第15話 監視下


 数日後、マヤが寮で課題をこなしていると、その時が来た。

 部屋の扉がガンガンガンと乱暴に叩かれる。続いて低めの女性の声がした。


「保安局だ。マヤ・ステンシル、出てきなさい」


 マヤは大人しく出て行って、手錠をかけられた。

 去年以来の二度目の連行。今回は予期できていたことだったので、動揺することもなかったが、それでも不安は拭えなかった。


 どこなのかも分からない建物に連れ込まれて、尋問が始まる。


 マヤはてっきり、自分が中心となって反政府組織を立ち上げ、運営していたということを、問い質されるものと思っていた。もしあのビラの原稿を保安局が入手しているのなら、指紋が検出されているはず。多少、証拠が残っているくらいなら言い逃れできる可能性が僅かながらにあるが、自分でタイピングしたものに関してどう言い訳したものか、マヤは未だに考えあぐねていた。


 ところが、初日、尋問官が恐喝によってマヤから主に聞き出そうとしたのは、他の仲間の存在についてだった。

 冷たいパイプ椅子の上でうとうとしながら、マヤの頭の中は疑問でいっぱいだった。

 何故マヤを主犯格であると決めつけてこないのだろう。これは普段の保安局のやり口とは違う。いつもなら、疑わしきは罰せよというような姿勢で、こちらに罪があるという前提で話を進めてくるはずなのに。


 尋問は昼夜を問わず繰り返される。休める時に少しでも休んでおこうと、マヤは意識的に思考を放棄した。


 そして、時間は知らされていないが、既に丸二日は経過したと思われた頃のこと。何度目だろうか、次に部屋の扉が開けられても、マヤは「また始まるのか」とボンヤリ考えただけだった。

 ところが、扉を開けた保安局員は、いつかのようにこう言った。


「マヤ・ステンシル。出なさい」

「……ほあ?」


 マヤは眠たげな声で言った。


「あれ、私、釈放ですか」

「禁固刑の執行猶予だ。今日から二ヶ月間、貴様には監視がつく」

「……? そうですか……。在学資格は?」

「剥奪しない。明日から通常通り、学問に励みたまえ。ただし、怪しい動きをすれば即刻再逮捕する」

「承知、しました……」


 マヤは伸びをして、尋問室から出た。


 それから、窮屈な日々が始まった。

 どこへ行くにも女性の保安局員がつきまとうから、迂闊に他の仲間の安否確認もできない。「学術研究会」の移動式講義に参加することもできなくなった。それでも、大学の枠内で開かれる講義に出入りしていれば、数名の学生と比較的容易に接触できる。地道に聞き取り調査を続けたマヤは、あれから約五名の学生が行方不明になっているということを確信した。その五人の中には、オリヴィアも含まれていた。


 二週間ほどして、ユリアンもまた監視付きの釈放になったという情報が舞い込んできた。マヤは人伝てに情報を発信して、ユリアンとの接触を図った。

 恋人同士が会うだけなら、保安局員もとやかく言わないだろうと思われた。しかし、いざ待ち合わせの時間になって寮を出ようとしたら監視の人に邪魔をされたり、逆に待ち合わせ場所で待っていてもユリアンが来られなかったりして、ようやく二人が会えた頃には、更に二週間の時が経過していた。


