第11話 宣伝
「学術研究会」は、ヴァソヴィオ市内のとある会場に学生を集めて、密かに講義をとりおこなっていた。
このように隠れて講義を開催するノウハウは、かつてパルラントが幾度となく他国に占領されてきた時代に、民族の強い意志によって培われたものだった。
「……このようにして、第一次世界大戦後の一九一九年からの『パルラント-ソヴェティア戦争』においてパルラント軍はソヴェティアの赤軍と戦い、一九二〇年の『ヴィトゥラ川の奇跡』を機にソヴェティアに勝利したのです。これによりパルラントは共産主義勢力が西方へと拡大するのを一時的に防ぎました。その後第二次世界大戦を経てパルラントはソヴェティア連邦の影響下に置かれることになりますが、『パルラント-ソヴェティア戦争』が無意味であったわけでは決してありません。パルラント民族が力を結集させてソヴェティアに対抗し得たという事実はパルラントの歴史上とても重要なことです。現在パルラント政府は、ソヴェティアへの反抗を示す悪い例として、『パルラント-ソヴェティア戦争』を無かったことにしてしまい、歴史の教科書における記述も全て抹消してしまっています。しかしこの歴史を正しく後世に伝えていくことは、正しい歴史認識をすること、西側との教育レベルの差を埋めること、パルラントの民族自決の心を養うことに繋がります。……」
マヤたちは会場の最後列に立って話を聞いていた。
パルラントの歴史から揉み消されたもの。パルラント民族が団結してソヴェティアに立ち向かい、独立を守り通したという事実。噂には聞いていたが、実際に聞いてみると感動ものだった。「パルラントは未だ滅びず」の精神が見事に表れているではないか。
私たちもこの時のパルラント人たちのように、協力して共産主義勢力を退けることができないだろうか。今はまだ難しいだろうが、いずれは──。
講義は盛大な拍手とともに幕を閉じた。学生たちが席を立ったり、先生に質問をしに行ったりし始める。
マヤたちは、会場から出ていく学生たちに、二枚ずつビラを渡していった。
一枚は「学術研究会」の宣伝のビラ、もう一枚は「スズランの会」の宣伝のビラ。
〈パルラントの自由を取り戻そう〉
私たちは以下のものを求めます
・学問の自由
・言論の自由
・不当に拘束されない自由
・共産党員と保安局員の特権廃止
・自由な労働組合
──民主化運動学生団体 ヴァソヴィオ大学「スズランの会」 会員募集中
効果は絶大だった。
「スズランの会」の名は一日にしてヴァソヴィオ大学じゅうに知れ渡った。
部室には人目を忍んで学生たちが現れるようになったし、次の「学術研究会」講義開催時、マヤたちのもとに質問者が大勢詰めかけた。
もちろん、危険を冒したくない学生たちも多く、彼らは「スズランの会」を遠巻きに眺めるだけだったが、そんなことは瑣末な問題だ。
三度ビラを撒いた頃には、会員は数十名に膨れ上がり、部室は常に人でいっぱいになった。
情報を嗅ぎつけた学内保安委員の者が現れると、古参の仲間が急遽呼ばれて、対応に当たった。
「このけしからんビラを撒いたのは貴様らで間違いないな!」
「何ですか、これは」
マヤは心底分からないという風に言った。それから内容を読むふりをして、大袈裟に首を横に振る。
「滅相もない。私たちはこのようなものを書いてなどいません。私たちの会を貶めようとした何者かの仕業でしょう」
「なっ? しかし……」
「私たちは、そりゃあ生活が少し良くなればと思ってはいますが、このような反逆的なことを申し上げるつもりはこれっぽっちもないのですよ、同志」
「でっ、出鱈目を言うな!」
「ひえっ、お許しを。出鱈目などではございません。本当です。どうかお慈悲を」
何だかんだで学内保安委員は、「スズランの会」が有罪であるという証拠を掴めず、すごすごと引き返すのだった。
