第27話 空虚


 病院での、空虚な日々が始まった。

 医者は様々な飲み薬を手を替え品を替え提供してくれたが、その努力も虚しく、レナは日に日に衰弱していった。本人に治るつもりがないのだから当然と言えば当然だった。

 医者は、話し合いによる治療も試みたが、レナは全くと言っていいほど、医者に心を開かなかった。


 レナは日がな一日ぼうっとしているか、カミルと歌って遊ぶかして過ごしていた。

 小さな手を取って、口ずさむ。


 湖のほとりの木の上で

 二羽の小鳥が歌っています

 ラララ トラララ

 ララララ トララ


 一羽目の小鳥が言いました

 「お嬢さん、あなたを守ると神かけて誓います」

 ラララ トラララ

 ララララ トララ


 二羽目の小鳥が言いました

 「愛しい人、私はもう行かねばなりません」

 ラララ トラララ

 ララララ トララ


 その後で少し涙ぐむのが、レナの癖になっていた。カミルはいつもレナの肩によじのぼって、涙を拭ってくれる。

 そんな平坦な日々を過ごして、五年の月日が経った。レナは、三十路を迎えようとしていた。

 あの惨劇の日以来、共産党の強権的な支配はパルラントを再び掌握してしまっていた。デモは完璧に鎮圧されたし、「聯帯」は公の場から姿を消したままだし、戒厳令は解除されないままだ。

 レナの病状は良くも悪くもならず、なおかつ死ぬこともできずに、未だ病室に閉じ込められていた。

 相変わらず歌を歌って過ごしている。


 星の瞬く真夜中に

 君を思って僕は泣く

 夢を見たんだ 幸せな夢を

 君に出会った日の夢を


 こんにちは、はじめまして

 星が煌めくあの夜に

 僕は君に出会ったんだ


 月の昇った真夜中に

 君を思って僕は泣く

 夢を見たんだ 悲しい夢を

 さよならをした日の夢を


 さようなら、ありがとう

 次の輝くあの夜に

 僕は君を失ったんだ


 さて、昼ご飯の時は、食堂に連れ出されるのが日課だった。他の患者との交流による症状の改善、および情報交換によって社会との繋がりを保つことが目的だった。レナは特に誰かと話すこともなく、ただただ目に映るテレビのニュース映像を見るともなしに見ながら、出された食事を機械的に口に詰め込むのだった。残してしまうことも多々あった。


 その日のニュースはいつもとは違っていた。


「新しくソヴェティアの最高指導者に就任したゴルドバ氏は、大幅な改革案『建て直し政策』を実施すると発表しました。ゴルドバ最高指導者は、これまでの共産党一党独裁によってソヴェティアの経済が硬直していたと発言、以後は市場経済の導入および改革派の登用も視野に入れると表明しており、各方面で波紋が広がっています」


 食堂にざわめきが広まった。レナは瞬きをした。


 ソヴェティアが動いたということは、東側諸国の体制も大きく動揺することになるだろう。

 この閉鎖的な病院で停滞した日々を送っているレナにはあまり関係のないことだが、マヤがこの知らせを聞いたら喜んだかもしれないと思うと、画面から目が離せなかった。

 カミルが食堂の机の上に現れたかと思うと、画面を食い入るように眺め始めた。この小人には家族のことはたまに予知できるが、それ以外のこととなるとてんで疎いのだ。


『これは国が変わるってことだよな?』

『そうかもね』

『そいつはいいことだなあ』

 カミルはにこにこしたが、直後、少し顔を曇らせた。

『どうかしたの?』

『……いや、何でもねえ』

 カミルはひょいっと机から飛び降りてその場を去った。


 それからというもの、情勢は急激に変化していった。

 ゴルドバは経済改革の波に押されて、政治改革にも着手せざるを得なくなった。ある日、「ソヴェティアは、いかなる国家との関係においても、軍事力による脅迫およびその行使を極力控える」という見解を発表した。

