第12話 裏切り
レナがいつものようにカミルを呼ぶと、彼はやたらと嬉しそうに、尖ったブーツのつま先で踊りながら姿を現した。
『マヤに「良い人」ができたみたいだよ』
カミルは報告した。
『あら、……そうなの』
それは素直に嬉しいことだった。胸の内がほんわりと暖かくなる。
『どんな人?』
『赤毛の可愛い男の子だよ』
『まあ……』
『同じ活動をしていて仲良くなったみたいだ』
幸福な気分にピシッとヒビが入った。
『……』
『まあ、そう怒るなって』
『はあ? 何を言うの。怒ってなんかいない』
『そっか。おいらにはよく分からないからな。人の感情は』
『それで、今日は何か予言はないの』
『それらしきものは無いなあ。嫌な予感はするんだけど……』
『何、それ』
『あ、来た来た。今ビビッと来たぜ』
言ったかと思うと、カミルは心配そうにレナを窺い見た。
『……何』
『あー、別に死んだり怪我したりとかはねぇんだけどよ……』
『あっそう』
『レナ、お前、明日保安局員に捕まるぜ。すぐに釈放されるがな。……因みにこいつは確定だ』
驚きよりも怪訝に思う気持ちが勝った。
『……何で?』
『さあ?』
『私、何かした?』
『むー……』
カミルは小さな頭を捻った。
『おいらにもサッパリ分からんなあ』
『ふーん』
『分かんねえことを考えてもしょうがねえや。不安になるだけだもんな。どれ、遊んで気を紛らわそうぜ』
『別に不安ではないけれど』
『そうなのか? おいらは遊びたいなあ』
カミルはベッドによじ登って、小さな手を伸ばしてくる。レナは少しだけ笑うと、カミルに手のひらを差し出した。
童歌を歌いながら、手遊びをする。
湖のほとりの木の上で
二羽の小鳥が歌っています
ラララ トラララ
ララララ トララ
一羽目の小鳥が言いました
「お嬢さん、あなたを守ると神かけて誓います」
ラララ トラララ
ララララ トララ
二羽目の小鳥が言いました
「愛しい人、私はもう行かねばなりません」
ラララ トラララ
ララララ トララ
一通り歌い終わると、カミルは満足したのか、部屋の隅の闇に帰っていった。
残されたレナはというと、ふとアルカディウスのことを思い出していた。
(……そういえば近頃は奴の姿を見ないな)
つい先月までは、レナを見るたびに能天気に笑って話しかけてきたあの男の姿を、今月に入ってから見ていない。
クラスが違うのでそもそと会うことが少なかったはずなのだが、奴は何故かしょっちゅうレナのところにやってきていたので、それが普通のような気がしてきていたところだった。他の同期とも積極的に喋りはしないレナだったので、毎晩カミルを呼ぶ時を除けば、誰かと話すことはめっきり減っていた。
(明日取っ捕まる理由が私に無いと仮定すると、可能性があるのは奴のヘマのとばっちりか)
レナは溜息をついた。
(面倒だな。上官に余計な悪印象を与えてしまっては、出世に響く)
さて翌日の授業中、体術を教わっていたところへ、保安局員が乗り込んできた。
「レナ・ステンシルだな」
「はい、何でしょうか」
「来い」
二人の局員に両脇を固められて連行される。生徒たちが静かにざわめきながらそれを見守る。
何の咎ですか、などと聞くことはしなかった。「黙って歩け」と言われること請け合いだからだ。
狭い尋問室に連れ込まれて座らされ、最初に尋ねられたのが、案の定あの男のことだった。
「アルカディウス・バラノフスキについて知っていることを話せ」
「はい」
レナは動じることなく答えた。
「彼とは私は学校内で世間話をする間柄です」
「そうだ。バラノフスキは貴様と接触することが多い」
局員は凄んだ。
「貴様はバラノフスキと協力して、国家転覆を謀っていたのだろう!!」
そのあまりに凄まじい怒鳴り声と、言われたことの意味不明さに、レナの頭の中は真っ白になった。
(国家転覆? 奴はそんな危険なことに頭を突っ込んでいたのか!)