マヤたちは、「学術研究会」の宣伝活動にも協力することになった。早朝、寮の各部屋に人数分のビラを投函するのである。
併せて投函する「スズランの会」のビラには、地下出版を読んで入手した情報も載せておいた。例えば、
・パルラントの財政は破綻している。輸出による歳入の全額は西側への借金返済に充てられている。
だとか、
・パルラント政府は重要な情報を抹消している。一九六八年の大学改革運動の際、軍による鎮圧で本学の学生も犠牲となった。またスケープゴートとして多数のユーダ人が国外追放された。
だとか、
・政府は集団農場と個人農場を差別している。個人農家は古い機材を使うことを強要され、作物は安く買い叩かれている。
といった、ガレク政権の政策の歪みを指摘する内容である。
これらのことを載せる目的は、学生たちに国内事情に興味を持ってもらうことと、「スズランの会」が学問の自由の他にも様々な要求を持っていると知ってもらうことだった。
「学術研究会」の講義の準備にも積極的に参加した。講義で使う資料の作成や配布はもちろん、場所の確保や参加学生の募集なども手がけた。
これに加えて普段の講義も通常通りに出なければならないし、課題も怠けずにこなさなければならない。去年に比べて課題は難解になり量も増えているし、それが終わったら次の授業のための予習をすることも欠かせなかった。
忙しさのあまり、夜なべする日も幾日かあった。
そんな風だったから、ユリアンと二人で過ごす時間は滅多に取れなかった。
僅かな時間を見つけると、二人はよくヴィトゥラ川に行った。ここなら大学の目と鼻の先だし、景色も良い。多忙な中の逢瀬にはうってつけだった。
この日もマヤとユリアンは川辺をそぞろ歩いていた。
川沿いには人魚の像が立っていた。
ヴァソヴィオの街の起源は、ヴィトゥラ川に人魚が現れたことである、という古い伝説をもとにした像だ。外国の御伽噺によくあるような可憐な姿とは違い、この街の人魚は、勇ましく剣と盾を持っているのだった。
マヤは立ち止まって像を見上げた。それから、像の尾ヒレの部分をウロチョロする、くだんのドモヴォーイを眺めた。最近ではこのドモヴォーイが急に現れても、さほど驚かなくなっていた。特に危険なことも起こらなかったので、警戒するのも馬鹿らしくなってしまっている。
「伝説が本当なら良かったのに」
マヤは言った。
「うん? 伝説?」
「人魚とかドモヴォーイとか、そういう、私たちを守ってくれるような存在が本当にいたら、この国は平和だったのかなって……。父さんも無事だったのかなって、思って」
「うーん。それは、どうかなあ」
ユリアンはふわりと笑った。
「あやふやなものに縋っても、何も変わらないよ。僕たちの問題は僕たち自身の力で解決しなくちゃね。最後に人間を救うのは、やっぱり人間なんだと思うよ」
マヤはじっとユリアンの横顔を見つめた。
「……そうだね。そうだよね。私たちが何とかしなくちゃ」
「僕、君となら何だってできると思っているよ。君には夢へと向かう行動力もあるし、夢を実現させるだけの力もあるもの」
「ありがとう」
「時々、君がどんどん先に行ってしまいそうな気がして、怖くなることがあるけれどね」
ユリアンは少し寂しそうに言った。
マヤは意味をはかりかねたが、彼のことを安心させられるように、笑顔を作った。
「でも、ユリアンは、私が行きすぎたら、ちゃんと止めてくれるんでしょ?」
「うん……」
「私も、ユリアンがいると、安心して走っていけるよ。隣を見ればユリアンがいるんだと思うと、とっても心強い」
「そっか」
「さあ、そろそろ時間だよ。次の『学術研究会』の講義の場所に行かなくちゃ」
マヤはユリアンの手を取った。
ドモヴォーイはいつの間にか消え失せていた。
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