第16話 喧嘩
監視が外れて、レナと会う日が近づいてきた。
レナは待ち合わせ場所に、ラジェンキ公園を指定してきた。ヴァソヴィオ市内でも人気の観光スポットだ。夏の離宮として建てられた「水上宮殿」や、古代の様々な建築をモチーフにした建造物、そしてバラ園の中にある偉大なる作曲家チョーピンの像が有名で、像の前では毎週日曜日にチョーピン・コンサートが開かれる。
待ち合わせ当日、まだ時間があったので、マヤはこの野外コンサートを聴いていくことにした。像の前ではピアニストが一心不乱に「革命のエチュード」を弾いている。聞き応えのある名曲だ。
パルラントでは文化芸術活動は、ある程度の統制は受けるものの、きちんと保護される傾向にある。特にピアノに関しては、毎年チョーピン国際ピアノコンクールが開かれるなど、世界的にもその価値を認められているので、人々は比較的自由にピアノを演奏することができた。
情熱的な演奏が終わり、公園は拍手に包まれた。マヤも拍手をしていると、後ろから声をかけられた。
「マヤ」
レナの声だった。マヤはハッとして振り返った。
「あ……」
「あなたもここへ来ていたのね。どうする? もう少し聴いていく?」
「ううん。いい。それよりもレナには聞きたいことが」
「それなら、ベンチにでも座ってゆっくり話しましょう」
マヤとレナは薔薇園を抜けて、公園内を散策し、手頃なベンチを見つけてそこに腰掛けた。
「それで、聞きたいことって?」
レナに促され、マヤは意を決して尋ねた。
「あの、その……。私が釈放されたのって、レナが手を回してくれたから?」
「そうよ」
レナは目を合わせずに言った。
「何で、そんなことをするの? とっ……父さんのことは見捨てたくせに、今更、か、家族を助けようとするなんて……。訳が分からないよ」
「そうよね」
レナは溜息をついた。
「私があなたを助けたかったと言っても、あなたは納得できないでしょうね」
「うん。意味が分からない。見え透いた嘘はやめてよ。本当は何で? 出世のためなの?」
「……」
「どうして出世したいの?」
「……」
「やっぱり本当の目的が何なのか、教えてくれないんだ」
「あなたは知らなくていい」
「何、それ」
マヤはやや険のある声で言ったが、レナが依然として答えないので、諦めて話題を変えた。
「レナ。オリヴィアや他の学生たちがどうなったか、知っていたら教えてほしいの。あれからちっとも連絡が取れていないから、心配なんだ、友達として」
するとレナは、いらいらした様子でマヤを睨んだ。
「あなたのお友達がどうなったかなんて知りやしないわ。あなたも彼らのことは忘れて暮らすことね」
「でも、保安局員なら調べられるでしょう」
「調べてどうするつもり?」
レナの目が釣り上がった。
「あなたはもう、興味本位でそんな危ない活動に首を突っ込んだりしないでしょう? 二度と!」
「そりゃあ、もちろん」
「そうよね! だったらその人たちのことを気にするのはやめなさい」
「そんな……。仮にオリヴィアたちが、わ、悪い人だったとしても、友達だったんだよ。心配するのは当たり前だよ」
「いい加減にしろ!」
レナは立ち上がって、怒鳴った。保安局仕込みの怒鳴り声だった。マヤはビクッとした。
「何でわざわざ危ないことをしようとする! 殺されたいのか!!」
「え、ええ?」
「密告するわよって、あれだけ脅したのに! 逮捕されて、怖い目にも遭ったでしょうに! どうして懲りないの。どうして諦めてくれないの!! この分からず屋!!」
「レナ……?」
マヤがすっかり怯えてレナを見上げると、レナはふっと我に返ったように、すとんと腰を下ろした。それから、声量を落として、流れるように言葉を続けた。
「あなたがこれ以上、反政府主義者だなんて疑われることがあったら、私の出世に響くのよ。保安局員ともあろう者が、身内に反逆者を抱えるわけにはいかないの。まずは身内が模範的な同志であることが第一に決まっているじゃない。密告という手もあるけれど、それは最後の手段よ。父さんの件は、本当に最終手段だったの。だから、私はあなたに最初から言っているでしょう、反政府組織には関わるなと。頼むから大人しくしていて。お願いよ」
「いや……レナの言い分は分かったけれど」
マヤは若干引き気味になって言った。
「でも、どうして私が、レナの出世に協力しなくちゃいけないの?」
「は?」
レナは再び声を荒げた。
「あなたが模範的に生活をすることの何が悪いのよ? あなたは何も損をしないでしょう? 私も安泰、あなたも安泰。それでいいじゃない。何の文句があるのよ」
「あ……ありません」
「じゃあ、もう金輪際、革命活動なんて、馬鹿な真似はしないわね?」
「はい」
「なら良し」
レナはフイッと目を逸らした。
マヤは、去年のレナとのやりとりを思い出していた。
──まさか、あなたも既に、反社会主義運動に参加している?
