第九章

『真氣開放(一)』

 新しい仲間——焔星エンセイ——を加えた拓飛タクヒ凰華オウカは、ついに白州はくしゅうへと足を踏み入れていたが、せっかく馬を引き入れたと言うのに、二人は相も変わらず徒歩で移動していた。


「なんか……焔星が仲間になったのに前と変わんないね」

「まあな。結局コイツも俺も普通の馬が寄り付かねえからな」


 敏感な動物は拓飛の左腕と、焔星の内に流れる妖怪の血を察知して警戒されてしまうのである。


「あたしは別に二人乗りでもいいんだけど……」

「バカ言うな。女と二人で馬に乗ってられるかよ。格好悪い」

「はいはい、そうでしたね!」


 凰華は冷めた視線を拓飛に送ると、焔星の首を撫でながら話しかけた。


「焔星も仲間が欲しいよねー。でもきっと、お前を怖がらない女の子を探してあげるからね!」

「おい! 焔星に余計な事を吹き込むんじゃねえ!」


 拓飛は焔星の首に腕を回して声をかけた。


「焔星も一人の方が気が楽だよなー。女なんか言う事がコロッコロ変わるし、付き合ってらんねえよなー?」


 凰華は慌てて焔星の首を抱え込んだ。


「焔星! こんなひねくれ者の言う事を聞いちゃダメよ! 想像してごらん? 誰もいない草原を可愛い彼女と二人で肩を並べて駆け回るの。素敵でしょ?」

「やめとけ、やめとけ、そんなモン! いいか、間違ってガキでも産まれてみろ。いい餌場を見つけても先に嫁とガキに食われちまって、おめえにゃ根っこしか残らねえぞ? 絶対一人の方がいいに決まってるぜ!」

「ちょっと! やめてよ、焔星が拓飛みたいになっちゃったらどうするの!」

「んだとお⁉︎」


 二人は子供の教育方針で揉める両親のように言い争いを始めてしまった。焔星は付き合ってられないという風に首を振ると一人で先に歩きだした。


「あっ、待ってよ焔星!」

「おい! 一人で行くな、焔星!」


 二人は慌てて先を行く焔星を追いかけた。


 

 夕方に差し掛かる頃、行く手に小さなまちが見えてきた。入り口の扁額へんがくには『泉安鎮せんあんちん』とある。


「拓飛、今日はここで休みましょ」

「そうだな。焔星、面倒になるから夜になっても鎮ん中でツノだの火だの出すんじゃねえぞ?」


 拓飛が焔星に言い聞かせると、焔星はブルルと返事をした。


 泉安鎮に入ると、不思議な事に鎮はがらんと静まり返っていた。

 通常、日暮れ前のこの時間帯であれば、旅籠の前で旅人を手ぐすね引いて待ち受ける客引きや、屋台から饅頭のいい匂いを漂わせるガラガラ声のオヤジなど、様々な人間がいるはずなのだが、建物はあれど人っ子ひとり見えない。


