第20話 旅行


「それで、お姉さんとは一緒に聖誕祭を過ごさなかったんだね」

「当然!」

「当然かぁ」

「もう知らないもん。あんなひどい奴になるなんて」

「うーん」

「そんなことより、ねえ、楽しい話をしようよ。お土産には何が欲しい?」


 マヤとユリアンは、列車に乗って、パルラント南部の町クラコヴォを目指していた。

 冬季休暇を利用して、「聯帯」に属する他の学生団体と交流を深めるというのが目的だが、ついでに二人で旅行でもして来いという仲間たちの計らいでもあった。


 昔からパルラント王国の中心として栄えていた古都クラコヴォ。その街にあるクラコヴォ大学の起源は、何と中世にまで遡る。今でも学力レベルはパルラントでダントツの一位。万年二位のヴァソヴィオ大学代表のマヤたちとしては、相手にとって不足なしといったところだ。


 クラコヴォ大学の前に着くと、「クラコヴォ大学学生自治会」の面々が迎え入れてくれた。構内の空き部屋に案内されたマヤとユリアンは、クラコヴォの学生と議論を交わした。


「ではあなた方の会は、学内保安委員会とは別に、独自の学生自治会を作っていたんですね。私たち『スズランの会』は、発足したばかりなんです。最初は僅かな有志から始まり、徐々に規模を広げていったんです」

「それは凄いですね……。我々には、学生自身で自治を行うノウハウが残っていましたから、元から基盤はできていたんです。その点、自治を潰された過去のあるヴァソヴィオは、大変だったでしょうね」

「いえ、政府に屈せず自治機関を保てたということも、充分凄いですよ。では、そちらはどのような運営を?」

「まずは学内誌の発行についてですが、これには検閲により大幅な制限がかかっていたのを……」


 話はそれぞれの活動の実態から、「聯帯」加盟後の状況の変化、今後「聯帯」はどのような方向に進むべきかなど、多岐に渡った。議論は日が暮れるまで続いた。


「お二人とも、この町に泊まって行かれるのでしょう? ホテルの予約は大丈夫ですか?」


 クラコヴォの学生が心配してくれた。


「大丈夫です。ありがとうございます」

「では、存分に観光を楽しんでくださいね」

「ええ」


 因みに現在、観光業界は、世界遺産ブームで賑わっていた。

 パルラントでは、「ヴァソヴィオ歴史地区」を含め、幾つもの場所が世界遺産として登録された。

 中でも、「古都クラコヴォ歴史地区」とその近郊にある「ヴィエリーツ岩塩坑」は、一番最初に登録された世界遺産として数え上げられている。


 明日以降は、それらの観光名所を巡る予定だった。


 今日はもう遅いので、そこいらの店で晩御飯を食べて、予約してあるホテルの部屋に入る。


「疲れたね」

「明日に備えて早く休みましょう」

「うん……うわあー」


 ユリアンが急に感嘆の声を漏らしたので、何事かとマヤが振り向く。


「マヤって髪を解くとそうなるんだ……綺麗だなぁ」

「そう? ありがとう」


 マヤはにこにこして、ユリアンの座っているベッドに飛び乗った。


「おわああ! マヤ!」

「添い寝するのって初めてだね」

「そ、そそそそそうだね。僕っ、こっち側で寝るからっ」

「ユリアン、緊張しすぎ」

「おおおおやすみ……」

「うん」


 ユリアンは枕に頭を乗せ……そのままコテンと眠ってしまった。


「ユリアン?」

「……スカー」


 確実に寝ている。

 マヤは微笑んだ。

(寝顔も綺麗だな)

 長旅で疲れていたのだろう。マヤはそっと彼の蒲団を掛け直した。

「おやすみ、ユリアン」


 そしてマヤもこてんと眠りこけ、朝になった。

 目の前で、赤毛の男の子がすよすよと眠っている。

 やがてその白い瞼がピクッと動いた。


「おはよう」


 マヤは悪戯っぽく言った。ユリアンは飛び起きた。


「ひょわああああ!? おっ、おはよう」

「よく眠れた?」

「う、うん」

「じゃ、行こっか。観光へ」


 マヤとユリアンは古都クラコヴォに繰り出した。


 戦火を免れ中世の外観をそっくりそのまま残した風情ある街並み。豪華な装飾の施された教会。石畳の広場。行き交うのは二頭立ての馬車。古くから続く市場では、お土産がずらり。


