『焔馬(二)』
「……面白え。乗れるモンなら乗ってみやがれってか」
拓飛が地面を蹴ると、白馬は
白馬は拓飛を振り落とそうと、とうとう
白馬は堪らずいななくと、先程の男を振り落としたように直立になったが、拓飛は余裕綽綽で持ち堪えた。
「どうしたよ? これで終わりか?」
どんどんと胴を締め付ける力が強くなってくる。白馬は前脚をドスンと下ろすと、今度は何度も跳躍を繰り返した。拓飛は小舟の上で嵐に巻き込まれたような心地になった。
「おおっ! やるじゃねえか! 馬野郎!」
拓飛がさらに締め付ける力を強めると、白馬は一際大きくいななき、ようやく大人しくなった。人も馬も息が上がり大汗をかいている。拓飛は地面に降りるとポンポンと白馬の頭を叩いた。
「よおーし、これでおめえは俺の馬だ! いいな!」
白馬は拓飛を主人と認めたように軽くいななくと、ペロッと拓飛の顔を舐めた。暴れ馬に主人が誕生すると、観衆から喝采が巻き起こり、凰華も拍手をしながらそばにやって来た。
「やったね、拓飛! 凄いじゃない!」
「ヘッ、大した事はねえよ!」
拓飛が得意げに笑うと、凰華は優しい顔になって、
「……ほっとけなかったんだよね、この子が一人ぼっちで」
「バッ……、んなワケねえだろ。コイツが誰も乗せねえって言うから、従わせてやりたくなったんだよ!」
拓飛は照れたようにそっぽを向いた。凰華は白馬を撫でると子供に言い聞かせるように話しかけた。
「もう暴れちゃダメだよ? もう怖くないからね」
白馬は凰華の眼をジッと見つめると、今度は凰華の頬を舐めた。
「白いお兄サン、凄いね! その馬、お兄サンに渡すよ」
彩族の男たちが駆け寄ってくると、関心したように言った。
「タダでいいのか?」
「いいよ、いいよ。最初からワタシたちの馬じゃない。それにワタシたち、馬乗るの上手いヒト、好きね。馬具も渡すよ」
彩族は馬と共に育ち、馬と共に生きる民族である。生活のために馬を売買することはあったが、馬の扱いに長けた者は尊敬の対象であった。
「気に入ったぞ、あんた方。今日は我々の天幕に泊まっていかれるがいい」
一際、頭の布が立派な老人が声を掛けて来た。言葉も流暢で、どうやら彩族の長老のようだ。気付けば、いつの間にか陽も落ちかけている。
「長老いいコト言う! 白いお兄サン、嫁サンと泊まっていく!」
「だから嫁じゃねえ!」
「奥さんじゃないですってば!」
二人は顔を真っ赤にすると、同時に否定した。
大草原に闇の
長老の天幕に招かれた二人には、羊の肉や羊の乳などが振るまわれた。
「肉も美味えけど、この柔けえやつ塩気が効いてて美味えな! 初めて食ったぜ。なんて言うんだ?」
「それは
長老は白く濁った飲み物を勧めてきた。
「なんだ羊の乳か?」
拓飛は碗を受け取ると、ゴクゴクと飲み干した。すると途端に顔が真っ赤になり、バタンと後ろへひっくり返ってしまった。
「拓飛! どうしたの⁉︎」
凰華は慌てて揺するが、拓飛は眼を閉じて全く動かない。
「あなたたち、一体拓飛に何を飲ませたの⁉︎」
「驚いた。こんなに酒に弱い男は初めて見た」
「え?」
「これは馬の乳を発酵させて作った酒だ。そんなに強くはないのだが」
拓飛はガーガーといびきをかき始めた。凰華は安心すると共に吹き出してしまった。
「女の人が苦手で、お酒も駄目。ほんと弱点の多い虎ね」
「もっと話を聞きたかったのだが、こうなっては仕方ない。娘さん、この天幕は今夜自由に使ってくれ」
「え? いえ、あたしは別の天幕で……」
「何を言っている。夫婦なら夫のそばにいてやれ」
「ちょっ、だから夫婦なんかじゃ……」
しかし長老は、凰華の弁明を聞かず天幕から出て言ってしまった。残された凰華は拓飛の様子を窺うが、気持ちよさそうに眠っており、当分起きることはなさそうだった。
「はあ……、父さんにこんな所を見られたら、なんて言われるかしら……」
気が抜けると、先程自分も馬乳酒を飲んだせいか、凰華は催してしまった。仕方なく天幕の外に出ると、柵に繋いであった白馬の姿が見えない。
まさか誰かに連れて行かれてしまったのだろうか? しかし、あの白馬の気性からすれば、不審者が近寄れば鳴き声の一つや二つは上げそうなものなのだが。
そんな事を考えながら凰華が周囲を窺うと、信じられないものが目に入った。
凰華は急いで天幕に戻ると、拓飛を揺すって声を掛けた。
「拓飛! 起きて、大変よ!」
しかし、拓飛はどんなに揺すられようが眼を覚ます素振りすら見せない。焦れた凰華は服の上からではなく、拓飛の顔に直接手を触れてみた。だが拓飛は頬を撫でられても気持ちよさそうにしている。眠っているので、女に触れられても蕁麻疹が出ないのだろうか?
「……
不意に拓飛が寝言を口にした。凰華は何をしても拓飛が眼を覚まさないのも相まって、腹立ちまじりに拓飛の頬に張り手を喰らわせたが、それでも拓飛は眼を覚まさなかった。
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