『帰郷(二)』
「う、嘘よね? 拓飛、そんな事……」
「貴様ら! 何者だ!」
その時、二人の背後から男の怒鳴り声が聞こえてきた。凰華が振り返ると杖をついた身なりの良い老人が立っており、側には従者だろうか、二人の男が控えている。
「クソジジイ……!」
拓飛は苦虫を噛み潰したような顔で振り返った。老人は蝋燭に照らされた拓飛の顔を認めると驚愕の表情を浮かべた。
「お前……拓飛か……? 戻って来おったのか。ここで何をしておる?」
「なんでも良いだろ。クソジジイには関係ねえ」
老人は複雑な面持ちで、視線を拓飛の左腕に移した。
「……左腕は治ったのか?」
「治ってねえよ」
今度は凰華が驚いた。拓飛の左腕の事を知っているとは、この老人は何者なのだろうか。
「……フン、では修行はどうした? おおかた嫌になって投げ出して来たんじゃろう?」
「———ちげえよ‼︎」
拓飛の大声で蝋燭の炎がユラユラと揺れるほどだったが、老人は杖をついているにも関わらず、怯まず泰然としている。
「図体ばかりデカくなりおったが、性根は変わっておらんな。口を開けば虚勢を張り、痛い所を突かれれば大声を出して威嚇する。まるでそこらのゴロツキと同じじゃ」
拓飛はギギギと歯噛みして、血が出るほど強く拳を握りしめている。
「ほう、その拳でワシを殴るか? やはりお前はあの時と何も変わっておらん。白い髪と赤眼に、その虎の腕。忌まわしい……!」
「ちょっと待ってください!」
今にも老人に飛びかかりそうな拓飛だったが、凰華が間に入り待ったを掛けた。
「てめえはすっこんで————」
「拓飛は黙ってて‼︎」
ここまで感情をあらわにした凰華を初めて見た拓飛は、何故か言い返す事ができず素直に引き下がった。代わりに凰華が老人の前に向き直った。
「なんじゃ、お前は?」
「あたしは
「旅の道連れじゃと? こやつの?」
「はい。お爺さん、目上の方に対する無礼をお許しください」
「何?」
老人に対し礼を取ると、凰華は大きく息を吸い込んで、
「————さっきから黙って聞いてればなんなんですか! 白い髪だとか赤眼だとか
「馬鹿もんが。ワシは六十七じゃ。歳を取れば誰でもこうなるわい!」
「そうです! 誰だって、あたしだってお婆ちゃんになれば白髪になるんです! 眼だってそうです! みんながみんな真っ黒じゃないんです! 拓飛はたまたま生まれつきそうだっただけなんです!」
老人は五十は下の娘に言い返され、言葉に詰まってしまった。
「う、うるさいわい! お前はこやつが何をしたか知らんじゃろう!」
「知りません」
「ほれ見た事か。事情を知らん小娘が偉そうに口を挟むでないわ!」
「確かに昔の拓飛の事は知りませんが、
「何じゃと?」
凰華は拓飛に手を向けて、
「確かに拓飛は目つきと口と態度と目つきが悪くて、意地悪で自分勝手だし、ぶっきら棒だし、お金にも汚い所がありますけど、優しい所だってあるんです! いい所だっていっぱい持ってるんです!」
この時、凰華の言葉を聞いた拓飛の胸の中に苦しいような、切ないような、形容できない感情が駆け巡り、全身が温かみを帯びたように感じられた。
「う、うう……」
突然呻き声をあげると、老人は胸を押さえて地面に倒れ込んでしまった。
「お爺さん⁉︎」
「旦那様!」
凰華と老人の従者が介抱するが、老人は呻き声を上げるばかりで何も答えない。
「おい! クソジジイはどっか悪いのか⁉︎」
「はい、旦那様は数年前から胸を患っておられまして……」
従者の返答に拓飛は怒鳴り声を上げた。
「何ボサッとしてやがる! 早く医者を呼んで来い! おめえはクソジジイを部屋へ運べ!」
『は、はい!』
拓飛に指図されると、従者二人は老人を抱えて走り去った。
凰華はいくつもの疑問を拓飛にぶつけたかったが、躊躇している間に拓飛は歩き出した。仕方なく凰華も後に続く。
日が暮れ夜になる頃、拓飛と凰華は屋敷の母屋へ辿り着いた。
拓飛は挨拶もなしにズカズカと屋敷に足を踏み入れた。とても大きな屋敷だったが、またもや拓飛は一切迷う事なく進んで行く。
