第4話 養成学校

 九月一日。街路樹の葉はまだ色づいていない。


 レナは肩より上で切り揃えた黒髪をくしけずって、頭に黒い制帽を乗せた。制服のジャケットもスラックスも黒色。

 今日から保安局員養成学校での日々が始まる。


(他の奴らに舐められないようにしなくては)

 レナは奮い立った。

(規律正しい保安局員になるために!)


 予定時間の五分前に学舎に行くと、講堂に案内された。入学式の会場には、パイプ椅子が寸分の狂いもなく整然と並んでいて、ピシリと背筋を伸ばした新入生たちが緊張感も露わに腰掛けている。

 女子の姿は、全体の一割ほどか。残りは比較的屈強な体格を持った若い男たち。寄宿舎に居ても彼らには特に話しかけたりはしなかったので、どんな人がいるのかレナは把握していなかった。


 やがて椅子が全て埋まり、物々しい空気の中で、入学式が始まった。

 パルラントの二色旗が掲げられる。共和国の尊厳を表す白色と、共産主義を象徴する赤色。


 壇上に、保安局長の男が立った。厳めしい表情と鋭く光る目で、威圧感たっぷりに新入生たちを睥睨する。空気がビリビリと振動するかのようだった。

 数秒間の、耳が痛くなるような沈黙ののち、男は口を開いた。


「諸君には、心臓を差し出す覚悟はあるか!」


 思わず震え上がってしまいそうな、恐喝めいた声。


「保安局は何よりも国家にその身を捧げる仕事である! これから学ぶ全てのことは国家安全のためである! 加えて、ここで見聞きすることは、全て国家機密であると心得よ! 本学で得た情報の一切の口外を禁ずる! 分かったか!」

「……!」

「返事!」

「はい、同志!!」

「よろしい。以上である!」


 そんな感じの演説がこの後何度か別の人によって繰り返された。新入生たちはすっかり恐れ慄いてしまった。レナも、指先が異様に冷たくなるのを感じていた。

 なるほど、恐怖によって統率を図るのだな、とレナは思った。この国の政府と全く同じやり方だ。


 式の最後には、歌を歌うことになっていた。


 参席者は一斉に立ち上がる。


 まずは、パルラント人民共和国の国歌斉唱。

 レコードがかけられ、朗々たるファンファーレが鳴り響いた。

 さあ、これを歌わない者は国家反逆罪だ。口を大きく開けて歌え。



 パルラントは未だ滅びず!

 我らが生きている限り!

 他国に何度奪われようと、

 我らは剣をもって蘇る!




 万雷の拍手、そして歓声。なるべく盛り上がらなければならないから、誰もが必死に手を打ち鳴らす。


 続いては、労働者の国際的組織である「インテルナツィア」のための賛歌『インテルナツィア』の、斉唱である。これはソヴェティア連邦の国歌でもあった。またしても壮大なファンファーレが響き渡る。

 さあ、これを歌わない者は反社会主義者だ。声を限りに歌い上げろ。

 



 立ち上がれ、飢えたる人々よ!

 燃え上がりし正義の炎が、今解き放たれる!

 目覚めよ、労働者たちよ! 支配者を滅する時だ!

 小さな力も、寄り集まれば、大きな力となりうるのだ!


 人々よ、これが最後の戦いだ!

 人間の権利のために、戦え、「インテルナツィア」!




 ワーッと、一段と大きな拍手、そして歓声。

 

 式はほとんど強制的な熱狂と共に幕を閉じた。


 続いて新入生たちに、指示が出た。昼食を摂ってよし、と。

 多くの新入生は不安そうな目をして、それでもキビキビと食堂に向かう。


 今日のメニューは、キャベツとソーセージのスープだ。相変わらず質の良い食材を使っている。ソーセージがこんなにも美味しいものだということを、レナはここに来て初めて知った。店で買えるソーセージは、ただの変な形をした不味い肉塊でしかなかった。

