『焔馬(三)』
翌日、
「あら、拓飛。お早いお目覚めね」
「うう……頭痛え……、水くれ……」
「ふん、いい気なものね。さぞや良い夢を見たんでしょうね?」
「ああ? 夢? んなモン覚えてねえよ」
「そんな事より! 聞いて、拓飛! あたし昨夜、とんでもないものを見ちゃったのよ!」
「うるせえ……、頭に響くから耳元でデケえ声出すな……!」
こんな調子では話ができそうにない。凰華は仕方なく水を与えて、拓飛が完全に眼を覚ますのを待つ事にした。
「——何い? あの白馬が空を飛んでただあ?」
冷たい水で顔を洗った拓飛は、ようやく眼を覚ましたようである。
「そうよ、昨日の夜にあたしこの眼で見たの」
凰華は神妙な面持ちで言った。拓飛が天幕の
「そこで草食ってるじゃねえか」
「今はね。でも昨夜、間違いなく空を飛んでたわ。頭に
拓飛は疑いの眼差しを凰華に向けた。
「へええ……、馬に角が生えて? 脚から火がねえ……」
「ホントだってば! ホントに見たの!」
「おめえも昨日、あの酒飲んでたよな?」
「あれくらいじゃ酔わないわよ! あたし、拓飛みたいに弱くないもん!」
「何い⁉︎」
二人が言い争っていると、長老が天幕に入って来た。
「それは『
『えんま?』
拓飛と凰華は同時に聞き返した。
「焔馬とはこの辺りに言い伝わる馬の妖怪の事だ。ワシの
「マジか。けどあの馬、今は角も火も出てねえぞ?」
「うむ……。もしかすると、あの馬は焔馬の合いの子やも知れんな。その娘の言う事が本当ならば、夜の間だけ焔馬の血が騒ぐのかも知れん」
「でも、どうして急に、その焔馬の血が出て来たのかな? 今までそんな事なかったんですよね……あ、まさか拓飛の左腕に反応して……?」
「左腕?」
長老が訊き返すと、凰華は慌てて手を振った。
「あ、いや何でもないです!」
「けどよ、あの馬が焔馬って妖怪だとして、空を飛べんなら何でそのまま行っちまわなかったんだろうな?」
拓飛が疑問を口にすると、少し考えた後、長老が答えた。
「おそらく、昨日あんたを主人と認めた気持ちがまだ残っているのだろう。だが焔馬の血が濃くなっていく内に、その気持ちも薄まっていくかも知れんぞ」
長老の言葉を聞いた拓飛は立ち上がると、不敵な笑みを浮かべた。
「つーこたぁ、夜に妖怪化した所を乗りこなせばいいってこったな!」
再び草原に漆黒の
不意に白馬が馬首を夜空に向けると、その眼が爛々と輝き、全身が小刻みに震えだした。
「拓飛! 見て!」
「ああ」
二人が眼を見張ると白馬の額から徐々に角が伸びてゆき、大きないななきと共にボウっと四つの
その炎はまるで白馬の身体を重力から解放したかのように、宙に持ち上げてしまった。
「マジか……馬が空飛んでるぜ……!」
「だから言ったじゃない! ホントだって!」
「とにかく出るぞ!」
天幕から飛び出すと、白馬も二人に気付いたようだが、逃げる様子もなく上空を悠々と旋回している。それは拓飛を挑発しているようにも、突如手に入れた力を持て余しているようにも見えた。
「おし、そんじゃやってやっか!」
「がんばってね、拓飛!」
拓飛は大きく息を吸い込むと、上空の白馬に大声で呼びかけた。
「いいか馬ぁっ! 今からもっかいおめえを乗りこなしてやる! したらおめえは俺のモンだ! 分かったな!」
白馬も拓飛の言葉に応じるように、ヒヒーンといなないた。
(へっ、脚の炎が目印になって分かりやすいぜ)
拓飛は両脚に氣を集めると上空の白馬めがけて跳躍した。一足飛びで白馬の背後に到達し鬣に手を伸ばしたが、すんでの所で白馬は旋回して、その身体に手を触れさせない。
「あーん! 惜しい!」
凰華が頭を抱えると、いつの間にか周りに彩族が集まっており、口々に応援の声を上げた。
「惜しいよ、白いお兄サン!」
「もう少しだよ!」
拓飛はその後、何度も跳躍するが、その都度あと一歩という所で白馬を取り逃してしまう。
(ちっ、野郎は空中で自由に動き回れるんだ。このままじゃ何回やってもラチがあかねえ……よし)
拓飛は何かを閃くと、地面にしゃがみ込み何かを拾い出した。
「拓飛、何してるの⁉︎」
凰華が不思議そうに声を掛けると、拓飛は十数個の石を凰華に手渡した。
「いいか、凰華。この石に俺の氣を込めておいた。これからもっかい跳ぶから、あの馬が俺から遠ざかったら、俺に向かってこの石を思いっきり投げろ! できりゃあ足元がいい」