 立派な彫刻と大きな時計のついた白い学舎の前で再会したマヤとユリアンは、束の間抱き合って喜びを分かち合った。

 それから、あくまで仲良くヴィトゥラ川まで散歩に出掛けるだけだというていで、にこにこ笑い合いながら、小声で情報を交換した。


「じゃあ、マヤは二日で解放されたんだね?」

「そう。会の中心メンバーだと疑われることもなかった」

「僕もそうだよ。みんなの口が固かったんだろうか。それにしてもマヤには、ビラの原稿の件があるのに」

 ユリアンは首を捻った。

「実を言うと、僕が釈放されたのは、父さんが賄賂を使ったからなんだ。党員にはそういうことが認められているからね。それでも僕には監視が六ヶ月付く」


 妙な話だった。ユリアンより怪しまれてもおかしくないマヤが、ユリアンより軽い措置で済まされている。


「どういうことなんだろう」

「僕には可能性が一つしか思い当たらないけどなぁ」

「え、何?」

「君のお姉さんだよ。この三月に保安局員になったんでしょ?」

「そうだけど、それが?」

「だから」


 ユリアンは困ったように笑った。


「マヤのお姉さんが、君を釈放するようにと、賄賂を使ったんだよ」


 マヤはポカンと口を開けた。


「……そんなことある?」

「逆に、他に思い当たる節がある?」

「別に無いけど……だって、え? そんなのおかしいよ。あのレナが?」

「おかしいといえば、何故君の方が優遇されているかなんだけど」


 ユリアンは小声で話を続ける。


「僕の推察によると、お姉さんの階級は、少なくとも二等保安士以上に上がっているはずだよ。そうでないと、一般党員より扱いがいいはずがないもの」

「え? ああ……思ったより早く階級が上がるんだね、保安局員って」

「お姉さんには昇進を急ぐ理由があったのかな」

「どういうこと?」

「これは、父さんの受け売りなんだけどね」


 ユリアンは川の流れを眺めるふりをしながら言った。


「保安局員は、階級が一つ上がると、それだけ特権の幅が広くなる。一番人数が多い三等保安士には、さすがに共産党員よりも低い地位しか与えられていないけれど、二等保安士以上になると、色々と待遇は良くなるんだ。給与はもちろん、不逮捕特権、仕事内容や社会生活上での優遇、それから、家族の安全の保証」


 マヤは、訳が分からないという顔をした。


「それが何か?」

「いや、たまたまお姉さんの出世が早かったお陰で、君は助かったんだよ。運が良かったね」

「あ……そう。ふうん。……何で助けたんだろう」

「妹だから?」

「絶対に違う!!」

「じゃあ、君が捕まっていると何か不都合があったのかな。出世のためとかで」

「なるほど!!」


 マヤはようやく安心したように声を上げた。


「絶対それだ。レナが親切心から私を助けるなんて絶対おかしいと思ったもの。きっと、自分の手柄でもないのに身内が捕まっていたら、仕事上で不都合があるんだ。きっとそうだよ」

「うん……何で嬉しそうなの?」

「えっ、だって」


 マヤはむくれた。


「レナが親切心で私を助けようとしたなんて言ったら、絶対に許せないから……。意味分からないし。父さんを売って、私のことも脅して、それで助けるなんて、矛盾しているから」

「そっか」


 ユリアンは眉根を下げてから、後方にぴたりとついてくる監視員をちらりと見て、わざとらしく声を大きくした。


「まあ僕は今回の件で父さんには大目玉を食らったからねぇ。もう懲りたんだ。怪しいことには首を突っ込まないようにするよ」

「わ、私も……。でも、こうして会うだけなら、何も怪しいことなんてないでしょう? 恋人なんだから、会わない方が不自然ってものだよ」

「うん、そうだよそうだよ。それじゃあ、そろそろ時間だから、僕は大学に戻らなくちゃ」

「じゃあね。気をつけて戻るんだよ」

「ありがとう。久々に会えて嬉しかった」

「うん。私も」


 マヤは笑顔でユリアンに手を振って見送ると、そのまま川べりに腰を下ろした。


(仕事上の不都合で、お金を出して私を助ける?)


 本当に?

 賄賂というのがどれほどのものかは知らないが、相当な額だったはず。

 もしかしたら、他にも目的があるのかも……。


 どうしよう。

 こんな時、オリヴィアがいたら。


 ──直接訊いてみたらいいじゃない、って言うかな。


(そうだ、姉さんと会うだけなら、誰も不審になんか思わないはず。オリヴィアたちのことだって、何か知っているかも)


 マヤはすっくと立ち上がり、急いで寮へと戻った。

 寮の事務室にお邪魔して、電話帳をめくり、ヴァソヴィオの保安局員の寄宿舎の電話番号を探し当てる。すぐさま電話をかけて、レナに伝言を頼んだ。


「話したいことがあるんです。二人で会える日を教えてください」


 夜になって、マヤ宛に電話が来ていると、寮母から呼び出しがあった。


「もしもしっ、マヤです」

「……二ヶ月後の日曜日」

 レナは挨拶も無しに言った。

「その日に予定を空けておくわ。休暇が取れたらまた連絡する」

「あっ、ありがとう、レナ」

「何だか知らないけれど、馬鹿なことに巻き込まれたらしいわね。そんなことは今すぐやめて、真面目に勉強しなさい」

 レナは釘を刺すと、一方的に電話を切った。

「……やっぱり冷たいじゃない」

 マヤは、通話の切れた受話器に向かってそう呟いた。

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