第二章 粛清
第10話 恋心
年が明けた。
マヤはオリヴィアと共にヴィトゥラ川沿いの邸宅を訪れていた。
前にユリアンが紹介してくれた、「学術研究会」の会員の一人のお宅である。
呼び鈴を鳴らすと、一人の中年男性が現れた。
「こんにちは、ウルバノヴィチさんですか? 私たち──」
ウルバノヴィチさんは、みなまで言わせず、サッとメモ帳を広げて見せた。そこには手書きでこう書いてあった。
『盗聴器』
「!!」
マヤとオリヴィアは押し黙った。ウルバノヴィチさんはメモのページをめくった。
『世間話をしながら筆談で対話しよう』
マヤは頷いた。ウルバノヴィチさんは「やあやあ、よく来たね」と気さくに言って、マヤたちを家の中に招き入れた。
案内された通りにテーブルについたマヤとオリヴィアは、目線を交わした。二人とも口では言わなかったが、役割分担は一瞬で決まった。オリヴィアが主に筆談を、マヤが主に世間話を担当する。
やがてウルバノヴィチさんが台所から戻ってきた。
「紅茶が入ったよ、お二人さん」
トレイの上には三人分の紅茶とレモンと、メモ帳と鉛筆が載っていた。ウルバノヴィチさんはカムフラージュのためにテレビを点けた。いつものつまらないニュースが流れ出す。早速オリヴィアが自分のメモ帳に何か書き出したのを見て、マヤは明るい声で話を始めた。
「改めて、ご招待ありがとうございます、ウルバノヴィチさん。私たちは、ヴァソヴィオ大学の大先輩とこうしてお会いできることを、光栄に思います」
「なに、学問に邁進する後輩たちの様子をこうして聞くことができて、私も幸甚だよ。ジャーナリズムを専攻していた身としても、君たちの話には興味がある。どれ、近頃大学ではどんな講義をやっているのかね。聞かせておくれ」
「はい。喜んで。まずは全員が、基本中の基本であるマーカスやリーニンの著作と思想についての講義を……」
こんなややこしい話をしながら筆談などできるのかと思ったが、ウルバノヴィチさんは驚くべき精度で一人二役を演じた。
まずオリヴィアが単刀直入に伝える。
『我々の会の規模を拡張するため、「スズランの会」名義で、秘密講義中の会場でビラを撒かせて頂きたいのです』
『君たちの会について詳しいことは聞いていない。君たちは「学術研究会」の傘下には入らないのかね』
『学問を発展させようという、「学術研究会」の活動方針には共感しています。しかし我々が求めるのは、より広義的なパルラントの自由であり、民主化なのです。もちろん社会主義を否定しない範囲で』
『何故この時期に広報活動を?』
『次回「学術研究会」が実施する講義の内容は、第一次世界大戦後のパルラントの独立運動についてだと聞きました。それに合わせて……』
それからはマヤは二人のやりとりを目で追う余裕がなくなった。マヤが去年から今年にかけて受けた授業の内容をぺらぺらと喋っているうちに、オリヴィアとウルバノヴィチさんは話をまとめ、マヤたちはおいとますることとなった。
「印刷所に話をつけて下さるんですって」
帰り道、オリヴィアが小声で言った。
「代わりに私たちは、あの人たちの活動に協力すると言ったわ。これからは講義の準備の手伝いなんかもやらせてもらえるかもね」
「何から何までありがたいね」
「ま、物騒な話は部室に帰ってからにするとして……これは前から気になっていたことなのだけれど」
「何?」
「あなた、ユリアンとはどうなの?」
いきなり言われてマヤは内心ギクッとしたが、努めて平静を保った。
「どうって……たまにお茶しに出かけるくらいで、まだ何も」
「そうでしょうね」
オリヴィアはしたり顔だった。
「私、昨日ユリアンからも相談を受けたもの。マヤともうちょっとお近づきになりたいんだけど、どうしたらいいかってね」
「ハアーッ!?」
マヤの平静は脆くも崩れ去った。
「それ、本当?」
「アハハ。本当本当」
「えっ、ちょっ、お近づきになりたいってどういうこと……?」
「まあ有り体に言うと、恋心ね!」
「ふおああ!?」
マヤは叫んだ。
「だから、私は前から言っていたでしょう! ユリアンはあなたに気があるって。あなたったらちっとも信じてくれないで、グズグズしているんだから」
「それで、それで、オリヴィアはユリアンに何て言ったの?」
「『どうするも何も、あなたが自分で動くしかないわよ。ただ待っていても何も進展しないんだから』って言ったわ。そしたら『やっぱりマヤは僕のこと好きじゃないのかな……』ですって。だから私、『直接訊いてみたらどう?』って答えたの。アハハ!」
直接訊いてみたら?
