第40話 彼女の本音の欠片
「なあ……やっぱり、ちょっと紗菜の奴、変じゃないか?」
帰り道、どうしても何かが引っかかって、和春達に訊いてみた。
紗菜との付き合いの長さは、俺もこいつらもそう大差ない。俺で異変を感じるなら、二人も感じているはずだ。
「まあ、ちょっと……なんか、変っていうか、引っかかる感じはあるよな」
和春が難しい顔をして首を傾げた。
「女の子の部屋ってあんなに物がないものなの? 僕もあまり物は持たない方だけど、さすがにもうちょっと生活感あるよ」
「うーん、中学の時付き合ってた彼女の部屋行った事あるけど、もっとごちゃごちゃしてたぞ」
二人がそれぞれ意見を言った。
そう、そうなのだ。あまりに少なすぎる物、がらんとした生活感のない部屋……あれでは、本当に寝る事くらいしかする事がないだろう。生活感がないというより、引っ越し仕立ての部屋のような感じだ。果たして、あれが女子高生の部屋と言えるのか。
紗菜はキャラ物の財布を使っていたし、鞄にも女の子らしいキーホルダーをつけていた。決して何も持たないわけではない。
それに、そこまで物を持たない主義の人間なら、あの場で笹をもらうはずがないのだ。あんなもの、あっても邪魔なだけで……それこそ、最も必要ないもののはずだ。
それなのに、彼女はあの笹ツリーを欲しがった。笹に折り紙と短冊を装飾しているだけの、邪魔にしかならないものを、だ。そこも違和感のポイントであった。
「……そういえば、あいつ短冊に何て書いてたっけ?」
ふと気になって、もう一つ訊いてみた。
俺は彼女の短冊を見た時、何か違和感を抱いたのだ。でも、それが何かわからずに、紗菜の笑顔の違和感の方に引きずられて、そのままスルーしてしまった。あれも見逃してはならないポイントだったのではないか。
「んあー? 確か、薫と同じような事書いてなかったっけか? 皆とずっと仲良く過ごせますように的な」
「うん。確かそんな内容だったと思うけど……それがどうかした?」
「いや……そう、だよな?」
そうなのだろうか。もし、それなら俺は何も違和感を持たなかったのではないだろうか。ただ、二人が何も疑問に思わなかったのなら、俺の勘違いで、本当に『皆と仲良く』だったのだろう。
それから明後日の花火大会の待ち合わせや時間、スポットについて話題が移って、紗菜の事についてそれっきりだった。
だが、その後二人と別れてからも、その短冊の引っかかりが消えなかった。
(思い出せ……本当に、『皆と仲良く』だったか?)
その言葉なら、俺は引っかからなかったはずだ。それに、皆と仲良くする事を祈っていれば、どうしてあんな独り言を呟いた?
『もしも、あたしがいなくなって……二度と会えないってなっても……皆は、あたしの事覚えててくれるのかしら……?』
彼女は、こう言っていた。これだけは聞き間違いではなかった。これは俺だけが聞き取れた彼女の独り言だったはずで、これこそが大きなポイントなのではないだろうか。
そこで、ハッとする。
(あいつの短冊……『皆〝が〟ずっと仲良く過ごせますように』じゃなかったか?)
そこが〝と〟と〝が〟では全く意味合いが違ってくる。そして、それが〝が〟であったなら、さっきの『あたしがいなくなっても』の独り言に繋がるのではないがろうか。
皆〝が〟ずっと仲良く過ごせますように──これは即ち、自分がいない事が前提となる願い事だ。自分だけがそこにいなくて、自分はいないけれど俺達三人は仲良く過ごしてほしい、という意味にならないだろうか。
ぞくっとした。得たいの知れない不安感と、恐怖感が肌を這っていくのを感じる。
異常なまでに物が少ない部屋、『皆〝が〟ずっと仲良く過ごせますように』という短冊、そしてさっきの独り言……全てが繋がってしまうのだ。紗菜が最近元気がなかったのも、それで説明がついてしまう。
(もしかして……あいつは、いなくなる、のか?)