──し、してない。してないよ。
──なら良し。
(レナは私を密告したいんだと思っていた。でも違った。最初から私が邪魔なんだ。余計なことをするから)
マヤは下唇を噛んだ。
「ああ、それから」
レナは思い出したように言った。
「これだけは教えておいてあげる」
「えっ、何?」
「父さんは、亡くなったわ」
ガラス窓が乱暴に叩き割られたかのような。
衝撃。絶望。喪失感。
ばらばらに割れて崩れ落ちる心。
窓の外から吹き込んで来たのは、怒りの吹雪。
「……いつ」
震え声で問う。
「去年の十一月。病気ですって」
「そんな……他人事みたいに!」
今度はマヤが怒鳴る番だった。通行人が驚いてこちらを見たが、レナはぴくりとも表情を動かさなかった。
「あんたのせい! あんたのせいで父さんが……! 父さんが!! ああ、父さん!! もうこの世にいない……生きていない!」
「そうね」
「人でなし! 人殺し!」
去年の聖誕祭の頃には父さんはもういなかったということだ。それを、平気な顔してこの女は……。
「クズ女! あんたなんか、あんたなんか私のきょうだいじゃないっ!!」
マヤは声の限りに罵倒した。
「……そうね」
レナはまた、暗い表情で微笑んだ。
マヤはウッと言葉に詰まった。
この表情を見ると、いつも背筋が凍るのだ。
「ただし、あなたもその人でなしのクズに殺されたくなければ、大人しくしていてちょうだいね。妙な真似をしちゃ駄目よ」
「……このっ……!!」
怒りのあまり言葉が出て来なかった。この期に及んでマヤのことを脅迫するのか。この女にとっては、家族なんていうのは、都合のいいときに切り捨てるための駒でしかないというのか。
反吐が出る。もう一秒だってこいつと一緒になんか居たくない。
「……帰る」
硬い声でただそれだけ言って、立ち上がる。
「そう。気をつけて」
「……」
マヤは振り返る事なく歩き出した。
公園を出て、車通りの多い道をずんずんと歩いて、大学へと帰ってゆく。
(レナのことなんかもう知らない)
マヤは心の中で言った。
(私は諦めない。何度叩き潰されようと、大人しくなんかしてやるものか!)
寮に帰っても怒りの吹雪は止むことを知らなかった。マヤは乱暴にベッドに身を投げ出した。
(父さんの無念は私が晴らす! 私は民主化を必ず成し遂げて、レナを今の地位から叩き落としてやる!)
それから、どうしようもなく虚しい想いに襲われた。
(……父さんは、私とレナの仲が良いことを、いつも喜んでいたのに)
でも、私たちの道は分かたれてしまった。
(ごめんなさい。父さん。せめて私は、正しく生きたいの……)
その日いっぱいを、マヤは食事も取らずに、ぐずぐずと眠って過ごした。
パルラントは夏の盛りを迎えようとしていた。
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