 これはとんでもないことだった。以後、東側諸国の中で何か体制を揺るがす動きがあったとしても、ソヴェティアやMTOは軍事介入をしないということだ。先代最高指導者ベネフの言っていた制限主権論とは真逆である。ソヴェティアは事実上、東側諸国の共産主義体制の維持を否定した。各国を縛る鎖は無くなった。これからは、「ベルリーノ暴動」「マージャ動乱」「プラゴの春」の時のような悲劇は起こらなくなる。

 そして、パルラントにも変化の兆しが訪れた。

 パルラント共産党第一書記ヤーゼルは、ついにパルラント全土の戒厳令を解除した。


 レナは複雑な思いでそのニュースを見ていた。

 テレビの報道そのものも、入院当初に比べて格段に多様になっていた。検閲や規制が緩和されたのに違いない。

 画面には、戒厳令の解除を喜びお祭り騒ぎをしている人々の様子が映し出されている。

 やがてレナはそっと目を背けて立ち上がった。


 その日の二日後の夕方、レナの病室に保安局員が二人現れた。

 レナは荷物をまとめさせられ、以前勤務していた刑務所の尋問室に連れて行かれた。


「長期休養中のレナ・ステンシルで間違いないな」

「はい。ご無沙汰しています」

「貴様の解雇が決まった。それに伴い、今から略式の裁判を行う」

「はい」

「保安局は、被告人レナ・ステンシルを、任務において重大な失態を犯し国家に反逆した罪により、処刑する。異論のあるものは挙手を」


 もちろん、誰もいなかった。

 共産党一党独裁体制が揺らぎ始めてから、この流れはある程度予測できていた。

 まもなく保安局は大幅に改造されるのだろう。その前に都合の悪い人間は消しておかねばならない。

 まともな任務についていた者なら、あるいは自分で自分の秘密を守れるような者なら、問題は無かっただろう。だが、他人様に言えないような非公式の任務を担っていた精神病人など、いちはやく抹殺されるに決まっているのだ。


「全会一致で貴様の処刑が決まった。この書類に署名を」

「はい」


 レナはあらかじめ全てきちんと用意されていたのであろう解雇通知の書類の末尾に、しっかりと署名をした。


「執行まで独房にいることを許可する。連れてゆけ」

「はっ」


 レナは静かに立ち上がり、局員についていった。

 ガチャンと鉄の檻が閉められて、レナは溜息をついた。


『こりゃひでえや』

 カミルがコンクリートの壁にもたれかかっていた。

『引っ越すたびにひどくなると思っていたけど、今回は史上最悪だな』

 レナは小人を抱き寄せた。

『珍しいのね、カミル。私が処刑される未来は見えなかったの?』

 カミルは灰白色の髪の毛をくるくるといじった。

『なんというか……全く分からなかったわけじゃないんだ。ただ、確定じゃなかったから』

 レナはほんの少し笑った。

『ここまできたら、さすがに確定でしょう』

『どうかな。最後まで希望を捨てちゃ駄目だぜ』

『どういうこと?』

『……よく分からないや』

『そう』

 レナはカミルの帽子の頭を撫でた。


 その後、特に何も起こることはなく、無事にレナは死刑執行の日を迎えていた。無論、死刑と言っても公式のものではない。保安局内部で秘密裏に行われるものだ。かつてレナが行なったようなもの。


 後ろ手に手錠をかけられ、処刑場に連行される。ただ黙って廊下を歩く。

 見覚えのある白い扉が開けられ、冷たく殺風景な部屋が現れた。

(ああ、やっと死ねる)

 レナが大人しく座り込むと、カミルが現れた。カミルはレナの足に縋りついて、顔を伏せた。


「これより囚人番号一九九八、レナ・ステンシルの処刑を執り行う。何か言い残すことは……」


 ピーッ、と無線機の音がした。局員が顔をしかめて制服から無線機を取り出す。


「今は取り込み中だ。後で……」

「同志! 大変です! 今しがた──」


 その声は引っくり返っていた。大慌てしているようだった。

 レナはカミルの顔を覗き込んだ。レナを見上げたカミルは、ニヤッと笑った。


「──暴徒が! 刑務所内に侵入しました!!」

「何だと!?」

「至急、応援を頼みます!」


 ほぼ同時に、緊急時の警報がけたたましく鳴り響いた。

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