第6話 日常


 「スズランの会」の部室にて、ユリアンは幾つかの活動団体を紙に書き出した。


 まず、「労働者自衛委員会」。ほんの数名のインテリゲンツィアによって主導されているこの運動は三年前に始まっており、政府による食料品の値上げなどに抗議している。

 「人権擁護運動」は四年前の西側との国際条約に従って、国民の人権を守るべしという主張をしている団体である。

 「学術研究会」にはヴァソヴィオの大学教授や学生も加わっている。十一年前に大学改革運動が鎮圧されて以来大学の自治は完全に消滅してしまったが、この団体は秘密裏に場所を変えながら講義を行なっており、マヤたちもそれをよく聴講している。


 いずれの団体も、主催者の名前や住所を公開しながら活動しているというのが特徴だ。彼らがどうやって警察の手から逃れているのかはマヤたちにも分からない。


「ざっとこれくらいかなあ」


 ユリアンは言った。


「この人たちが地下で出版している雑誌を手分けして読もう。概要を頭の中でまとめておいて、みんなに発表してくれるかな。証拠が残らないように、雑誌そのものは内容を覚えたら処分してね」


 役割分担は俺が、とメンバーの一人が名乗り出た。


「うん、よろしく。じゃあ後は彼に任せるとして、この話はおしまいです。ご清聴ありがとうございました」


 続いてマヤが「はい」と発言を求めた。オリヴィアが指名してくれたので、立ち上がって、はきはきと述べる。


「私からは一件。我らがヴァソヴィオ大学も、新入生を迎えています。『スズランの会』存続のためにも、活動規模拡大のためにも、新入会員の勧誘が必要です」


 仲間たちが不安そうな面持ちになった。


「もちろん、安易に人を呼ぶことは密告に繋がるので駄目だよ。本当に信頼できると思える人がいたら、少しずつ勧誘をしてみてね。一人だけとかでも全然問題ないから。勧誘の様子は逐一みんなと共有して、一緒に作戦を立てましょう。以上です」


「ありがとう、マヤ。……他に連絡事項のある人は?」

 オリヴィアはみんなに向かって言った。

「いないようね。では今日はこのあたりで一旦締めましょう! みんな、くれぐれも自分の身の安全には気を付けてね。以上、解散! おつかれさま!」

「おつかれさまでした」


 その日から、各々で隠れて活動をしつつ、部室に集まっては進捗を報告するという日々が始まった。もちろん、講義や課題で忙しいので、時間を見つけるのには苦労した。

 マヤは労働者自衛委員会の雑誌を読む係だった。闇で流通している雑誌は、入手しようと思えば比較的容易く入手できた。


「共産党は労働者の利益を代表する機関であるべきだった。しかし今やパルラント共産党は労働者の味方をしていない。労働者は再び権力によって搾取され、食料品の値上げ等によって苦しめられている。──」


(ふむ。労働者の味方ね)


 そもそもの始まりは一九一七年のソヴェティア革命だった。長引く世界戦争と専制者による統治にうんざりしたソヴェティア帝国の労働者たちが、革命家リーニンを中心に立ち上がって支配者を倒し、戦争から離脱した。のちにリーニンらを中心に樹立されたのが、皇帝でも貴族でもブルジョワでもない、労働者による政権、ソヴェティア社会主義共和国連邦だ。

 その後、二度目の世界戦争の際、色々あってパルラント全土はジェルマ帝国に占領され踏み荒らされた。それを戦争終結間近になって解放してくれたのが、ソヴェティア連邦軍だった。パルラントはその後ソヴェティアに倣って共産主義独裁政権を樹立し、ソヴェティアの衛星国となる道を歩んだのだった。


 このような経緯によって、労働者による労働者のための労働者の政治として始まったはずの共産党政権が、労働者を圧迫しているのはおかしいのだと、労働者自営委員会は主張している。

