第七章

『帰郷(一)』

 辛くも霧の樹海を脱出した拓飛タクヒ凰華オウカは再び西へと歩みを進めていた。


 しかし拓飛はキョロキョロと辺りを見回し、落ち着きがない。


「どうしたの、拓飛? さっきからキョロキョロしちゃって」

「いや、なんか、この辺……」


 いつになく歯切れの悪い拓飛を不思議に思っていると、前方から荷車を引いた集団がこちらに向かって来るのが見えた。先頭の馬車には大きな旗がはためいている。


「ありゃ、どっかの鏢局ひょうきょくだな。旗は鷹か……」

「この距離からよく見えるわね。あたしも眼はいい方なんだけど……」

「内功を鍛えれば五感が研ぎ澄まされるからな。……ん?」


 拓飛は何かに気付いた様子だったが、その間にも鏢局の鏢師たちはこちらに近づいて来る。凰華が道の端に寄って躱そうとすると、突然拓飛が一人の鏢師に向かって指差し、


「あっ! おめえ確か———」


 指差された鏢師の男は拓飛に気付くと一瞬にして表情が青ざめ、列を離れると足早にこちらに向かって来た。


「た、拓飛の兄貴じゃないですか! お久しぶりです」


 男は拓飛の側まで来ると小声で話しかけた。三十代くらいに見える屈強な男が、背中を丸めながら愛想笑いを浮かべ、拓飛を兄貴呼ばわりしている。凰華は驚いて二人の顔を見回した。


「やっぱおめえか! 久しぶりだな。荷の護送中か?」

「へ、へい。今は神鷹しんよう鏢局に世話になってまして」

「拓飛、その人は知り合いなの?」


 二人の関係性が気になった凰華がたまらず口を挟む。


「いや、以前まえにこいつとは別の鏢局で一緒に仕事したんだけどよ、そん時こいつがヘマしちまって、俺が尻拭いしてやったんだよ」

「しーっ! 兄貴、声が大きいですって!」


 男は対面を気にして仲間の様子を窺うが、幸い誰にも聞かれていなかったようだ。


「へえ、優しい所もあるじゃない」

「おう、しっかりコレで解決してやったぜ」


 拓飛は親指と人差し指をくっつけると、ニヤリと笑った。


「お金取ったの⁉︎ ……せっかく褒めてあげたのに台無し」


 軽蔑の眼差しを凰華は拓飛に向けた。


「何言ってやがる。男の間じゃ名誉はカネに勝るんだぜ。俺はカネでこいつの名誉を守ってやったんだ。感謝されこそ、文句を言われる筋合いはねえ」

「そうですよ姐さん。拓飛の兄貴のお陰で俺は鏢師を続けられてるんです。カネなんて安いモンです」

「ね、姐さん⁉︎」


 男は拓飛と凰華の関係性を敏感に察知し、この小娘も持ち上げておいて損はないと判断した。官民問わず、他人の機微を感じ取り細やかな気配りが出来る者は出世が早いものだ。


「——で、今は何を運んでんだ? 銀や金じゃなさそうだけどよ」

「あんまり大きな声じゃ言えませんが、茶碗とか皿とかの割れモンですね。ヒビでも入っちまうと台無しになっちまうんで、気を遣いますぜ」

「茶碗だあ?」

「へい、この先の清徳鎮せいとくちんは磁器の名産地でしてね。そこの金持ちから黄京こうけいまで運ぶように依頼されたって訳です」

「セイトクチン……?」


 清徳鎮と聞いて拓飛は表情を変えた。


「知らないの? 清徳鎮の磁器と言ったら有名よ。田舎育ちのあたしでも聞いた事あるもの」

「おっと、いけねえ。仲間に置いてかれちまう。それじゃ兄貴、俺はこの辺で!」


 そう言い残し男はそそくさと鏢局の列に戻って行った。


「……凰華。今日は何月何日だ?」


 不意に日付を尋ねられた凰華は指折り数えながら答える。


「今日? えっと……虎月とらづきの三十日のはずよ?」

「……そうか」


 何かに納得したように拓飛は歩き始める。


「ちょっ、待ってよ拓飛!」


 しかし、拓飛は初めて会った時以上にピリピリした空気を醸し出し、凰華が何を話しかけても反応しなくなってしまった。


 

 数刻後———日暮れ前に二人は清徳鎮に到着した。


 黄州の西部にある清徳鎮は古来より磁器で栄えたまちである。規模はあまり大きくはないが、買い付けに来た商人、工房に弟子入り志願の若者、骨董品の収集家など様々な人種が集まり、鎮は賑わいを見せていた。


「わあーっ、色んな人がいるね! それにお店がいっぱい!」

「………」


 凰華は努めて明るく振る舞うが、拓飛は相変わらず反応しない。


「もう、さっきから一体どうしちゃったのよ? お腹でも痛いの?」

「……そんなんじゃねえ」


 凰華はもう一度問い詰めようとしたが、ふと、鎮の住人の異質な視線に気が付いた。その視線は全て拓飛に向けられているように感じる。


「ねえ、なんか鎮の人が拓飛の事、ジッと見てるような気がしない……?」

「………」


 今まで訪れた街でも拓飛の容貌に驚き、チラ見や二度見をしてくる者はいたが、ここまであからさまにガン見してくるのは珍しい。何見てんだコラと、因縁を付けられてはたまらないはずだが。


