第7話 訓練
レナは、保安局員養成学校で、信じられないようなこの国の実態を、僅かながらに垣間見ることになった。
もちろん生徒には箝口令が敷かれている。授業で知り得た情報は、いかなる理由があっても口外することは禁じられていた。少しでも何か言おうものなら、国家機密漏洩罪で終身刑になりかねない。
さて、養成学校での二ヶ月の厳しい訓練を経て、レナはクラスを「通常クラス」に割り当てられていた。残りの四ヶ月で、秘密警察に最低限求められる技術と心得を叩き込まれる。
他にも、諜報員を育てる情報クラスやら、女性だけのクラスやらもあるのだが、レナはどの分野においても抜きん出た才能を示すことはなかったため、そういった特別クラスに入れられることもなかった。
取り柄は、度胸と、勤勉さと、忠誠心。銃の腕前は、最初こそ突出していたものの、すぐに同期の他の生徒、特に男子に追いつかれて、今では成績は中の上といった具合だった。
そのため、無事に卒業試験に合格した暁には、保安局員の下っ端として順当に、刑務所の警備や雑務などを任される運びとなりそうだ。政治犯にはもちろん女性も沢山居るから、女手は必要なのだった。
とはいえ、保安局が管轄する刑務所は、一般のそれとはわけが違う。
通常の警官や看守と同じような仕事が待っているはずがない。
ある日の座学の時間、教官役の局員が、開口一番にこう言った。
「拷問の目的は何だと思う」
シンと静まり返る教室の中で、ある男子生徒が勢いよく挙手をした。
「言ってみろ」
「はっ。犯罪者どもの口を割らせて、情報を吐かせることであります!」
「よろしい。不正解!」
クラスの多くの人間が、少なからず驚いたはずだった。教官は我が意を得たりといった表情で続けた。
「古代や中世においては、確かに拷問は、自白を促す目的で行われていた。肉体的・精神的苦痛を与えることによって脳の機能を低下させれば、人は嘘をつくことが困難になり、質問に対して真実を答えるようになると信じられていた」
レナもそうだと思っていた。引き続き話に耳を傾ける。
「しかし現代においてはこれは誤りであるとされている。拷問によって人の思考力は低下するが、それゆえに、発言内容の信憑性が疑われるのである。中には幻覚を見て妄言を垂れ流す例も少なくない。更に、拷問は言うまでもなく、対象者の生命を脅かすものである。拷問の結果として嘘八百を口走った者が死んでしまった場合、真実は闇に葬られ、現場がいたずらに混乱することとなってしまう。故に自白を強要するための拷問は避けた方が良いというのが常識である」
では今の秘密警察は拷問をしないのだろうか、という淡い期待はすぐに打ち砕かれた。
「では何のために我々は、時に必要に駆られて、囚人に拷問を加えるのか? それは、反社会主義者を正しい道へと導くためである!」
教官の目が爛々と輝き出した。
「まず、反社会主義者の脳機能を拷問によって低下させる。しかるのち、社会主義の思想を教育し直すのである。我々が行うのはあくまで犯罪者を更生させるための行為であるということを、ゆめゆめ忘れぬように。ではまず、教育方法について──」
レナたちはきちんと背筋を伸ばして座り、注意深く教官の言葉を記憶した。情報漏洩防止のため、保安局員養成学校には教科書はない。ノートを取ることも禁じられている。全て目で見て耳で聞いて覚えていく。
反社会主義者を矯正する方法と、そのために加える拷問について、やや過激な内容の授業が進行していった。
授業の最後になってから、余談だが、と教官は付け加えた。
「犯罪者に真実を吐かせる方法は、現在も未だに模索されている。自白剤の開発がそれだ。通常ならば、これまで自白剤として使われてきたものもまた、脳機能を低下させる働きしか持っておらず、期待した効果が得られないことが分かっている。しかし、技術は日々確実に進歩している。事実、ソヴェティアの高い技術力によって、限りなく本物に近い自白剤というものが作られている。ただし現状これらの薬は数が少なく非常に高価であるため、通常の政治犯に使うことはまずない。また副作用により脳が損傷するリスクを考慮すると、重要な機密情報を持つであろう者に対しても、使うことは望ましくない」
やがてこの日の授業が全て終わり、レナはげっそりして寄宿舎の部屋に向かった。
拷問の内容は、聞いているだけで身の毛がよだつものばかりだった。あれが実際に行われていると思うと鳥肌が止まらない。再教育の方法も恐ろしかった。大の男の低い大きな声による、脳天に響くような恫喝。あれを向けられたら、拷問されていなくても精神が参ってしまいそうだ。
それを、いずれはレナたちが率先して行うことになるのだ。
実際に手を汚すことが多いのは、残忍なことで知られる民警機動隊のメンバーだが、保安局員とて手を出すことはざらにあるらしかった。
寄宿舎に戻ったレナは非常に疲れていたが、日課のお祈りをするために、私服に着替えて教会に出かけた。
「……」
手を組み、黙って祈りを捧げる。
叶うなら神の奇跡によって願いを叶えて頂きたいけれど、神はそのような俗世のことには関心を持たれない。ただ見守ってくださるだけである。
十五分ほどでレナは教会を出た。寄宿舎に帰り、ベッドに腰かける。
『出てこい、カミル』
『はあい』
橙の帽子の小人が、今日もぴょこんと顔を出す。
『疲れているね、レナ』
『……うん』
『最近、喋り方が少し変わったね』
『……周りの人間に影響されたかな』
『大変なんだね』
カミルは寂しそうに笑う。
『マヤの様子はどう? 何か動きはない?』
『動きはあるけれど』
『な……!』
『でも徹底して証拠を残さないよ』
レナは灰色の天井を仰いだ。
『はあー……』
『どういう動きをしているか、知りたい?』
『ううん、いいの。証拠が無いならいい。私が下手に知識を持ってしまっては、局員に何か知られた時に危ないし』
『そっか。そうだよね』
カミルは小さな頭をこくこくと頷かせた。
『それと、疲れている時に申し訳ないんだけどさ』
『……何。何でも言って』
『エリックがもうすぐ死ぬよ』
『……』
レナは天井を向いたまま動かなくなった。
『保安局の人は訃報をこっそり教えてはくれるけど、マヤには誰も教えてくれないし、エリックの遺体も帰ってこない。でも今のレナなら保安局の情報を見ることが出来るよ。五日後、資料閲覧室にエリックの情報が載る』
『……そう』
本部の地下深くにあるその部屋にはまだ入ったことがない。だが生徒証を示せば入れてくれるだろう。
いや、とレナは俯く。
わざわざ自分の目で確かめて何になる。
――果たして五日後、一人の教官がレナに耳打ちをした。
その後レナは、エレベーターに乗って資料閲覧室に向かっていた。
父親が収容所に到着したであろう日にちの資料を引っ張り出して、教官に教えてもらった土地の名が印字してある欄に、目を走らせる。
「エリック・ステンシル」
「入院」の文字に二重線が引かれ、隣に日付と共に「死亡」と書き加えられていた。
たったそれだけだった。
レナは、ふっと息を吐き出した。
資料を丁寧に元の場所に戻した。
それから生徒証をまじまじと眺めた。
父親の尊い犠牲のもとで手に入れたもの。保安局に入るための切符。
(これを使って、私は、何としても……)
レナは生徒証を制服のポケットに仕舞うと、足早に資料閲覧室を後にした。
……もう、日が暮れていた。早く教会に行かなくてはならない。
モミジは粗方が散っていた。道路に落ちている乾いた葉っぱが、道行く人々によって踏みしめられていた。
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