 当局に夜検閲を受けずに出回っているこの非合法の書物には、普段なら到底口にできないようなことが沢山書いてあった。


 雑誌には、東西の対立を扱っているページもあった。

 検閲を廃して、労働者に自由をもたらせ、と彼らは主張していた。西側の世界には検閲が無いのだ。


 第二次世界大戦を経て、現在世界は、「鋼のカーテン」と呼ばれる概念によって東西に分けられている。

 東側はソヴェティア連邦率いる共産主義圏。衛星国に、東ジェルマ、チェスコスロヴィオなど。

 西側はアメリーコ合衆国率いる資本主義圏。衛星国に、西ジェルマ、ジャパニオなど。

 東西はあらゆる分野において対立している。領土、軍事、経済、果ては宇宙開発まで。しかしマヤたちが西側の様子を知る機会はほとんど無かった。分かっているのは東側が西側より優れているというプロパガンダだけ。

 そんなものは嘘だとみんな本当は知っている。東側諸国が優秀であるということまでは否定しないが、西側諸国はそれよりも豊かで、技術革新も進んでいて、何より自由があるそうだ。自由にものが言えるというのはとても素晴らしいことだ。


 以前こんなアネクドートを、オリヴィアが聞かせてくれた。


「『パルラント人民共和国では、アメリーコ合衆国と同じように、言論の自由が認められているというのは本当ですか?』

『本当です。もしあなたがアメリーコの官邸の前で「滅べ、アメリーコ!」と叫んでも、逮捕されません。それと同じように、もしあなたがパルラントの庁舎の前で「滅べ、アメリーコ!」と叫んでも、逮捕されません』」


(自由……ね)


 マヤは雑誌を何度も読み返して、内容を頭に叩き込んだ。それから意を決して雑誌を寮のゴミ箱に放り込み、他のゴミと一緒に焼却炉に出しに行った。

 物的証拠を残さないために。


 地下出版や学生の集まりが、実際に何かを動かすほどの力を持っているわけではない。それでも抵抗をやめないことが肝要なのだ。小さな一歩であっても、それが後に大きな一歩を踏み出すきっかけになるかもしれないのだから。

 隷属することに慣れた者の末路は悲惨だ。

 諦めてはならない。戦い続けよう。


 スズランの花言葉は「幸福の再来」。パルラントの歴史にぴったりの言葉だ。

 パルラントは、先の戦争に限らず、他国に何度も占領されてきた。地図上から完全に消滅してしまった時期も少なくない。それでもパルラントは何度でも蘇った。何度でも幸せを取り戻してきた。

 今もまた共産主義という大きな力によって、花は踏み潰されている。しかしパルラントが屈することは絶対にない。

 マヤたちは、自分たちの活動が、スズランに含まれる微弱な毒のように、今の体制をささやかに弱らせることを願っている。


 その後も「スズランの会」の活動は、静かに、確実に、進んでいた。新入会員も数名迎えて、様々な議論が生まれた。

 時はゆったりと過ぎ去り、パルラントは黄葉の季節を迎えた。「黄金の秋」という、パルラントで最も美しいといわれる季節の到来である。青空のもとでモミジの葉が黄金色に染まり、町中を鮮やかに彩る。


 ある日の昼下がり、ユリアンがマヤを散歩に誘った。


「ヴィトゥラ川に行こう」


 二人は大学を出て、落葉の敷き詰められた歩道を歩いた。河川敷に出ると、雄大な河の流れに乗って下っていく黄金の葉が、日の光に照らされてきらきらと光っているのが見えた。

 ユリアンの赤みがかった髪の毛が涼風に吹かれているのを、マヤはぼんやりと眺めていた。


「学術研究会に参加しているうちの大学の教授と接触できたんだ」

 ユリアンは言った。

「知人を何人か紹介してくれるって。よければマヤはオリヴィアと一緒に話を聞きに行ってくれないかな」

「いいけど」

 マヤは首を傾げた。

「そんなことを言うためにわざわざここへ来たの?」

「まさか」

 ユリアンは目尻を下げて笑った。

「そこの店に、コーヒーでも飲みに行こうよ」

「……うん」

 

 二人は喫茶店に入って、美味しいのか美味しくないのか分からない、さほど美味しくないコーヒーを、一杯ずつ注文した。

 あたたかい飲み物を口にしながら、窓の外の黄葉を眺めるのは、悪くなかった。こうしていれば、まるで、何の憂いもない平和な日常が、時間と共に揺蕩うように流れているような気がした。

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