「え? で、でも……」
「いいから、全力でだぞ! 俺を信じろ!」
言うだけ言うと、拓飛は再び上空の白馬に向き直り跳躍した。しかし、白馬はまたも宙を駆け、拓飛を置き去りにした。瞬間、拓飛は凰華に視線を送る。
「凰華!」
「分かったわよ!」
言われた通り凰華は全力で石を拓飛の足元に向かって投擲した。拓飛の氣が込められた石は凰華の想像を超える速度で空気を切り裂いていく。
石は拓飛の足に命中すると思われたが、拓飛は足裏で石を受け止めると、その反動で白馬の方へと体勢を入れ替えた。
「すごい! 拓飛!」
拓飛は空中で向きを変えるために、石を足場にする一計を案じたのである。凰華は飛び跳ねて拍手を送った。
拓飛を躱したと思っていた白馬は、後方から再び迫られ驚いたが、辛くも追撃の手を逃れた。それを見て凰華は再び石を投げて助け舟を出したが、拓飛の考えを理解すると、間を置かず石を拓飛と白馬の間に投げ続けた。
「いいぞ、凰華!」
拓飛は親指を立てると、小刻みに石を踏んで白馬を追い詰めて行く。足場が多ければ多いほど白馬の動きに対応ができるというものだ。
白馬は何度かわしても拓飛が追い詰めて来るため恐慌を来たした。向きを変えて正面に拓飛を見据えると、凄まじい速さで突進を仕掛けた。額の角が拓飛に迫る。
「拓飛!」
凰華が叫び声を上げると、拓飛はニッと笑って言った。
「いいねえ。やっと、てめえから向かって来やがったな」
白馬の角が胸を貫く寸前、拓飛は角を支点に宙返りすると、ストンと白馬の背に着地した。すぐさま白馬の首を抱え込むと、耳元で大声を上げた。
「捕まえたぜ、オラァッ! 誰が主人が思い出したかぁっ⁉︎」
白馬はそれでも抵抗を続けたが、拓飛の怪力で胴を締め付けられ、首ねっこを押さえつけられてはどうしようもない。観念したのか、ゆっくりと地面に降りて行った。
拓飛が地面に降り立つと、観衆の彩族から万雷の拍手と喝采が上がった。
「やったね、拓飛! お疲れ様!」
凰華も近づいて、労いの声を掛ける。
「おう、よく俺の考えが分かったな。ま、なかなか役に立ったぜ」
「ふふ。何よ、偉そうに」
二人が笑い合っていると、長老が大声で観衆に呼びかけた。
「皆の者! 客人が焔馬を従わせたぞ! さあ、英雄の誕生を祝福して今夜は宴会だ!」
その夜、草原には笑い声が鳴り止む事はなかった。
翌日、拓飛が目を覚ましたのは、やはりお日様が真上を通過した後だった。
「ああ……頭痛え……!」
拓飛は頭を押さえて死にそうな顔をしている。その様子を見ながら凰華は呆れた表情を浮かべていた。
「弱いのに飲むからじゃない」
「……るせえ、挑まれたら応じるのが男ってモンだ」
「一杯目で完敗だったけどね……」
拓飛が言い返そうとすると、長老が白馬を引いてやって来た。白馬は脚の火が消えて、角も引っ込んでいる。やはり夜が明けると、普通の馬の姿に戻るようだ。
「客人。そろそろ行くのだろう? 馬具を付けてやったぞ。餞別だ」
白馬に
「ねえ、拓飛。この子、男の子みたいだよ。名前を付けてあげて?」
凰華は白馬の首を撫でながら拓飛に声を掛けた。拓飛は少し考え込むと、
「名前か……『
「焔星……焔星ね。うん、拓飛にしては悪くないじゃない!」
「おい、拓飛にしては、ってどう言う意味だコラ」
拓飛が凰華に凄むと、白馬がヒヒーンと大きくいなないた。
「この子も焔星って名前が気に入ったみたいね」
「ま、よろしくな。焔星」
二人が出立すると聞くと、彩族が集まって来て、包みを差し出した。
「これワタシたち作った。これ持って行って!」
包みを開けると、中には干し肉や
「わあーっ! ありがとうございます!」
凰華が感激の声を上げると、長老が言葉を繋いだ。
「ここから西は寒さも厳しくなる。気をつけてな」
「おう、あんたらもな」
拓飛が焔星を引いて歩きだすと、背後から角笛の音が聞こえてきた。それは今まで耳にした事の無い曲調だったが、二人の旅路の無事を祈ってくれているような、そんな気持ちにさせてくれた。
かくして、拓飛と凰華の道行きに一頭の仲間が加わったのであった。
——— 第九章に続く ———
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます