第35話 夏の手前

 六月が過ぎ去って、七月に差し掛かっていた。まだ梅雨は終わっていないものの、夏の訪れを告げるように、蒸し暑い日が続いている。

 こんな蒸し暑い日で、そろそろテスト期間も近付いているというのに、俺達はというと相変わらず四人で遊んでいた。キャッチボール、ゲーム、カードゲーム、アプリ、そして無駄な会話……モラトリアムを満喫しているにも程がある生活だった。

 加えて、先週末には紗菜待望の草野球にも参加した。紗菜は怪我で出場できなくなった先発投手の代わりにピンチヒッターとして出場、俺はキャッチャーとして出た。

 彼女の成績は五回無失点で被安打数は三。フォアボールは驚きのゼロだ。元甲子園球児も相手チームにはいたが、紗菜のムービングとスプリット、そして最近覚えたシンカーに手も足も出なかった。

 見掛けはどう見ても聖女様なのに、三振を取ったら「いよっっっしゃああああー!」と元気に声を上げるものだから、草野球のおっさん達からもすこぶる評判がよかった。紗菜は聖女様ならぬ救世主と呼ばれ、また近い未来に助っ人に来てほしい、と頼まれていた。

 だが──


「うーん……まあ、予定が空いてれば、かしら?」


 少し意外だったのは、紗菜がこんな感じで返事を濁していた事だった。あれだけ楽しそうに球を投げ、相手チームを打ち取っていたのに、快諾しなかった事はちょっと意外だ。それもやや気まずそうにして断っていたのである。理由を訊いても「まあ、誘われたらその時に決めるわ」とはぐらかされてしまった。

 何故、彼女がこういった返事をしたのかわからず、俺達男連中は顔を見合わせて首を傾げたものだった。それ以降、紗菜がキャッチボールをしたいと言い出さなくなったのもまた、意外だった。

 そんな少しの変化はあったものの、もうすぐ紗菜と知り合って、二か月……俺と紗菜の関係には進展が全くなかった。出会った当初に手を繋いだり、キスを仕掛けたりしていたのがまるで夢だったのではないかとすら思い始めている。

 今は七月なわけで、当たり前だが、一学期が終わるまでもう一か月ない。できれば、夏休みに入る前までに何かしらアクションを起こしておきたいのだけれど、こうして四人一緒に行動しているのが逆に良くない方向に進んでいってしまっていた。二人きりになる隙がほとんどないのだ。

 例えば、今月頭には七夕がある。それも四人で笹でも買って願い事をそれぞれ書いて、その後はゲームでもしようという話になっている。その二日後には町の花火大会があるが、これもまた四人で見に行く事になっていて、二人きりになるのは難しそうだった。ただ、俺も友達を紹介して自分達のグループに引き入れた手前、何か動けるはずもなく……大きく溜め息を吐くしかなかった。


「どうしたの、二人とも?」


 昼休み、明日太がこちらを向いて訊いてきた。俺が溜め息を吐いたタイミングで、横にいた紗菜もアンニュイな表情をして、同時に小さく溜め息を吐いていたのだ。

 ちなみに今は和春がジュースを買いに行っている。さっきまで四人で大富豪アプリで遊んでいて、負けた罰ゲームだ。


「え、何が?」


 紗菜はさっきのアンニュイな表情からいつもの綺麗な笑顔に戻して、首を傾げた。


「ううん、何か二人とも溜め息を吐いていたから、何かあるのかと思って」

「何にもないわよ? 暑いなって……そう思っただけ。薫くんは?」


 紗菜が首を傾げて訊いてきた。その綺麗な青い瞳に吸い込まれそうになって、思わず目を逸らす。


「いや……俺も同じ。暑いなって、思っただけ」


 苦い笑みを漏らして、何んとなしにそんな言葉で逃げた。


「まあ、夏だもんねぇ」


 明日太は椅子にぐでっともたれかかって、チュッパチャプスを口の中で転がしたまま、晴れた空を見上げた。


「七夕もあるし、花火大会もあるし……夏、だよねえ?」


 そして、ちらりと俺を見た。

 何かを促そうとしている目だった。そして彼はどこか、少し呆れたようでもあった。


「夏だなぁ……」

「夏ねえ……」


 俺は明日太のそんな視線に気付かないふりをして、同じく空を見てそう呟くと、紗菜も同じように続けた。彼女はまたどこかアンニュイな表情を浮かべて、空を見上げていた。

 夏がくる前に……俺と紗菜の関係は変わるのだろうか。そして、どうして夏が近づくというのに、彼女はそんな表情をしているのだろうか。

 俺は彼女の横顔を盗み見て、また小さく溜め息を吐くのだった。

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