第24話 行進


 戒厳令が布告された。

 こんな不当なことがあるだろうか。戦争状態でもないのに。

 このままでは全てが水の泡だ。マヤたちが活動を続けてようやく手に入れた権利、積み上げてきたものが、一日にして崩れ去ろうとしている。確かに最近の「聯帯」は、やりすぎだったけれど、全部潰されてはたまったものではない。何とかして少しでも成果を残さねば、今までのことがみんな無駄になってしまう。


 少しでも何かできることをしなければ。民主化活動は滅びないということを、精一杯に示さなければ。さもないと、パルラントに未来はない。ここで声を上げない限り、民主化への道は永遠に絶たれる。


 クダンスコにて、一夜にして、多くの中心的メンバーは捕らえられてしまった。

 今こそ、首都ヴァソヴィオが、立ち上がらなくては。

 私が、「スズランの会」が、やらなくては。


 マヤはヴァソヴィオ大学の学生有志をとりまとめて、デモの引率を始めた。マヤたちは早い段階で大学を出発し、じきに、より大規模なデモ隊と合流した。

 マヤは列の先頭付近で、みんなを鼓舞していた。


「戒厳令の撤回を!」


 マヤは大きな声で言った。


「ヴァレンサ議長を釈放せよ!」

「『聯帯』に自由を!」

「国民に人権を!」


 みんなも口々に叫ぶ。


 デモは大盛り上がりを見せていた。国民の大多数が「聯帯」に加盟していたものだから、「聯帯」の非合法化や幹部たちの拘束に不満を持たないはずがなかった。そもそも「聯帯」には何の咎もないはずなのに、急に罪人扱いされるなど、道理が通らないではないか。

 検閲、身柄拘束、専制がまた始まるのも御免だった。あの息が詰まるような、誰かの裏切りに終始怯えて暮らすような生活はもう嫌だ。当たり前の生活をしたい。もっと自由で、愛にあふれた、人間らしい生活を。

 民主化はパルラント国民の悲願。長き苦難の歴史から解放される好機を、今ここで取りこぼすわけにはいかない。

 「聯帯」は軍による統制などには屈しない。その力を見せつけてやる。


 やがてデモの行列は、古い宮殿を用いて建てられた市庁舎の前に差し掛かった。

 角を周って市庁舎が見えた途端、デモ隊は、恐怖の光景を目にして、大きくざわめいた。


 道の反対側には、武装した民警機動隊の面々が待ち構えていたのだ。

 見ればすぐに分かる、あの忌々しい黒のヘルメット姿。その手に光るのは銃。


「来た……!!」


 デモ隊と機動隊は睨み合いになった。

 デモ隊は進む足を止めて、機動隊と一定の距離を保ちながら、高らかに主張する。


「我々が求めるのは当たり前の民主主義だ!」

「これは平和的なデモだ。それなのにお前らは、暴力をもって答えるのか!」

「政府と話し合いをさせろ!」

「こんなやり方は無茶苦茶だ! 横暴だ!」


 「そうだそうだ!」マヤは果敢に身を乗り出して叫んだ。その手を、ぎゅっと掴むものがあった。

 デモ隊の前を大回りして、マヤのもとに駆け付けてきた人。


「ユリアン!」

「マヤ! 見つけた!」


 彼は息せき切っていた。必死の形相だった。


「他のみんなは?」

「置いてきた。ねえマヤ、今すぐデモを抜けるんだ。ここは危険だよ!」


 これまで共に戦ってきた恋人の思わぬ反対に、マヤは愕然とした。


「な……何を言っているの? 私がいなくなるわけにはいかないでしょ。今日が正念場だっていうのに」

「民警機動隊が銃を持っているのが見えるだろう! 奴らは本当に撃ってくるよ!」

「だからってあんな脅しに屈したらデモの意味が無いじゃない」

「だって」

「ねえユリアン」


 マヤは、周囲の声が一層大きくなっていく中で、ユリアンの顔をまっすぐ見つめて語りかけた。


「一緒に民主化を成し遂げようって言ったよね? 私たち、この国が変わるまで諦めないよね?」


 ユリアンは悔しそうな顔をした。


「嫌だ。行っちゃ嫌だ。僕はマヤに死なないで欲しいんだよ」


 マヤはたまらない気持ちになった。マヤを気遣ってくれるのは嬉しいが、ユリアンにはマヤの意志を尊重してほしかったのだ。一緒に戦うと言って欲しかった。これまでずっと一緒に走ってきていたのに……ここへきて、こんな風に止められるとは思っていなかった。