しくじった。あんな奴に迂闊に近寄るのではなかった……。
レナは必至で首を振った。
「何のことだか分かりません、同志」
「しらばっくれるな!」
この後、お決まりの恫喝が始まった。相手を怖がらせて、自白を強要する。それでもだめなら、人員を交代して、今度はなだめすかすようにして自白を促す。尋問の基本的な手法。こうして実地に訓練をすることになるとは思わなかった。
マヤもあの時、こうして脅しを受けたのだろうかと、ちらっと思った。
尋問は一昼夜続いた。
「貴様が十一月に『文化科学塔』で奴と密談していたという目撃情報は上がっているのだ!!」
「あれは、誘われたので行きました。専用店に入ったことがないと言うと、もったいないと言われて」
レナは、ただ真実を語ればよかった。何かの罠でも仕掛けられていない限り、これで逃れられるはずだ。
そしてとうとう保安局員たちは、レナが真実何も知らないという結論を出さざるを得なくなった。
翌日になって、レナは尋問室から出された。出た先には、レナたちの教官を兼ねている男と、知らない顔の局員がいた。二人に連れられて、廊下を歩く。ずっと体を動かせていないし、ろくな食事も出なかったので、体の調子はすこぶる悪かった。
ところがレナは、小さな応接間のようなところに連れて行かれて、コーヒーと菓子を振る舞われたので、驚いた。訓練生ともなると、尋問後の待遇まで違うのか。
だが、ねぎらいの言葉がかけられるわけではなかった。沈黙が続いた。
レナは意を決して、「恐れながら、教官殿、上官殿」と声をかけた。
「何だ」
「後学のために伺いたいのですが、アルカディウスは一体何をしでかしたのですか?」
一拍置いて、上官が「まあ、いいだろう」と口を開いた。
「アルカディウス・バラノフスキは西側の諜報員だった」
一瞬、何を言われたのだか分からなかった。
「は? 西側?」
「奴がどうやって監視の目をかいくぐったのか知らんが……身分証明書が偽造であることは確認が取れている。これは動かぬ事実だ。今後、できうる限りの情報を引き出した上で、奴を処分する」
「処分……」
「無論、このことは他言無用である。バラノフスキは最初からいなかったものと思え」
「はっ」
レナは敬礼した。
それから、お菓子の残りを口に詰め込んだ。
(アルカディウスは……何故私に近づいたのだろうか)
局員を懐柔するためか。何かを聞き出すためか。いずれにせよ彼は人選を誤った。
レナが出されたものを食べ終わったのを見ると、上官はレナに立ち上がるよう促したが、教官の方は「おい、お前は先に行け」と言った。
「私はこの生徒と少し話がある」
「……承知した。すぐに済ませろよ」
「了解」
教官は軽く敬礼をした。上官が去ると、彼はレナに座り直すように言った。
「教官殿、話というのは」
「うん。アルカディウス・バラノフスキ──。彼は優秀な生徒だった」
「は……?」
「君は彼の恋人だったのかね?」
「いいえ。たまに喋っていた程度です」
「そうか、そうか。まあ、親しかったことに変わりはあるまいな」
教官は頷いてから、言った。
「奴と親しく関わっていたことは、君の成績に響くだろう」
ああ、そういうことか。
何という不覚。
レナは歯を食いしばった。
「くっ……」
「しかしだね」
教官は続ける。
「私は君という生徒を気に入っている。君は誰よりもひたむきに勉強に取り組んでいるね。一人で遅くまで勉強や訓練をしているのを、私は知っている」
「……勿体ないお言葉です」
「そこでだ。君が無事に試験を突破できたのなら、すぐに一等保安士になれる機会をやろう」
「はい?」
耳を疑った。賄賂を渡している者を除けば、最初は誰もが三等保安士から始まるのに、いきなり一等保安士に躍進できる?
レナは声量を落として言った。
「……おいくらですか。生憎、手持ちは多くはありませんが、必ず用意を……」
「そうではない」
「ああ、体の方ですか」
「違う、違う。ただの特別任務だよ」
「な……何でしょうか」
「私が上に口利きをしてやる。君にバラノフスキを処刑する権利をやろう」
ドクンと心臓が脈打った。
「……銃殺刑ですか」
「そうだ」
頭を撃ち抜かれて倒れるアルカディウスの姿が鮮明に想像できた。
(殺す。アルカディウスを、殺す。……殺せば……)
これは……願ってもない出世の好機だ。
階級が一つ上がるだけで沢山の恩恵を受けられる。給与はもちろん、不逮捕特権、仕事内容や社会生活上での優遇、それから──。
──諸君には、心臓を差し出す覚悟はあるか。
入学式の時の上官の声が記憶の中に鮮やかに蘇った。全新入生を震撼させた怒声が。
(あります。ありますとも。目的のためなら、心なんて要らない)
「……やります」
レナははっきりと言った。
「やらせていただきます。奴はどこですか」
教官はにやりと笑った。
「焦るな。まだ情報を聞き出している最中だ。それに、まだ訓練生である君に、人を撃つ資格はない。正式に保安局員になったらの話だ」
「その前に奴が殺される可能性は……」
「私が頼んで止めておいてやろう。君が入局したその日に昇進できるよう、計らってやる」
「本当ですか……!」
「西側の敵を殺すことの功績と、親しい者を殺すことの功績で、飛び級は間違いないだろう」
「ありがとうございます! ……しかし、失礼ながら教官殿……。何故、私にそこまでしてくれるのですか」
教官はにやにやと笑ったままだった。
「面白いからだよ」
「面白い、ですか?」
「ああ、面白いよ。近しい者同士が裏切り合うのを見るのは。聞けば君、ここへ来る前にも、父親を密告したそうじゃないか」
「……」
「いやぁ、君は見込みがある。はっはっは」
教官はレナの肩を叩いた。
レナは、指先からどんどん体が冷たくなっていく感覚に囚われていた。
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