 席について無言でパンとスープを頂いていると、正面に背の高い男が座った。


 鮮やかな金髪に淡い青色の瞳。高い鼻、白い肌。

 そいつが、話しかけてきた。


「やあ。君も新入生だよね? 俺はアルカディウス・バラノフスキ。君の名前は?」


 レナはやや驚いたが、表情には出さずに短く言った。


「……レナ・ステンシル」

「うん。素敵な名だね。君はどうして保安局に入りたいと思っているんだい?」


 何だ、この男は、とレナは訝しんだ。

 みんな入学式の恐怖も醒めやらずに、体をカチコチにして食事を摂っているのに、この男はまるで何事もなかったかのようにぺらぺらと喋る。

 彼の姿は完全に周囲から浮いていた。ついでに、話しかけられているレナも浮いていた。


「ねえ、何でだい?」


 しつこく訊かれたので、レナはぞんざいに答えた。


「国家の安全を守るため」

「うん、模範回答!」


 バラノフスキなる男はにっこり笑った。


「ちなみに俺は国のために語学力を活かしたいと思ったからだよ。ここを紹介されたのも外国語能力を買われたからでね。諜報活動にぴったりというわけだ。君は? どこの部署を志望しているんだい?」


 何故この男はこんなにも話しかけてくるのだろうか。もしかしてこれは、レナが女だからという理由で軽んじられているのだろうか。だとしたら毅然とした態度で接しなければなるまい。

 レナはわざと堅い口調で返した。


「お喋りな男は保安局に向かないと思うが」


 バラノフスキは、全く気分を害した様子はなかった。


「おっと、これは失礼。おっしゃる通りだよ。これからは気をつけるとしよう」


 レナは何も言わず、空の食器の乗ったトレイを片付けるために立ち上がった。バラノフスキに背を向けて歩き出す。


「またね、レナ!」


 軽率に名前呼びをされたのも気に食わない。レナはバラノフスキを無視してその場を去った。


 午後は適性検査が実施された。主に体力面のテストだ。

 最初に、射撃。

 レナは生まれて初めて銃を持った。

 命を奪うための小さな黒い物体は、ズシリと重かった。

 手が震えた。

 深呼吸をして、動揺を収める。


 基本的な構え方と撃ち方だけを教わって、やってみろ、と的の前に立たされた。

 狙いを定めて、引き金を引いた。


 バァン。


 思ったより腕や肩に負荷がかかることを、レナは知った。体幹もしっかりしていないと、安定して撃てない。


「続けて撃て」

「はっ」


 気を取り直して、引き金を引きまくる。


 ──バァン、バァン、バァン。


 レナの放った銃弾は全て、概ね的の真ん中付近に集中していた。

 ちらっと同じ列の生徒を見やる。的に当てるどころか、まるで見当違いの方に撃ってしまっている者も少なくない。


「素晴らしいぞ、レナ・ステンシル」

 教官が褒めてくれた。レナは頷いた。

「光栄です」

「初めてにも関わらず、ここまで正確に当てるとは。貴様には射撃の才能ばかりか、並外れた度胸があるようだ。配属の参考にさせてもらおう」

「……よろしくお願いします」


 レナには、特別な技術は何もない。バラノフスキのように特技があるわけではない。ちょっと頭が良かっただけ、忠誠心が強かっただけ。だからこの半年という短い期間で、何の技術を叩き込まれるにしろ、必死で食いついて学ばなければ置いていかれるものと覚悟していた。

 だが、この様子では……。

 私が主に仕込まれるのは、もしかすると、銃の腕前?


(人殺しが、現実のものとなりつつある)


 レナはやがて訪れるであろう未来を想像して、ぞっと身震いした。


(でも、私は)


 ついこの前、保身のために、父親を死地へと追いやった。

 もう既に、立派な人殺しではないか。


 これからも、利益のために、レナはたくさんの人を踏みつけにすることになるだろう。

 だから、この程度で戸惑うわけにはいかない。


 既に人の道は踏み外した。ここまで来たのだ、身も心もとことん血に染める覚悟で進まねば、未来は無い。


 決意を新たに、レナは他の全ての検査をこなして、寄宿舎へと帰って行った。

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