「何これ? どうして誰もいないの?」

「とりあえず、そこの旅籠に入ってみようぜ」


 二人は旅籠に入り声を掛けてみるが、店の小僧も番頭も誰も出ては来ない。拓飛はズカズカと客室の方へ歩きだした。


「拓飛、まだ受付が……」

「呑気な事言ってんな。こんなモンどう考えても普通じゃねえだろ。状況を確かめんぞ」


 拓飛は客室を端から順に一つずつ見て回った。最初とその次の部屋は鍵が掛かっており、中にも人の気配は感じられない。

 三つ目の部屋は扉が半開きになっていて中に入ると、宿泊人の物と思われる荷物や衣服が置いてあったが、やはり持ち主は見当たらない。

 拓飛が寝台を探ると、使われた形跡はあったが熱はこもっておらず、人がいなくなって随分時間が経っているようだった。凰華が不安そうに口を開く。


「なんか気味が悪いわね。まるで神隠しにでも遭ったよう……」

「その荷物を探ってみよう」


 拓飛は荷物を広げてみるが、中には着替えや銀子、薬などの旅の必需品があるだけで特に気になる物はなかった。


「拓飛、寝台の下に何かあったわ」


 凰華が手にした物は白い牌であった。素材は分からないが表面には虎が描かれており、裏には『木心戒ボクシンカイ』と人の名前が彫られていた。


「これ、なにかしら? 薄いのに丈夫で象牙でもなさそうだし……」

「白い牌に虎……白虎か……?」


 拓飛が呟くと、凰華は眼を見合わせた。


「——それよ! きっと白虎派の人の持ち物なんだわ! 白州は白虎派のお膝元だもの!」

「そうだとしたら、多分コイツは白虎派の証みてえなモンなんだろう。それをほっぽってどっか行くか、普通?」

「行かないと思う。こういう門派の証とかを無くすと重い罰が下されるって聞いた事あるし……」


 その時、旅籠の表からヒヒーンという焔星のいななきが聞こえて来たと同時に、拓飛の左腕が振動しだした。


「——拓飛!」

「ああ、どうやら面白くなって来やがったぜ!」


 急いで表に飛び出すと、焔星は無事だったが、その視線の先に一人の男が立っていた。

 男は三十代半ばだろうか、雪のように白い衣服を纏っていて、心なしかその顔は青ざめて見えた。


「お前たち……いや、そこの白髪の男、尋常の人間ではないな? これは貴様の仕業か⁉︎」


 拓飛の姿を認めると、男の顔に怒気が宿った。


「へっ、前にもこんな事があったな。おっさん、木心戒ってヤツか?」

「何⁉︎ どこでその名を!」


 拓飛は不敵な笑みを浮かべながら、白虎牌を掌で舞わせた。


「なーに、コイツの裏に彫ってあったんでな」

「それは心戒の……! 貴様ァッ!」


 男は満面に殺気を浮かべて拓飛目掛けて突進して来た。


「どうして挑発するの! 事情を話せば——」

「へへっ、白虎派のヤツがどの程度なモンか試したくなってよ。どいてな凰華!」


 拓飛は嬉しそうに言うと凰華の制止も聞かず、男と打ち合いを始めた。凰華は戦いを止めさせようと思ったが、自分も白虎派の男の腕前を見てみたくもあり、しばし見守る事にした。


 凰華が観戦する中、二人は数手打ち合ったが、男が歯を食いしばり必死な表情を浮かべているのに比べ、拓飛は次第に気の抜けた顔に変わって来た。


(うーん……この人、型はしっかりしてるし技に内功も込められてそうだけど、あの斉天大聖セイテンタイセイと比べると、動きも遅いし力強さも足りないみたい)


 凰華の見立て通り、拓飛は相手に見るべき所が無いと見て取ると途端に興味を失い、男に背を向けた。


「もういい、やめだ」

「何がもういいだ! こっちを向けいっ!」


 怒った男は突きを繰り出したが、拓飛は背を向けたまま右腕で受け止めると、


「弱えヤツは相手にしねえってんだよ……!」


 睨みを利かせて、男の拳を握る腕に力を込めた。男は氣を巡らせて振りほどこうとするが、どんなに氣を集めても拓飛の腕は引き剥がせない。

 突如、拓飛がパッと手を放すと、男の身体に反動が襲いかかり後ろに数丈ほど吹き飛ばされてしまった。男は空中で受け身を取り、なんとか無様な姿を晒す事は免れたが、全身に大粒の汗をかき、動悸が鳴り止まない。


(なんだコイツは……! 何故こんな若造にこれほどの雄渾な内功が備わっている……⁉︎」


「おっさん、アンタ外功も内功も鍛錬が足りねえよ」

「なんだと⁉︎」


 再び一触即発になりそうな雰囲気に、慌てて凰華が止めに入った。


「落ち着いてください! この人ちょっとアレなんで気にしないでください!」

「おい、ちょっとアレって、どういう意味だコラ」


 拓飛が因縁をつけるが、凰華は取り合わず男に経緯を説明した。


「無礼は謝ります。あたしたちはただの旅人です。さっきこの鎮に辿り着いた時には誰の姿も見えなくて、旅籠の客室からこの牌を見つけただけなんです。これはあなたにお返しします」


 凰華は拓飛から白虎牌を引ったくると、男に手渡した。牌を受け取った男はいまだ釈然としない様子だったが、凰華の礼儀正しい言い回しと拓飛の腕前を思い知った事もあって、幾分か冷静さを取り戻した。


「……私は白虎派の曹慈功ソウジコウと言う者だ。名を聞かせてもらえまいか?」

「あたしは石凰華セキオウカと言います。こっちは凌拓飛リョウタクヒです。一体何があったのか聞かせてもらえませんか?」

「……旅人というのは嘘だろう? その若さで今の腕前は尋常ではない」


 拓飛が口を開こうとすると、凰華が後ろ手で制した。


「すみません。曹さんが白虎派の方と確信が持てなかったので、嘘をつきました。あたしたちは兄弟弟子で白虎派に入門したいと思い、崑崙山脈を目指しています」


 白虎派に入門希望と聞いて、曹は疑いの眼差しを二人に向けた。


「どこから来たのだ? 門派はなんと言う?」

玄州げんしゅう石令舗せきりょうほという田舎町から来ました。仙士せんしだった父から武術を習いましたので門派はありません」


 曹は石令舗という町も、セキという元仙士も聞いた事すら無かったが、無名の仙士などいくらでもいるだろうし、凰華がスラスラと淀みなく答えたので八割がた信用した。

 一方、拓飛は凰華の口ぶりに感心していた。


(へえ、コイツ最初の頃とは段違いだな。余計な事は喋らずに、ボロも出してねえ)


「……実はな————」


 曹は沈痛な面持ちで口を開いた。

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