「二人でお揃いの琥珀の指輪を買おうよ」


 マヤははしゃいで言った。パルラントは世界有数の琥珀の産地なので、他では考えられないほどの安値で琥珀のアクセサリーが手に入る。


「琥珀ならクダンスコ産のものばかりだけど……」

「だからこそでしょ。クダンスコは『聯帯』の象徴なんだから……あーっ!」

 マヤはとある店先で足を止めて、目を輝かせた。

「スズランの彫刻のブローチがある!」

 白い琥珀に精巧な彫刻を施したスズランの形を模した可憐なブローチが二つ、ショーケースに鎮座していた。

「本当だ……」

 ユリアンも覗き込んだ。

「ね、これをお揃いで買おう」

「うん」

 ユリアンが微笑んだ。

「マヤが気に入ったのなら、それが一番だよ」

「やった。ありがとう」


 続いて二人は少し南に下り、ヴィエリーツ岩塩坑を訪れた。


「ふわあ……」

「ほわわ……」


 二人は感動のあまり口が開きっぱなしになった。


 厳かな礼拝堂、シャンデリア、偉人たちの彫像、更には岩塩採掘史の展示品まで、すべてが岩塩でできている。敬虔な信徒たる遥か昔の職人たちが、こつこつ削ってこしらえたのだ。


「ここではまだ採掘が続けられているんですよね」

 ユリアンは案内人に尋ねた。

「おうよ。まだ岩塩を輸出してるぜ」

「すごいなあ……歴史ってすごいんだなあ」


 一通り回ったマヤとユリアンは、感心しきりであった。

 去り際に案内人が声をかけてくれた。


「あんたたち、アウスヴィコ強制収容所にも見学に行くんだろ?」

「はい、明日。ここから近いですからね」

 マヤは頷いた。

「怖いところですか……?」

 ユリアンが恐る恐る尋ねたが、案内人は首を振った。

「いんや。少なくとも、残酷な絵面の展示物なんかがあるってわけじゃあねえ。怖がることはないから、とりあえず行ってみな」

「はあ」


 マヤたちは礼を言って、案内人と別れた。

 クラコヴォに戻り、夕ご飯にちょっと贅沢をしてポンチキ(揚げたジャムパン)を食べた二人は、またホテルに戻って、同じ布団でこてんと眠った。


 翌日、マヤとユリアンは、列車に乗ってアウスヴィコに向かった。

 案内人が出迎えてくれた。ここでのユーダ人虐殺の歴史を説明しながら、施設を案内してくれる。

 広大だった。

 赤茶色のバラックが立ち並ぶ中に、記念碑やお墓があって、石と花が供えてあった。ユーダ教の風習だ。


 静かだった。

 静謐で、物悲しい。

 時は、吹き抜ける風のように、過去を置き去りにして流れゆく。

 ここはそんな時の流れの中にぽつんと取り残された、静かな静かな、鎮魂の場所だった。

 マヤとユリアンは、黙って過去と現在を思いながら、寒風の中を歩いた。バラックの中を見学したり、博物館で遺品を見物したりした。


 施設を出てから、マヤはぽつりと言った。


「おじいちゃんやおばあちゃんはみんな戦争で死んだんだって」


 ユリアンは頷いた。


「僕の所も」

「父さんも……ああいう収容所で病死したのかな」

「……」


 マヤの声は、揺らいでいた。


「病弱だったっていう母さんならともかく、父さんは健康体だった。そんな人がたった数ヶ月で病死してしまうなんて……どういう環境だったんだろう。強制労働? 拷問? 人体実験? 誰も教えてくれない……レナも……」

「マヤ……」

「どうしよう。私、ここまで他人を憎んだことってない。怖い。レナのことをこの手で引き裂いてしまいたいくらいに憎んでしまいそう。レナは他人なんかじゃなかったのに。優しかったのに……そう、優しかったの、昔は」

「マヤ」


 ユリアンはぎゅっと肩を抱き寄せてくれた。


「仕方がないんだよ。人は変わるから。時代によって、どんな風にでも」

「嫌だ……嫌だ……」

「優しいジェルマ人だっていたはずなんだ。なのにあの異常な時代には、ユーダ人の虐殺が起きた。それと同じで……優しいパルラント人も、時には変わってしまう。だからね、マヤ。今は時代が異常なんだ。正常な時代になったら……お姉さんもきっと戻ってきてくれるよ」


 マヤは顔を上げた。


「本当に、そう思う?」

「僕はそう信じてるよ。だからね、今は憎んでいいんだよ。お姉さんのことを、この時代のことを」

「時代……」

「でもそれに囚われちゃだめだ。マヤはいつも前を向いて進んでいける人だから。優しい人だから」

「うん……ありがとう」


 マヤは指先で目元を拭った。


「つらいね、ユリアン」

「うん、つらいねぇ」

「でも私、きっとこの時代を終わらせる」

「うん、そうしようね。二人で頑張ろうね」

「そうする」


 二人は頷き合った。それから、列車に乗って北上し、ヴァソヴィオの町に帰っていった。

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