誰に?
……私に。
「……待って、今、私たち、部室に向かっているんだよね?」
「そうね!」
「部室ではユリアンたちが待機してるんだよね?」
「そうね!! だから先にあなたに伝えておかなきゃって思ったのよ。私はあなたを応援しているんだから」
マヤは立ち止まって、逡巡した。
「マヤ?」
「うん、そうしよう」
マヤは一人で頷くと、急に早足で歩き出した。
「ちょっと、どうしたの?」
「早く部室に戻ろう」
「ちょっ、えっ、ウッソ!? ついに言う気になったの? キャーッ!!」
「ううん、私からは言わないよ」
「はあん? じゃあ何よ?」
マヤは何も答えずに、更に足を早めた。
困惑顔のオリヴィアを引き連れて、ずんずんと大学の門を潜り、サークル棟に向かうマヤ。「スズランの会」の部屋に辿り着き、バーンと勢いよく扉を開けた。
「わっ」
「何事」
驚くメンバーたちを尻目に、マヤはユリアンが奥の椅子に座っているのを見とめると、ずかずかと詰め寄っていって、隣の椅子に座る。
「おかえり、マヤ……どうしたの?」
「ユリアン」
「はい」
「その……私のことが好きだって聞いたけど……本当なの?」
上目遣いに訊いた。
メンバーたちがざわつく中、ユリアンの頬がたちまち真っ赤になった。
「えっ、それ、あの、あ、あわばばば」
「好きなの? 嫌いなの? それとも普通……?」
ユリアンは面白いくらいに目を泳がせた。
「そ、それ、今ここで答えなきゃ、だ、駄目なことかな……?」
「うん。駄目です。答えをお願いします」
「あうあう」
ユリアンは誤魔化すように口走ったが、マヤがじっと待っているのに気づくと、観念したように、ごくごく小さな声で、「好きです……」と白状した。
マヤはほっと息をついた。それから自分も小さな声で言った。
「あのね……」
「なななな、何ですか……」
「私もです」
「えっ」
ウワーッと部室中が沸き返った。ユリアンは、驚きと困惑と気恥ずかしさですっかり慌てふためいていた。
「マヤも、僕のこと、すすすす好きっていう意味?」
「そうよ」
マヤが笑いかけると、ユリアンは髪の毛と同じくらいに顔を赤くして、ぶっ倒れてしまった。
「スズランの会」の仲間たちは狂喜乱舞していた。中でもオリヴィアが一番うるさかった。他のサークルの人が何事かと覗きにくる始末だ。
あまりにみんなが興奮しすぎて、その日は何一つ会議ができなかった。マヤたちには重要な連絡事項があるというのに、そんなのは放ったらかしだ。
「いやー、奥手なあなたがよくやったわ!」
オリヴィアがバシバシとマヤの背中を叩く。
「あなたって、いざっていう時の行動力と決断力は物凄いものね! 度胸もあるし!」
「痛い、オリヴィア、痛い」
「嬉しいわー。今日はみんなで飲み会よ!」
「あっ、それなら、今、寮にすごくいいワインがとってあるの。みんなで分けたいんだけど」
「ならそれ、内緒で店に持ち込んじゃいましょう」
「平気かなあ」
「平気、平気」
ワアワアと仲間たちは酒場に向かっていった。マヤが寮に戻って、レナから贈られたワインを持って店に現れると、みんなが拍手で出迎えてくれた。たちまちユリアンの隣の席が空けられて、マヤは座らされた。ユリアンは既に出来上がっていた。
「二人の未来に乾杯!」
「乾杯!」
「おめでとうー!」
周囲の客たちが微笑ましくその様子を見守っていた。
「何だい、若いの。新婚さんかい?」
「いえ! この二人が今日恋人になったんです!」
「そりゃめでてえや。おーいみんな、俺らも乾杯しようぜ」
ユリアンは「やめてー」と言っていた。マヤは照れ笑いをして、みんなと一緒に乾杯した。
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