第28話 乱入
局員たちは顔を見合わせた。彼らは少しの間話し合うと、「貴様はここで大人しくしていろ!」と言い、見張り一人を残してバタバタと出て行った。
「これは……」
レナは当惑していた。カミルは興奮したように、レナの膝に飛び乗った。
『近づいて来るぜ……! 革命の足音が!!』
『ええ? 革命?』
『おうよ!』
しばらくすると、見張りの局員にも連絡が入った。
「貴様も来い!」
「し、しかし、処刑は……」
「そんなことをして現場を押さえられてみろ、貴様が殴られるぞ!」
「ヒイッ!?」
局員は慌てふためいて出てゆき、レナはぽつんと取り残された。
「ええと……」
レナはカミルを見た。
「私、まだ死ねないってこと?」
「そういうことだな!」
「あらまあ……」
てっきりここで全てが終わるものと思っていたがそうではないらしい。とはいえ、手錠をされたままではここから出ることもできない。どうしたものかと白い扉を見つめていると、「ウオオオオ!」という雄叫びのような音が聞こえてきた。間も無く、ガチャッ、と扉が開けられる。
「いたわ! 危ないところだった!」
乗り込んできたのは私服の一般人らしき人々だった。非暴力でここまで侵入してきたのだとしたら天晴だ。部屋に入ってきたのは三人、廊下にはまだ十数人は侵入してきているらしく、あちこちがドタドタと騒がしい。
「この人は私が。二人は他を回って!」
「了解!」
後に残ったのは二十代半ばの娘だった。マヤが生きていたらこれくらいの年齢だろうかとレナはぼんやり思った。
「……何事?」
レナは尋ねた。
「革命よ!」
彼女は歩み寄ってきて、レナの腕を支えて立ち上がらせた。
「私たちは現政権を倒す! そのためにまずは刑務所を占拠しているのよ」
「はあ……」
「あなた、名前は?」
「……レナ・ステンシル……」
「え? ウッソ!?」
そのプラチナブロンドの若い娘は、素っ頓狂な声が上げた。
「マヤのお姉さんと同じ名前だわ……!!」
レナの思考は一瞬凍結した。
「えっ、あなた、マヤを知っているの?」
「もちろん、私はマヤを知っているわ! 良かった、あなたが見つかって! 私たちはずっと探していたのよ。キャーッ、奇跡みたいな巡り合わせだわ!」
「あなたは一体……」
「私はオリヴィア・フロレック。ヴァソヴィオ大学の『スズランの会』の幹部の一人よ。マヤにはとってもお世話になったわ!」
レナは、膝から崩れ落ちた。それから、床に大粒の涙をこぼし始めた。
「どうしたの、レナ」
「……嬉しいの」
レナは洟をすすった。
「あの子の遺志を継ぐ人に出会えて」
「私だけじゃないのよ」
オリヴィアは得意気に胸を張った。
「マヤに勇気づけられた人は、パルラント全土に山ほどいるんだから!」
「はい……?」
「あなたは姿を消して以降、地下出版を入手できていなかったようね」
オリヴィアは肩にかけた鞄の中から、くしゃくしゃの雑誌を取り出した。開かれたページには、血を流しているマヤを抱えてうずくまる、制服姿のレナの写真が載っていた。
「デモ隊と保安局員、涙の邂逅。二人の関係は?」
「な、何これ……」
「検閲がかからないって便利ね、こういう惨劇の写真も載せられるんだから。この写真は当時から結構な波紋を呼んでいたらしいわよ」
レナはポカンと口を開けて、自分についてあれこれ憶測を書いている記事を見つめた。オリヴィアは話を続けた。
「戒厳令の布告された日に犠牲になった人を悼む人はたくさんいるわ。中でもマヤのことは有名になったわね。勇敢なる学生の遺志を継げと、パルラントじゅうの国民が奮起しているのよ」
「まあ……」
「戒厳令の敷かれている間じゅう、『聯帯』の地下活動を支えていたのも、彼女たちの犠牲を許せないという国民の怒りの感情よ。そして、ソヴェティアの圧力がなくなってからというもの、戒厳令を解除しろだの、政治犯を釈放しろだの、政府に働きかけていたのも『聯帯』のたち。お陰で私も刑務所から出られたってわけ!」