想像もしなかった答えに行き着いて、動悸が激しくなった。七月なのにも関わらず、体が冷たくなったのを感じてしまう。
もし、あいつが引っ越してしまうなら……あんなどうでもいいガラクタみたいな笹を欲しがるのも、部屋に物がないのも理解できてしまう。部屋に荷物がないのは、もう引っ越しの準備が終わっているからだ。
そして……俺や明日太が感じていた、どこか寂しそうにしていた紗菜は、勘違いでも女の子の日が原因だったわけでもなくなってしまう。
俺はすぐさまポケットからスマホを取り出して、紗菜に電話を掛けた。ひとつひとつのコールが異様に長く感じた。
『え、薫くん⁉ どうしたの? 何か忘れ物?』
三回目のコールで紗菜が出た。あまり電話を掛ける事がないので、いきなりの着信で驚いているようだった。
「おい、紗菜。お前、さっき短冊に何て書いた?」
紗菜の質問には答えず、俺はそう訊いていた。
『は、はあ? 何よ、いきなり。さっき見せたじゃない』
「いいから、読み上げてくれ」
『えっと……皆とずっと仲良く過ごせますように、だけど?』
「え……?」
おかしい。それなら、さっき俺は違和感を持たなかったはずだ。
「本当か?」
『本当よっ。そんなに疑うなら、見せてあげるわよ』
言ってから、紗菜がムービー通話モードに切り替えて笹を映した。
画面を覗き込むと、そこには『皆とずっと仲良く過ごせますように』の短冊があった。紙の色もさっきと同じで、文字を書き換えた形跡もない。
俺の、見間違いだったのだろうか。
『どう?』
紗菜がムービー通話モードを解除して、訊いてきた。
「ああ……悪い、俺の勘違いだった」
実際にそうだったのなら、素直に謝らざるを得ない。
『一体何なのよ。いきなり電話かかってきたから……びっくりしたじゃない』
「いや、短冊に『皆がずっと仲良く過ごせますように』って書いてた気がしてさ。もしそうだったら、お前だけいなくなるんじゃないかって、不安になって」
『……バカね。そんなわけないじゃない』
紗菜は電話の向こうで、くすっと笑った。
『どうしてあたしがどこかに行く事になるのよ。この学園の理事の孫よ? 幼等部からいるのに、今更どこかに行くわけないでしょ?』
「だよ、な……いや、悪い。なんか俺、今勝手に不安になっちゃって」
恥ずかしい。そんな〝と〟と〝が〟の違いだけでこんなに狼狽して電話を掛けているなんて、ちょっと冷静ではなかった。彼女の言い分は尤もで、転校する理由もない。
『そ、それに……薫くん達はあたしがいなくなったら、遊び相手がいなくなって困るでしょ? なら、居てあげるわよっ』
紗菜が恥じらいを隠すように、何故か怒った口調で言う。
多分今は拗ねたような顔をしているように思う。そう思うと、何故か微笑ましい気持ちになってきた。
「は、はあ? あ、当たり前だろ。もうこの二か月くらいずっと一緒に過ごしてるんだからさ。色んなゲームもできなくなるし、勉強も助けてもらえなくなるし……居てくれなきゃ困るだろ、そりゃ」
そうじゃない。そうじゃないのに、この口は勝手にそんなどうでもいい事を口走っている。紗菜がいなくなられて、困る理由はそれじゃないのに。
だから、せめて……少しでいいから、本音を伝えたい。紗菜の気持ちを確かめる意味でもいい。俺の気持ちを少しでも伝えて、紗菜がどんな反応をするのか知りたい。それで、俺の身の振り方──友達でいるべきか、それよりも先にいくべきか──を確認できる。
今は電話越しだし、全てを聞く勇気はない。だから、せめて……彼女の本音の、欠片だけでいいから覗いてみよう。
そう思って、俺は大きく深呼吸をして、自らの気持ちの一端を吐き出した。
「あと……お前がいないと、寂しいだろ」
消え入りそうな声で、それだけ絞り出す。今の俺では、これが限界だった。
「っ……」
電話の向こうで、紗菜が言葉を詰まらせたのがわかった。暫く黙ったまま、少しだけノイズが混じるスピーカーから、僅かに聞こえる小さな吐息だけに耳を傾けて、彼女の返事を待つ。
「紗菜は……どう?」
返事が待ちきれなくて、重ねて訊いてしまった。
卑怯だとは思う。でも、答えを知りたかった。その答え次第で、俺はその後の身の振り方を変えるから。紗菜との、関係をちゃんと見極めるから。
『あたしは……』
ようやく、スピーカーから彼女の声が返ってきて、安心する。さっきとは違う意味で動悸が高鳴っていた。その言葉の先を知りたくて、もし人生を早送りできるなら、三十秒でいいから早送りさせてくれと神に祈った程だった。
『……うん。あたしも、薫くんがいなかったら、寂しい』
紗菜は、暖かみのある声で、そう言ってくれた。
それだけで、どうしようもなく彼女を愛しく思う気持ちで溢れてくる。彼女も俺と同じ気持ちでいてくれていた。それだけで嬉しかった。
そして、さっき思い浮かんだものは、全て俺の杞憂だった。改めてその確認もできた気がして、安堵感に満たされた。
その言葉のやり取りだけで、お互いに十分だったのだと思う。これ以上、この電話でのやり取りは必要ないと思えた。後は……面と向かって、気持ちを伝えるだけだ。
「えっと……じゃあ、明後日の花火でな」
『ええ……友達と花火を見に行くなんて、初めてだから楽しみだわ』
紗菜の言った言葉を、心の中で否定する。
きっと、その花火の最中に、それは〝友達と行く花火〟ではなくなる。鈍い彼女はきっと俺の決意にまだ気付いてないだろうけど……でも、さっきので、確信した。
俺達は、友達でいるべきではない。明後日の花火で、彼女に気持ちを伝えよう、と──。
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