不思議な事に道中何人もの使用人に出くわしたが、みな一様に驚いた表情を浮かべた後は黙って引き下がって、誰も拓飛を止めようとはしなかった。
やがて一際大きな扉の前に着くと、拓飛は扉を叩く事もなく中へ入る。部屋の奥には今まで見た事もないほどの大きさの寝台があり、先程の老人が横たわっていた。
部屋の隅には数人の使用人が控えており、医者と思しき男が老人の脈を取っていた。
「おい、クソジジイはどうなんだ? くたばるのか?」
配慮の欠片もない言葉を拓飛が言い放った。医者は突然、
「凌旦那様は数年前からだいぶ心臓が弱っております。普段からあまり興奮されるような事は控えるようお伝えしていたのですが……では薬を処方しておきますので、数日は安静になさってください。お大事に」
医者は薬を置いて出て行った。
凰華は医者の言葉に後悔と懺悔の念に駆られた。知らぬ事だったとは言え、霊廟で思い切り老人を興奮させてしまった。
「う、ここは……ワシの部屋か……?」
その時、老人が意識を取り戻した。
「よう、クソジジイ。くたばり損なってなによりだぜ」
「……フン。まだおったのか、クソガキめが」
拓飛がこれ以上老人を興奮させるような事を言う前に、凰華は口を挟んだ。
「お爺さん、さっきは本当にすみませんでした! 身体が悪いのに興奮させてしまって……!」
老人は凰華に眼を向けると、手を振って使用人を下がらせた。
「何をしておる。お前も出て行かんか」
「あ?」
「ワシはこの娘と話がある。お前はどこへなりと行けばええ」
「ああ、そうかよ! クソジジイ、邪魔したな!」
拓飛は扉を乱暴に閉めると出て行ってしまった。凰華は何故自分だけ残されたのか不思議でならない。
「あの……」
「お前さん、凰華と言ったな。ワシは
総元締めと聞いて、なるほどこの広い屋敷の主人というのもうなずけると、凰華は思った。
「あの、あたしに話ってなんでしょう……?」
「うむ、アレの旅の道連れと言っておったが、一体どういう成り行きでそうなったんじゃ?」
「えっと、妖怪に襲われてた所を拓飛に助けられたんです」
「ほう……もそっと詳しく教えてくれんか?」
そこから凰華は拓飛との出会いから今までを、身振り手振りを交えて語り出した。感情表現が豊かな凰華が話すと、笑顔あり涙ありと言った様子で、まるで何かの芝居を観ているようである。
「————って言う感じで、今日この鎮まで来たんです」
凰華が話し終えると凌翁は何度も深く頷いた。
「……そうか、それがワシの知らん
そう呟いた凌翁の顔には先程までの険は無くなっている。
「他人の為に怒れると言う事は容易な事ではない。その者に対して敬意や愛情が無ければ、人は赤の他人の為に怒りは覚えん」
凰華は顔を少し赤らめ否定した。
「あ、愛情って! そんなのありません! 尊敬は……少ししてますけど……」
「ほう、少しか。目上の者に怒鳴り上げるほどじゃったのにのう」
「あ、あの時はごめんなさい! あたしもカッとなりやすくて……」
「いいんじゃ。ワシはあやつの為に怒れる人間が一人でもいてくれて安心した」
凌翁の眼が優しくなった。その眼は父、
「あの、お爺さん。それで拓飛とはどう言う関係なんですか?」
「……アレはワシの娘の
「娘さんの倅って……それ孫じゃないですか!」
「そうとも言うな」
凰華は驚いた。自分の孫と言えば済む話が、こんな回りくどい言い方があるだろうか? いや、驚くべき所はそこではない。
「……ええっ⁉︎ 拓飛がお爺さんの孫⁉︎」
「そう言うた」
「じゃあ拓飛の本名は凌拓飛……? でも拓飛は姓なんか無いって……」
「……そうか、そう言うておったか……」
凌翁は消え入りそうな声で呟いた。
「お爺さん。でも、どうして孫である拓飛にあんなに辛く当たるんですか……?」
「……あやつの顔を見ると、ワシはどうしても娘の事を思い出してしまうんじゃ……!」
そう話す凌翁の顔がまた険しくなった。
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