第25話 紗菜の正体

 ──キャッチボールをしよう。

 こんな意味不明な提案をしたのは、やはり和春だった。どうしてキャッチボールなのかについては、とりあえず四人でできそうな事の中でぱっと思い浮かんだのがそれだったそうだ。

 いやいやいや、と俺が異議を発しようとしたのだが、明日太と紗菜もそれぞれ「いいよ」「キャッチボールなんて初めて。楽しそうね」とそれぞれ乗り気になってしまって、結局やる方向で話が進んでしまった。

 グローブなんかはどうするんだ、と思っていたら、和春の野郎が野球部から余っているグローブと軟式野球のボール、おまけにバットまで借りてきてしまった。このコミュ力お化けめ……交渉術が凄まじすぎる。聖ヨゼフ学園の野球部はむちゃくちゃ弱くて部活もやる気がないというのもあると思うのだが、それにしても、部活の備品を借りてくるか?


「どこでやるの? さすがにグラウンドでやるわけにはいかないでしょ?」


 初めて触るグローブに興味津々な様子の紗菜が和春に訊いた。左手にグローブを嵌めて、「結構つかみにくいのね」と独り言を言っていた。


「近くの運動公園に野球グラウンドあるぜ」

「ああ、そう言えばあったねー」


 和春と明日太がそんな会話を交わしつつ、俺にもグローブを渡す。


「じゃなくてさ、なんでキャッチボールなんだよ!」


 あまりにもとんとん拍子で事が進んでいってツッコむタイミングがなかったけれど、このまま流されるのはよくない。


「何かダメなのか?」

「いや、ダメじゃないけどさ」

「じゃあ何でだよ」

「あのなぁ……紗菜みたいなお嬢様にキャッチボールさせるなんて、それこそ問題だろ」


 散々問題行動の片棒を担がせておいて何だが、ちょっとそこは考慮してあげて欲しい。

 どれだけ奇声を発しても、幼等部からエスカレーターで学園に入ってしまうような子なのだ。きっと家柄も良くて豪邸に住んでいて、しかも執事なんかもいるに違いない。そんな子にキャッチボールなんてさせたら、親から友達付き合いを反対されてしまうのではないか。

 そんな危惧が俺にはあったのだが、一方の紗菜の方は呆れかえっていた。


「あのね、前から訊こうと思ってたんだけど、薫くんのあたしへのお嬢様イメージってどこからきてるわけ?」

「へ? 違うの」

「あたし、お嬢様なんかじゃないわよ」


 紗菜は大袈裟に溜め息を吐いた。


「え、そうなの? てっきり大富豪で豪邸に住んでて執事にリムジンで送り迎えしてもらってるのかと……」

「何なのよ、その痛すぎるイメージは……そんな人今時いるわけないでしょ」


 なんと、お嬢様ではなかったらしい。


「お父さんはお医者さんだけど、病院の勤務医だし、お母さんだってただの看護師よ? 家だって普通の一戸建てなんだから」


 お母さんはお嬢様だったけどあたしは普通よ、と付け加えた。

 現実は俺のイメージとは全くかけ離れていた。俺のイメージでは、家ではドレスみたいなのを着ていて、執事に全てやらせてるのかと思っていたのだ。何なら、執事の顔面に足を乗せて「おーっほっほっほっほ!」とか高笑いしているのかとも思っていた。


「……とりあえず、今のその顔からかなり失礼なイメージを抱かれていたというのは、なんとなく察したわ」


 じとっとした視線を紗菜が送ってきた。

 どうしてわかるんだよ。エスパーか?


「いやいやいや、普通の一般家庭が幼等部から私立の幼稚園に入れてそのままエスカレーターで高等部まで通わせられるわけないだろ」


 そう、それだ。俺の家庭だって一般家庭だ。だが、私立の高校に通うにあたっては結構うるさかった。学費が~学費が~と事あるごとに嫌味を言われて、逆らえたもんじゃない。しかも幼等部からとなると、かなりの金額だ。一般家庭では難しいだろう。


「ああ、それはちょっと変わった事情があるのよ」


 言いながら紗菜はスマホをいじって、画面をこちらに向けた。画面は聖ヨゼフ学園のホームページで、理事長の紹介ページだった。理事長は金髪で青眼のこれまたイケメンなおじいさんだ。


「へえ。外国人だったんだな、うちの理事長って」


 名前はエドゥアルド・タナク。エストニア人らしい。

 学園のホームページを見たのも初めてな上に、理事長なんてもっと興味がない。存在すら認知していなかったほどだ。


「って……エストニア人?」


 よく見れば、この髪色、肌の白さ、そしてアクアブルーの瞳……紗菜にそっくりだった。


「そう。母方のお祖父ちゃんがここの2代目の理事なのよ。だから、学費とかは免除されてるってわけね」

「な、なんだと⁉」


 ずざざ、と俺は一気に紗菜から距離を置く。

 まさかのお友達が学園の理事の孫だったという事が判明してしまった。そうなると、〝壁〟が紗菜に攻撃しなかった理由もわかる。相手が学園の理事の孫なら、もはや権威としては最高クラス。生徒や教師だってビビりまくるのは当然だ。


(……余計にマズイんじゃないのか、これは)


 って事は何だ? 紗菜は学園の理事の孫で、俺はその理事の孫に授業をサボらせて手を繋いだりゲームしてしまっていたりしたというのか?

 一発ロンで大三元直撃して瞬殺される勢いで退学案件じゃないか! ドボンだぞ、これ!


「おい、和春。キャッチボールは禁止だ」

「なんでそうなるのよっ」


 紗菜お嬢様がお怒りだが、ここは断じて許すわけにはいかない。


「もしも紗菜お嬢様にお怪我でもされたら我々の首が飛ぶ。あと和春と明日太も、これからは失礼のないよう、敬語を使うように」

「あなたのそのキャラ変っぷりの方が失礼よ!」


 そんなやり取りをしていると、和春と明日太が呆れ気味で俺を見ていた。


「何だよ」

「っていうか薫、知らなかったの?」

「へ?」

「斎さんが理事長のお孫さんだっていうのは割と有名な話だぞ。だから俺らじゃ話しかけるのもおこがましいってなってたんだよ」


 明日太と和春がそれぞれ意見を言う。

 え、もしかして知らなかったの俺だけ?

 なるほど……この二人が自己紹介の時に緊張していたのはそういった理由があったのか。

 それがわかってくると、俺の事を奇異な目で見る生徒達の気持ちもわかってきた。彼らの視線の意図するところはあれだ。つまり、『あの理事長の孫になにしてんだアイツ、正気か? 死ぬぞ?』という目だったのだ。


(全然正気の沙汰じゃない……)


 死にたくなってきた。少なくとも、この学園では絶対に手を出してはいけない女に手を出していたのだ。

 俺が絶望で崩れ落ちている際、三人は気にした様子もなく、紗菜に球の持ち方を教えていた。


「紗菜……俺は今から何をすれば君に許してもらえるのだろうか……」

「はあ? 別に何もしなくていいわよ」


 紗菜には全く俺の絶望感が伝わっていないらしい。


「キャッチボールくらい平気よ。それにあたし、運動神経いいから滅多に怪我もしないし」


 ぐ……なんだかそう言われたら言われたで腹が立つな。このチートポンコツ奇声女め。


「それに……」


 紗菜が少し言い淀んでいたが、小さな声で続けた。


「キャッチボール、してみたいし……」


 顔を赤らめ、恥ずかしそうに呟いた。

 それが可愛かったので、結局キャッチボールをする事にした。

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