「……マヤ……」
「マヤの志は無駄じゃないわ。マヤの命は無駄にはならない。私たちは必ず革命を成功させて、この国に民主主義を取り戻すんだから!」
さて、とオリヴィアは、雑誌を畳んで鞄に仕舞った。
「改めて訊くわ。あなたには革命に協力する気があるかしら、レナ・ステンシル?」
レナは、またしてもあふれ出ようとする涙をグッと飲み込んで、大きく頷いた。
もはや迷いは無かった。
マヤの悲願である革命が成功しようとしている。自分はその陰でひっそり消える定めだと思っていた。ところが他でもないマヤの遺志を継ぐものが、レナを連れ出してくれるというのだ。
この手を取らない理由などあるだろうか。
「するわ。協力します。それがあの子の願いだったもの……!」
「よろしい!」
オリヴィアはもう一度レナを助け起こした。
「ここに勤めていた人が味方になってくれて心強いわ! 他にも人がいそうな場所を教えて欲しいの。既にパルラントでは政治犯の三割が解放されたけれど、まだまだそれじゃあ足りないわ。不当に逮捕された人をみんな釈放させるたいのよ」
「任せてちょうだい……ここのことで知らないことは無いから」
「頼もしいわね!」
レナはまず、オリヴィアに頼んで、縛り上げられた局員のポケットから鍵を取り出してもらい、手錠を外してもらった。それからは早かった。この刑務所がどこをどう押さえられると困るのか、レナは詳細に把握していたから、必要な情報は全てオリヴィアに伝えた。オリヴィアは革命デモ隊の中枢と連絡を取ると、たちまち刑務所の制圧を成功させてしまった。マヤの仲間なだけあって、見事な手腕であった。
この後、数日にして、ヴァソヴィオ市内で拘束されていたほとんどの政治犯が革命軍の手に渡った。規模を一挙に拡大させた彼らは、政府に更なる圧力をかけ、パルラント全土において政治犯の全てを釈放することと、「聯帯」を再度合法化させることを迫った。
一部の政治犯を釈放することで国民を宥めようとしていた政府の目論見は外れた。政府は革命デモ隊の要求に従わざるを得なくなった。
かくして、「聯帯」は再び日の目を見ることとなった。新たに釈放されたヴァレンサを中心に、クダンスコで「聯帯」再結成の集会が開かれた。一九八六年九月のことだった。
レナはオリヴィアに保護されて、フロレック宅に身を寄せていた。オリヴィアの両親もまた拘束されていたのだが、今回の革命軍の働きによって二人とも家に帰ることができていた。
フロレック夫妻は比較的健康体であったが、レナは少し弱っていた。独房にいた間は医者に処方されていた薬を断たれていたせいで、体に不調をきたしていた。保護されてすぐにレナは思うように体を動かせなくなり、寝込んでしまった。
フロレック家の三人は良心的だった。近所の精神科医を調べてもらい、レナは再び薬を購入することができた。決して安くはなかったが、幸いなことに保安局員時代に稼いだ金が役に立った。入院している間にかなりの額が減っていたが、当分の間はこれで生活していけるだろうと思われた。
数週間後、レナはまともに食事を摂ることができるようになっていた。体力も回復し、表情もいくぶん明るくなった。
「あなたが元気になったら会って欲しかった人がいるのよ」
ある日オリヴィアは言った。
「私に……?」
「ええ。『スズランの会』の幹部の一人で、名前はユリアン・カルダスっていうの。マヤの恋人よ」
レナは目を丸くした。
「……あの赤毛の子かしら?」
「あら、会ったことがあるの?」
「ええ、一度だけ……。彼も無事なのね?」
「大怪我をしたらしいけれど、今は元気よ。会ってくれる?」
「それは、是非とも」
「じゃあ、電話しておくわね」
オリヴィアは朗らかに笑った。
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