第26話 薄ピンクの魔球

 平日の夕方だからか、河川敷の野球グラウンドは誰も使っていなかったので、伸び伸びと周りを気にせずキャッチボールができそうだった。キャッチボールなんて、小学生の時ぶりだろうか。グローブの感触すら懐かしい。野球少年だったわけではないが、学校帰りに友達とこうして毎日野球をしていたものだ。

 当時遊んだ連中は今はどうしているんだろうか。そんな事をふと考えながら、紗菜から投げられたボールを、明日太に向かって投げた。そのボールを明日太が和春に投げ、また紗菜に投げた。投げる順番は、紗菜➾俺➾明日太➾和春⇒紗菜と以下ループだ。

 紗菜の方はさすが運動神経抜群というべきか、普通にボールを取っている。が、紗菜から強めにボールを投げられると、俺が上手く捕球できずに落としてしまうのだ。


「ちょっと、ちゃんと捕りなさいよ。真ん中に投げてるでしょ?」


 何度目かの落球に紗菜が少し不機嫌そうに言う。


「ああ、うん。ごめんごめん」


 謝りつつ、首を傾げてボールを拾って、明日太に向かって投げる。

 今ちゃんと捕ったつもりだったんだけどなぁ。なんだか変な感じだ。こんな事が何回か続いていて、捕った時もなんだかしっくりこない。芯がずれているというか、なんというか。


「あ、薫くん。おもいっきり投げてみたいんだけど、いいかしら?」


 何回かボールを投げているうちに、すっかり楽しくなってしまったらしい。紗菜が目を輝かせている。

 さっきから少しずつ球を投げる力が上がってきていたので、おもいっきり投げたいんだろうなぁというのは何となく伝わっていた。


「いいけど、大暴投して川に投げるなよ」

「投げないわよ」


 言いながら、俺はバックネットまで移動して、キャッチャーのごとくホームベース前に座って構えた。キャッチャーミットじゃないけど、まあ女の子の球だし大丈夫だろう。あとは大暴投されなければ、何とかなるはずだ。


「お、あの斎紗菜の全力投球が見れるのか。楽しみだな」

「これはレアだね」


 和春と明日太が面白い見世物だと言わんばかりにバッターボックス付近まで寄ってきた。


「ちょっと、変なプレッシャー与えないでよ」

「いいからいいから」


 和春がそんな事を言いながら、紗菜を宥める。


「ここから投げればいいの?」


 紗菜はピッチャーマウンドに立って、首を傾げた。


「そこからだと遠いからもっと近くてもいいぞ。女の子の肩でノーバンで投げるのって難しいっていうし」


 ピッチャーマウンドから本塁までの距離は一八.四四m。野球経験のない女が子が投げるにしては、ちょっと遠い。

 始球式では芸能人がよく投げているが、マウンドから本塁まで、届かせる人──しかもストライクとなれば──はあまり多くない。


「そうなの? それなら一回ここからやってみるわ」


 変なとこ投げたらごめんね、と彼女は付け足して、ピッチャーマウンドに立った。地面にバウンドして取れなくても、バックネットがあれば大丈夫だろう。

 それにしても、何故か変な対抗心を燃やしている。まだ知り合って数日だが、彼女は結構負けず嫌いだ。ゲームしていた時もそうだったのだけれど。


「了解、じゃあこのミット目掛けて投げて」


 そのアクアブルーの瞳でこちらのミットを見据えて、こくりと頷いてみせる。

 表情はピッチャーそのもの。真剣だ。

 それから一呼吸おいてから、紗菜は──おそらく見様見真似だろう──振り被って、オーバースローでおもいっきり投げた。彼女の長い金髪がぶわっと風に流された。


「お」

「あ」


 横にいた和春と明日太が声を漏らした。ボールを投げた瞬間に、紗菜のスカートの中から薄ピンク色の布地がひらりと見えたのだ。

 おいお前ら見るな、と怒鳴りたい気持ちと、俺もじっくり見たい気持ちに襲われている中、そんな事を考える間も無く白球がミットに向かってどひゅんと飛んでくる。


(ま、待った。普通に速くない? てかこれ余裕で届──)


 意識を慌ててピンク色の布地からボールに戻して、ボールが届くタイミングでキャッチしようとすると──

 クイッ。ボールが手元で曲がりやがった。慌ててグローブをずらしたお陰で、バシィッという音と共にボールがグローブに収まった。手が痛い。


「やたっ! 届いた! 今のストライクよね⁉」


 無言で頷いてやると、「いよっしゃー! 見たかっ!」と紗菜が嬉しそうに飛び跳ねてはしゃいでいる。


「……本当に届いた。てか、斎さんの球、普通に速くね?」

「スピードガンが欲しかったね。さすがに百㎞は出てないと思うけど……かなり速かったよ」

「てか斎さんってテンション結構高いんだな……」

「色々情報量が多すぎてどう反応していいかわからないよ……あとピンクだったし」

「薄ピンクだったな」


 和春と明日太がそれぞれ苦笑いをして顔を見合わせている。


(いやいや、速かったし届いたし薄ピンクだったんだけど、それよりも手元で曲がったんだって! こいつら気付かなかったのか?)


 もしかしてムービングボールってやつだろうか。それとも握りが変でツーシームっぽくなって曲がったのかもしれない。

 ちなみにツーシームとは、ボールの縫い目二本に、それぞれ人差し指と中指をかけて投げる方法だ。ボールが微妙に曲がるストレート。

 彼女がどんな握り方をしたのかを訊く為に、一度ピッチャーマウンドに向かった。

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