第18話 連帯


 「ストライキ委員会」と政府の会談は十日間に渡った。


 いよいよ会談が終わってその成果が発表される段となり、マヤは「スズランの会」の仲間たちとともに、寮のテレビの前に陣取った。ヴァレンサ委員長が会談室から出てくるのを、固唾を飲んで見守る。


 いよいよ、ヴァレンサたち委員会のメンバーが画面に現れた。彼らは、満面の笑みでピースサインをした。


「やったあああ!!」

「ウオオオオ!!」


 「スズランの会」会員たちは歓声を上げた。それから、シーッと声を抑えて、ヴァレンサの発言を待つ。


 発表されたのは、紛れもない委員会側の勝利、即ちストライキの大成功であった。

 この日結ばれた「クダンスコ協定」において、政府は多くのことを委員会側に譲歩しなければならなかった。

 自由な労働組合の認証。ストライキやデモの合法化。検閲の緩和。党員や局員の特権削減。

 その代わり政府は、引き続き共産党ただ一党に国の統治を委ねよという要求を、委員会側に飲ませた。さしもの「ストライキ委員会」も、社会主義体制の転覆およびそれに付随するであろうソヴェティアとの対決までは望んではいなかったので、これは妥協できる線だった。


 やがてテレビには、クダンスコの工場に立てこもっていた労働者たちが、勝利の喜びを分かち合いながら工場から出てゆく様子が映し出された。


 「ストライキ委員会」は役目を終えて解散。そして九月に入ると、協定での約束通り、国に認められた新しい自由な労働組合が発足した。


 その名も「聯帯れんたい」。


 これは画期的なことだった。パルラントにおいて、政府のコントロールを受けない公的な組織が生まれたのは、第三共和政始まって以来初めてのことだった。これまで労働組合といえば、東側諸国のどこの国においても、政府に管理されたたった一つずつの組織しか、存在を認められていなかった。


 人々が自らの力によって、国を揺るがし変えて行ける、そのための大きな組織が、この瞬間に生まれたのだ。

 この事実に、人々は狂喜乱舞し、明るい未来への希望を歌った。誰もが、重い重い鎖から解き放たれたような、晴れやかな顔をしていた。

 ようやく圧政が終わりを迎え始めた。これからはきっと、秘密警察に怯えたり、知人同士で裏切り合ったり、自由にものが言えなかったり、といった日々も終わる。人間らしい生活ができるようになるのだ。


 「聯帯」はすぐさま組合員および下部組織を受け入れ始めた。政府に管理された労働組合に入っていた人々は、すぐさまそこを脱退し、雪崩を打って「聯帯」に流れ込んできた。

 「聯帯」そのものは労働者で組織されるが、その傘下には、知識階級や学生や農民や職人らによって構成されたいくつもの団体が入っていった。「学術研究会」「労働者自衛委員会」「人権擁護運動」などの有名な活動団体も次々と「聯帯」に加入している。