「そんな及び腰じゃこの国は何も変わらないよ」


 マヤは訴えた。


「マヤ」

「私は屈しない。恐くないもの。あなたが止めても、私は進む!」


 ユリアンは、俯いて、少し考え込んだ。

 それから、マヤの体をぐいっと後ろに押しやって、自らが前線に立った。


「そういうんだったら、マヤのことは僕が守る」

「えっ」


 その時だった。

 ダダダン、と空気を裂く音がした。

 民警機動隊が、ついに発砲したのだ。


 悲鳴が上がる。デモ隊は恐れをなして一斉に後ずさった。機動隊が距離を詰めて来る。

 ユリアンがマヤのことを庇いながら、マヤを退避させようとした。


「早く逃げ……」


 言いかけたユリアンがくずおれた。くるぶしに凶弾が当たったのだ。


「いやだっ、ユリアン!!」

 マヤは叫んだ。

「僕のことはいいから! 早く下がって!!」

 ユリアンは顔をしかめながらもよろよろと立ち上がった。足を引きずりながら、マヤを連れて退こうとする。ところがバランスを崩してまた転んでしまった。


 銃声はまだ止まない。


 マヤは急いでユリアンを助け起こそうと屈み込んだ。その時、マヤの足に何かが引っかかり、マヤもころんと転んでしまった。

 その真横、さっきまでマヤがいたところの地面に、銃弾が命中した。

「え?」

 見ると、ドモヴォーイがいつかのように、マヤの足にしがみついていた。

「助けてくれたの?」

 ドモヴォーイはしきりにマヤのスカートを引っ張る。戦線を離脱させようとしているらしい。

「待って、どうしても助けなくちゃいけない人が」


 マヤは顔を上げた。既に怪我人は続出していた。倒れ込んでいる人が何人もいる。灰色の道路に赤色が散りばめられている。

 そして、ユリアンの腕からまたも血飛沫が上がった。マヤはこの世の終わりのような悲鳴を上げた。


「いやだ、やめて!」


 幾人かの勇敢な人が走り出てきて、ユリアンや他の怪我人を持ち上げて連れ去ってゆく。彼らは横断幕を引きちぎり、すぐさま止血にかかった。

 マヤは唇を引き結んだ。ユリアンのことはあの名も知らぬ人々に任せよう。今は退避だ。

 立ち上がり、急いで後ずさる。鳴り響く銃声で耳が痛い。


「こんなことをするなんて、私はあなたたちを絶対に許さない!!」


 その瞬間、マヤの体は後ろ向きに吹っ飛んだ。


(!?)


 時間がとてもゆっくりに感じられた。


 宙を舞う身体。衝撃で吹き飛ばされたのだと瞬時に理解する。脇腹。左脇腹を撃たれた。血が出る。仰向けに地面に激突する。息が詰まる。起き上がれない。全身から力が抜けて行く。

 ――これは、駄目だ。


(どうしよう、私はまだ、戦わなければならないのに)


 この身が焼き切れそうに痛むのは、傷のせいだろうか、それともかつてない焦燥感のせいだろうか。最悪の事態だ。このままでは無辜の市民が虐殺される。


(せめてこれ以上は撃たないで)


 ところが、それを最後に、銃声が徐々に止んでいった。


(なに……?)


 見ると、一台の黒い車が、機動隊とデモ隊の間に割って入ってきていた。

 バンッと車のドアが開く。中から一人の保安局員が出てきた。


 その局員は——その人は、一直線に、横たわるマヤのもとへと走ってくる。マヤは一生懸命に首をもたげてその人を見た。

 彼女はしきりに何か叫んでいる。その目に光るのは涙。


「――マヤ!」


 懐かしい声が耳朶を打った。

 その腕がマヤを抱き上げた。


 ああ、レナは戻ってきたんだと思った。

 よかった、レナが元の優しいレナに戻ってくれて。


「レナ……おかえり」


 マヤは呟いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る