第22話 戒厳


 MTOによる軍事演習がパルラント国内で行われてからというもの、パルラントとソヴェティアの間の軍事的緊張は極度に高まっていた。レナは、今にヴァソヴィオに戦車と兵士が乗り込んできて、血の惨劇が繰り広げられるのではないかと、気が気ではなかった。


『カミル、予言は無いの?』

 度重なるレナの質問に、カミルはしきりに首を傾げた。

『うう〜。何かとんでもねえことが起こりそうな予感はするんだけど……確定じゃねえし。何がどう転がるのか、おいらには分からないや』

『そう』


 そんなやりとりをしてから数日後の十二月某日、レナは普段とは違った業務を命じられた。

 反社会主義者への「再教育」は一旦停止。二日後の深夜零時以降の新規の投獄に備えよ。当日は、「ヴァソヴィオ東駅」に向かい、「ヴァソヴィオ中央駅」へ護送される囚人たちを警護および管理すること。その際、軍部および民警機動隊との連携を滞りなく行うこと。


(軍部……?)


 新任の第一書記ヤーゼルが、ソヴェティアにやられる前に何か行動を起こす気なのだと、すぐにピンときた。ヤーゼルは軍との繋がりが強い。


(「聯帯」の活動家たちを捕らえるつもりか)


 勤務地として指定されたヴァソヴィオ東駅は、国鉄のヴァソヴィオにおける主要三駅の一つであり、ヴァソヴィオとクダンスコの町を繋ぐ駅でもある。「聯帯」発祥の地である北方の町クダンスコには、現在「聯帯」の幹部たちが集っているというから、標的は彼らでまず間違いない。今なら一網打尽にできる。そしてその一部をはるばる列車でヴァソヴィオにまで連行してくるということだから、これはかなり大がかりな捕り物になるのだろう。


(それにしても、何の罪で? どの法律を適用する?)


 「聯帯」は合法的な組織だ。そのメンバーを何の罪科も無く逮捕することはできない。法を無視して強引に連れ去ることはできるが、後からどう説明するつもりか。


 ヤーゼルのことだ、無策ではないはずだが、策の内容は本当にごく一部の者にしか知らされてないはずだ。仕事を任される保安局員のレナですら、どんな計画なのかちっとも知らないのだから。

 さぞや危なっかしい策略なのだろう。全くもって穏やかではない。


 しかも、民警機動隊まで配備するという。

 残虐非道で知られる彼らは、かつてパルラントを占領したジェルマ帝国の秘密国家警察にたとえられるほどだ。有事には棍棒や銃火器の所持さえ認められており、彼らはそれを躊躇いなく用いる。

 こうなってくると、ヴァソヴィオで怪我人が出ないとも限らない。

 レナは不安感が胸を覆うのを感じて、眉間に皺を寄せた。


(心配だわ。危ないことにならないといいけれど)

 

 それからレナは、刑務所の新規入所者受け入れのための諸々の準備に奔走した後、明日以降の任務に備えて仕事を早引けした。

 宿舎に戻ってすぐに、カミルの名を呼ぶ。だが今日に限って彼は、出てきてはくれなかった。マヤのところにでも行っているのだろうか。

 カミルの予言も万能ではない。いつも有事の際に何かを忠告してくれるわけではないのだ。

 諦めて着替えをし、いつもの教会に出かける。


 ステンドグラスの光の中で、数人の信者が、何も知らずにお祈りしていた。

「主よ、どうかパルラントをお守りください」

 レナは発言の主を横目でちらりと見た。

 ……明後日、ヤーゼルがもし上手くやれば、パルラントという国家やその国民の命は、ソヴェティアという外敵から守られるだろう。

 人権やら尊厳やらがどうなるかは知らないが。


 そして、当日の夜更けが訪れた。今頃クダンスコでは、作戦が断行されているはずだ。逮捕者がヴァソヴィオに着くのには七時間はかかる。レナは少し眠って、明け方の五時ごろに指定された駅へと車で向かった。

