第三章 波瀾
第17話 衝撃
それはまさに衝撃的なまでの逆転劇だった。
八月、北方の港町クダンスコで、大規模なストライキが勃発した。
その頃、「スズランの会」は、部室を奪われ不自由を強いられる中でも、徐々に連携を取り始めていた。レナへの怒りによって一層やる気を増幅させていたマヤは、精力的にあちこちの講義に顔を出しては仲間達と接触していた。
クダンスコのストライキの発端は、政府による不当解雇および食料品の値上げだった。
ただでさえ財政が破綻してインフレーションが巻き起こっている中でのこの措置は、労働者たちに大きな不満を与えた。クダンスコにあるとある造船所では不満が頂点に達し、政府に抗議するストライキが決行された。
そこでは、物価の上昇のみならず、共産党員や保安局員への優遇措置、書籍や報道に対する検閲、政府の管理下に置かれた労働組合の不自由な運営など、ありとあらゆる事柄に対する不満が噴出していた。
このストライキは違法であった。普段であれば、保安局や機動隊や軍が投入されて、ストライキは各個撃破されてしまうところだった。
ところがそうはならなかった。
ストライキは造船所だけに留まらず、クダンスコじゅうの工場に広まっていったのだ。
それぞれの部署の労働者たちは連帯して「ストライキ委員会」を結成、一丸となって事に当たった。
ここまでの規模の抗議活動を瞬時に鎮圧させる力は、政府には無かった。政府はストライキを押さえ込む事ができなかったのだ。
これは、労働者側の、前代未聞の快挙だった。
この時、労働者たちに対して広く連帯することを率先して呼びかけたのが、クダンスコの現場に彗星のように現れた若き男、レフ・ヴァレンサである。彼は「ストライキ委員会」の議長に就任し、なおいっそう活動の幅を広げようと目論んだ。
この一大勢力を攻めあぐねた政府は、ひとまずこの活動が全国に広まらないようにと、国内の一切の通信を突如として遮断した。電話も手紙も報道も規制された。これによって、騒ぎはクダンスコという一つの町に留まって、他には波及していかない——そのはずだった。
しかし、苦難の歴史を歩んできたパルラントは、この程度のことではめげなかった。
活動家たちはやはり、かつてパルラントが他国に占領されていた時のノウハウを流用した。
全国を網羅し得る手段は、通信や放送だけではない。
交通。
中でも、最も広く速やかに行き渡るもの──即ち、鉄道網。
大規模ストライキ敢行の報は、鉄道員を仲介して、瞬く間に全国に広まった。これに勇気づけられたパルラントじゅうの労働者たちが、我も我もとストライキに参加する。
このような過程で、マヤたち「スズランの会」のメンバーも、この国に大きなうねりが生まれたことを知ったのだった。
その頃には、プロレタリアートだけではなく、インテリゲンツィアの団体もまた、「ストライキ委員会」に参加し始めていた。各地でストライキに加えてデモが多発、そのことごとくが成功を収め、パルラントは全くもって収拾のつかない事態に陥ってしまった。
もちろんヴァソヴィオの町の労働者たちも、情報が伝わるや否やいち早く委員会に参加し、活動に乗り出していた。
もはや状況は、オリヴィアたちが逮捕され行方不明になった時とは大きく異なる。この数ヶ月で、政府と人々のパワーバランスは逆転したのだ。
信じ難いことだが、これは事実だった。
「今こそ、私たちがずっと待っていた好機だよ!」
マヤは、早速仲間たちに呼びかけた。
「明日にでも、委員会に加盟して、私たちもデモを決行しよう。そして彼らと同じように、学問と言論の自由を、仲間たちの釈放を、自由な労働組合の結成を求めよう。政府に、一矢報いよう!」
仲間たちは決意を胸に、次々と賛同してくれた。彼らは皆、パルラントの歴史が大きく動く瞬間に立ち会っているという興奮で、顔を上気させていた。
それからマヤたちは忙しく動き回った。委員会への参加手続き、委員会の他の団体との連携、デモのための横断幕やビラの準備、シュプレヒコールの考案、デモ決行を周知させる宣伝活動。