 ヴァソヴィオ大学民主化運動学生団体「スズランの会」も、それに続いた。

 今やマヤたちは、国民の大多数が加入している一大組織の一員だった。


 スズランの毒は、この共産党一党独裁体制の体内に、少しずつ、少しずつ、回り始めたのだ。

 再び幸福が訪れる日は近い。


「これは民主化への大きな一歩だねぇ」


 「聯帯」加盟団体代表者会議の帰り道、ユリアンはほくほくして言った。


「うん。民主化が実現すれば、オリヴィアたちも解放される」

「そうだねぇ」

「それに父さんへの仇討ちにもなる!」

「政府は、マヤのお父さんを殺したようなものだからね……」

「政府と……それと、レナが殺したの」


 マヤは悔しそうに言った。


「民主化したら、秘密警察なんてなくなっちゃうに決まってる。そうしたらレナが手に入れた地位もなくなる」

「なるほどね」

「レナ……あいつ! 今に引き摺り下ろしてやるんだから……! この手で! 絶対に!」

「その後は、仲直りをするの?」


 ユリアンの質問に、マヤはキョトンとした。


「その後?」

「あ、いや」


 ユリアンは焦ったように手をブンブンと横に振った。


「無理だよね……。お父さんを殺した人と仲直りなんて。僕は何を言っているんだろう。ごめん、忘れて」

「……ううん」


 マヤは首を振った。


「私、民主化を実現させることばかり……仇を討つことばかり考えていて、その後のことを考えていなかった。それだけ」

「そ、そっか」

「……夢が叶ったら、私はどうすればいいんだろう」

「やりたいことは、たくさんあるでしょ?」

「うん。好きなことを勉強して、好きなところに旅行に行って、おいしいものを食べて……。それで、レナとどう向き合えばいいんだろう」

「困ったね」

「困ったよ。私、レナを恨んでる。一生許せないと思う。この怒りはずっとずっと消えない。失ったものは戻らないから。だから……どうすればいいか分からないの」

「そっか」

「でも」


 マヤは顔を上げた。


「今は、革命活動に全力をぶつけるよ。みんなのためにも、私のためにも。ねえ、だからユリアン」


 マヤがユリアンの手を取った。


「ありがとう、ユリアン。あなたはいつも、先を急ぎすぎてしまう私に、ブレーキをかけてくれるから。これからもずっとそばにいてね」

「あわ、あわわわわ、もっ、もちろん……」


 マヤの真っ直ぐな言葉に、ユリアンは頬をリンゴのように染めて、そう答えてくれたのだった。


 さて、「聯帯」は着々と勢力を伸ばし、政府に対する発言力も増大していた。一旦力をつけると、「聯帯」は止まらなかった。人数は膨れ上がり、今やパルラントの人口の三分の位置が「聯帯」に加盟していた。


 政府はこれ以上の混乱を避けるために、渋々ながらも、「聯帯」の要求に従って、政策の緩和を始めないわけにはいかなかった。


 テレビは、以前より遥かに自由な報道をし始めた。機械的な決まり文句しか発言しなかったアナウンサーたちの顔は、打って変わって生き生きとしたものになった。

 「スズランの会」は大手を振って活動できるようになった。より広い部室が与えられ、会員数は百名を突破した。会員たちは違法だった書物を集めては議論をし、結果を冊子にまとめて学内に配り歩いた。こんなことをしても誰にも咎められないし、捕まったりしない。何と素晴らしいことだろうか。

 この動きがもっと早くに来ていれば、オリヴィアも捕まらずに済んだのに。


 ――オリヴィアたちはどこに行ってしまったのだろうか。


 「クダンスコ協定」に従って釈放された政治犯の中にはオリヴィアたち「スズランの会」メンバーは含まれていなかった。彼女たちは未だ帰らない。

 喪失を抱えながらも、活動は続けなければならない。続けていれば、パルラントはもっと民主的になる。もっと自由になる。そうすればきっとオリヴィアたちを救いだえるようになる。

 そう信じてマヤたちは忙しなく動き回っていた。


 まだまだ、満足してはいけないのだ。

 パルラント人民共和国が、本当に民主的な共和国になる日まで。


 ――実際、政府は改革に着手したとはいえ、その動きは非常に緩慢だった。

 特に経済改革は後れを取っていた。パルラントの経済状況は、以前より更に悪化した。物資の不足、特に食料品の不足は深刻だった。

 人々は、手に入るかどうかも分からない、粗悪な肉のたった二百グラムのために、店の前に長い長い行列を作る日々を、続けなければならなかった。


 「聯帯」は、早くも内部分裂の危機を抱えていた。

 意見が二つに割れていた。

 「聯帯」の仕事は、あくまで社会改革を求めることに留めるべきだという意見。

 「聯帯」は政権を担って、政治経済を抜本的に変えていくべきだという意見。


 「スズランの会」でもこの問題に対する議論は活発に行われた。


 マヤは、本心では「聯帯」に政権を担って欲しいと思っていた。

 だが、やりすぎてソヴェティアに軍事介入されては元も子もない。

 いずれは政権を担って欲しいが、今はまだ、というのがマヤの考えだった。


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