「なんだろ……? 今までの街より田舎だから、拓飛の姿が珍しいのかな?」

「凰華。俺はちょっと用が出来た。この通りをまっすぐ行きゃあ、デカい茶館があるから、そこでメシでも食って待ってろ。俺も後で行く」


 そう言い残すと拓飛は大通りから外れた路地へと歩き出した。


「ちょっと待ってよ! 突然どこに行くの⁉︎」


 拓飛は溜め息をついて足を止めると、自分の荷物を凰華に放り投げた。


「今更逃げやしねえよ。そいつを持ってろ。後で必ず受け取りに行く」


 真剣な面持ちの拓飛を見て、これ以上の追求は憚られたが、そこは生来のおせっかい焼きである。


(拓飛は何か隠してる。何か危険な事かも知れないし、あたしが陰から見守ってあげなくちゃ!)


 凰華は何か事情がありそうな拓飛の後を尾行する事に決めた。


 

 野生の虎は獲物を追跡する事はあっても、自らが追跡される側になる事はない。


 数十丈前の白い若虎は尾行に気付く風でもなく、悠然と路地を歩いている。凰華は自分に尾行の才能があった事に満更でもない。


 少し進むと、拓飛は小さな商店に入った。看板を見ると『民明書房』とある。どうやら書籍や雑貨を扱う店のようだ。およそ拓飛と本が結びつかない凰華は首を捻る。

 程なくして拓飛が店から出てきたが、手には何も持っておらず、そのまま、また歩き出した。


 拓飛の足はどんどんと鎮の外れに向かっており、人通りはまばらになっていく。姿を隠せる障害物も少なくなってきて、凰華も尾行に苦労しだしたが幸いまだ気付かれてはいないようだった。


 夕陽が落ちかける頃になると、郊外に大きな屋敷が見えてきた。あの張豊貴チョウホウキの屋敷も立派なものだったが、門構えや屋根の意匠などこちらはそれ以上である。

 ここが目的地なのかと凰華は思ったが、拓飛は大門を通り過ぎてさらに歩き出す。屋敷の東側へ回ると、何とヒョイっと塀を乗り越えて敷地内に入ってしまった。


 まさか拓飛は斉天大聖セイテンタイセイのように盗みを働くつもりなのだろうか? であれば自分が拓飛を止めなければいけない。凰華は逡巡した後、塀をよじ登り拓飛の後を追った。


 屋敷の敷地内はとても広大で、迷路のように建物が入り組んでいた。しかし、拓飛は迷う様子もなく、幾重にも建物の角を曲がり進んでいくと、やがて大きな霊廟へ辿り着いた。


(ここって霊廟……? まさか拓飛ってば、副葬品を盗むつもりじゃ……?)


 叱責の声を上げようとした矢先、突然拓飛が振り返った。


「おい。おめえの尾行はバレバレなんだよ。出てこい」


 まさか尾行が気付かれているとは思わず、凰華の心臓はキュッと縮み上がった。隠れていた物陰から、拓飛と二度目に出会った時のようにおずおずと姿を現す。


「……ごめん。いつから気付いてたの……?」

「最初っからだ。猫でも、もうちょいマシな尾行すんぞ」


 拓飛としては最初から尾行に気付いている感を出していたが、凰華はそれすら気付かず、呆れ果てて尾行をやめさせる気力も失せていたのである。


「もういい。ここまで来ちまったんならしょうがねえ」


 吐き捨てるように言うと、拓飛は霊廟の扉の鍵を内功でいとも簡単に破壊してしまった。


「ちょっ、拓飛! 何してるのよ!」

「黙ってろ」


 中に入ると棺と位牌があり、位牌には『愛娘凌玲蘭之位牌』と書かれていた。真新しいお供物そなえものや蝋燭にも火が灯っており。先ほどまで人がいたように思える。


 拓飛は懐から紙包みを取り出した。あの書房で買った物だろうか。包みの中は線香と紙銭であった。

 どうやら拓飛はここにお参りに来たようだ。凰華は安心すると共に、疑いの念を抱いてしまった己を恥じた。


「ごめんなさい! 拓飛! あたし何て馬鹿な勘違いを……!」

「別にいい」


 拓飛は蝋燭から紙銭に火を点け、線香を供えると眼を閉じ、手を合わせた。凰華も拓飛にならい手を合わせる。

 凰華は、今まで礼儀作法に無頓着だった拓飛が、ここまで敬意を表すこの凌玲蘭リョウレイランと言う女性が気になった。


「拓飛、これ誰の位牌なの……?」


 突如強い風が入り口から吹き抜け、蝋燭の火が揺らめき、拓飛の顔に影を刺した。


「……俺のお袋だ。俺が殺した———」

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