ならざる叫び声を上げて、妖怪は闇夜に姿を消して行った。


「……へっ。いくら腕が立っても人間様を舐め腐るのが、てめえらの弱点なんだよ……!」


 振り絞るように声を出すと、拓飛はその場に崩れ落ちた。


「拓飛! しっかりして! 焔星! こっちに来て!」


 凰華は焔星に拓飛を担ぎ上げると無我夢中で手綱を握った。しかし、どこに行けば良いのか、何をすれば良いのか、頭が混乱して何も思い浮かばない。


「……凰華。どこでも良いから、姿を隠せる場所を探せ……」

「拓飛! 気が付いたのね! 分かったわ!」


 拓飛の声を聞いた凰華は幾分か冷静さを取り戻し、休める場所を探すべく夜の闇に眼を凝らした。

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