 保安局専用の車の中で、ラジオの放送を聞く。


「臨時ニュースをお伝えしています」

 アナウンサーの声は緊迫していた。

「パルラント共産党のヤーゼル第一書記は、本日未明、パルラント全土に戒厳令を発令しました。それと同時に、軍は『聯帯』の非合法化を決定し、ヴァレンサ議長含む『聯帯』加盟者およそ五千人を拘束……」


「ハア?」


 レナは思わず声を上げた。


「五千人だと? いやそれより、戒厳令って……」


 国を統治する権限が丸ごと軍部に渡ったことになる。これなら確かにヤーゼルの一存で「聯帯」を非合法化できるし、大量の逮捕者を出せる。普通なら戦争状態にでもならない限り戒厳令など布告できないはずなのに、ヤーゼルはそれを敢行した。これほどまでに迅速に実行に移せたのは、ヤーゼルが軍人上がりであるからこそだろう。

 もちろん「聯帯」側からは非難されること請け合いだった。戒厳令を発令した正当性なども、まともに説明できるとは思えなかった。だが戒厳令には、そういった反対意見や正論をも、強制的に押さえつけることができるような効力がある。反対する者は片っ端から拘束すればいいのだから簡単な話だ。

 おそらくこれで、「聯帯」の活動はほとんど完全に封じられた。目立った活動をすれば即刻逮捕。出版物も全面的に発禁。デモやストライキも違法行為。活動家たちにできることがあるとすれば、地下活動に逆戻りすることくらいだが、それすらも徹底的に叩かれるだろう。

 共産主義体制に入れられたひび割れは、今再び閉じられた。


 やがてレナは駅に到着し、現地を張る局員らと合流した。

 打ち合わせをして、周囲を固める。

 朝七時ごろ、逮捕者を乗せた特別便が、プラットフォームに停車した。


(何だこれは)


 レナは護送される人数の多さに目を回していた。てっきり逮捕者の中でも特に重要と思われる人物を密かに連行するものと思っていたが、深夜の特別便で運ばれてきた人数は、ゆうに百人を超えていた。


(多い、多すぎる)


 逮捕者の中には怪我をしている者もいるのが気がかりだった。額から血を流していたり、足を引きずっていたり。民警機動隊の仕業に違いない。


(一晩でこれだけの怪我人と逮捕者を出すなんて)


 クダンスコは大変な大騒ぎになっているに違いなかった。

 ヴァソヴィオ東駅に配備された人員もたちまち手一杯になった。

 全ての逮捕者を無事にヴァソヴィオ中央駅へと送り出して以降も、レナたちの仕事は続いた。騒ぎに気付いた市民が暴れ出すことのないよう、軍や機動隊と協力して、車で哨戒を続けるように指示を受けている。

 レナは部下の運転する車に乗り、朝の町を巡回していた。町じゅうが物々しい雰囲気に包まれている。


「MTO軍によるパルラントへの軍事介入は回避できるだろうな」

 レナは呟いた。

「え? そうなんですか、先輩」

「貴様は少しは頭を使って考えられないのか。ソヴェティアは『聯帯』が東側諸国の共産主義体制を揺るがしうるものだと言って、名指しで非難していただろうが」

「そうですけど……。ああ、なるほど。パルラントが自分の力で『聯帯』を抑えてしまえることが証明できれば、ソヴェティアが攻めて来る理由も無いですもんね」

「そのくらい己で気づけ、馬鹿者が」

「す、すみません」


 とにかく、ヴァソヴィオの町が血に沈むことはないと思っていい。国民の勝ち得た権利と引き換えにして、国民の命は守られた。

 心配いらない。これならマヤの身に危険が迫る可能性も低いはず──


『レナ』


 いきなり、ドモヴォーイが膝の上に現れた。


(なっ!?)


 部下の手前、辛うじて真顔を保ったが、不吉な予感にレナの心臓の鼓動は一気に跳ね上がった。

 果たして、小人は泣きそうな顔で告げた。


『今日、マヤが死ぬ』


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