驚くべきことに、監視がまだ付いているユリアンも、さりげなくビラ作りを手伝ってくれた。さすがにデモには参加できないが、何か力になりたいとのことだった。
「もう会の幹部といったら僕とマヤだけになっちゃったでしょ。マヤばかりに任せるのは忍びないもの」
「ありがとう、ユリアン! でも、本当に気を付けて」
「うん。……でも、大学じゅうがこの騒ぎだからねぇ」
かつてない規模の変革に、「スズランの会」に所属していなかった学生たちも浮き足立っていた。デモに参加したいと申し出る学生は後を絶たず、「スズランの会」に入会したいという学生もまた後を絶たず、非合法のビラはヴァソヴィオの町じゅうにバラ撒かれた。
「僕がちょこっと原稿をタイピングしたところで、目立ちやしないよ」
「それはそうかもね。でも本当に、無理は禁物だから」
「了解」
それからもマヤはデモの準備のために駆けずり回った。何しろ電話が通じないから自分の足で走るしかない。大学の各方面の人間に話を通し、「学術研究会」の関係者の元にもなるべく参じ、デモ決行の報の周知に尽力した。
そして翌日の朝九時、ヴァソヴィオ大学の校門前に集まった人々の数は、ゆうに五百人はいた。
マヤはメガホンを持ってみんなを鼓舞した。
「さあ、民主化革命の始まりだよ!!」
「おー!!」
町に出ると、通行人たちもデモの行進に加わり始め、みるみるその数は増加した。
『我々は民主主義を求める!』
みんなは唱和した。それぞれの掲げる横断幕や看板には、こんな文言が書かれていた。
「検閲廃止を!」
「言論の自由を!」
「自由な労働組合を!」
「政治犯の釈放を!」
「党員の特権廃止を!」
「真の社会主義国家を!」
保安局員の投入による妨害は依然として行われたものの、とてもではないが間に合わなかったため、ほぼ無意味に終わった。人数の上でも到底敵わなかったし、全国的に同時多発的に展開している運動全てを取り締まるなど土台無理な話であったのだ。
デモが終了した時、ほとんどの参加者が無事だった。先頭きってデモを牽引していたマヤでさえ、無傷だった。
「おつかれ、マヤ!」
ユリアンは、大学に戻ってきたマヤの手を握った。
「無事でよかった!」
「あなたもね、ユリアン」
「これは凄いことだよ。この動きがもっと大きくなれば、政府は『ストライキ委員会』と対話の場を持たざるを得なくなるよ。そしたら、僕たちの要求が、ついに政治の場に届くんだ!」
「うん!」
誰もが和気あいあいと笑い合い、達成感に浸り、近い将来への希望に胸を膨らませた。
これ以後も、ヴァソヴィオの町じゅうはもうお祭り騒ぎで、ストライキやデモが横行し、一切の秩序は失われた。きっと他の町でも似たような有様だったのだろう。
そして、クダンスコの騒動が発生してからたったの一週間にして、政府は音を上げた。
まず、武力による鎮圧は完全に放棄された。
次いで、全国で遮断されていた通信が復活した。
テレビやラジオの報道によって、マヤたちは、政府が「ストライキ委員会」と話し合いの場を設けることにしたということを知った。
「スズランの会」の面々は寮に備え付けられたテレビの画面の前に張り付いていた。
「やった!! 政府と話ができる!!」
「クダンスコの委員会の人たちが映ってるよ! わあーカッコイイ!!」
「この人がレフ・ヴァレンサ? 若い! 三、四十代くらいじゃない?」
「こんなことまで報道するなんて、政府はどうしちゃったの。大盤振る舞いだね!」
「このドンチャン騒ぎを抑えるには、報道が一番効果的なんだ、きっと」
「会談の日が楽しみだなあ! もちろん結果は報道されるよね?」
「本当に夢みたいだ、こんな日が来るとはなあ」
「頑張れ、ヴァレンサさん!! 『ストライキ委員会』!」
パルラントじゅうの人々が応援する中、ついに政府と「ストライキ委員会」との会談が始まったのだった。
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