第20話 「今は、このままがいい……」
そのまま何もない屋上で手を繋いだまま、ぼんやりと五限目を過ごしていた。特に話す事もなく、ただ繋がれた手に恥ずかしさと安らぎを感じていた。
一〇分くらい経過してからだろうか。不意にぽそっと紗菜が呟いた。
「はあ。そういえば、授業休んだらもうノート見せてくれる人いないんだった……どうしようかしら。別にノートなんてなくてもテストは大丈夫なんだけど」
さすがは眉目秀麗たる学園の聖女様()は違うようだった。俺なんて、ノートがないとテストを乗り切る事すらできない。
「それなら別にいいんじゃないか?」
「でも、テスト前にさらっと見直す時に欲しいのよ。それさえ見てればテストなんてどうとでもなるし」
なんてすごいノートだ。ぜひ俺にも見せてもらえないだろうか。
「まあ、ノートなら左藤が貸してくれるよ」
「左藤くん? ああ、あなたが昨日話してた女の子みたいな男の子?」
ショタよりももっとひどい言われようだった。本人が聞いたら傷つきそうだ。
「そう。あいつも友達いないからさ」
「なによそれ、あたしみたいじゃない」
言いながら紗菜はくすっと笑った。こっそり自虐が入っているあたりが、彼女らしい。
「その左藤って奴とさ、A組に俺と仲の良い和春って奴がいて、その三人でよくつるんでるんだけど」
「うん……」
ちょうど左藤の話にもなったし、タイミング的には良い頃合いかもしれない。俺は今日の昼休みに皆と話していた事について、切り出す事にした。
「もし、紗菜が嫌でないなら……俺らと一緒に過ごさない? 昼休みとか、休み時間とか、放課後とか」
彼女の手のひらのぬくもりを感じながら、少しだけ手に力を入れて、訊いてみた。
「薫くん……」
紗菜はこちらを見て一瞬表情を輝かせたが、すぐに眉根を寄せて、首を横に振った。
「嬉しいけど、遠慮しておくわ。あなたたちに迷惑かけちゃうから」
「そんな事ないだろ」
「あるわよ。〝あいつら〟から嫌がらせされるわ、きっと」
やっぱりな、とその時紗菜が寂しそうにしていた本当の理由を確信した。
紗菜は自分の意思で一人でいるのだ。周りに迷惑をかけないようにする為、エスカレーター組からの攻撃が自分以外に向かないようにする為、一人を選ぶ。そんな、俺の予想通りの事を考えている子だったのだ。
散々これまで〝壁〟によって孤独を味わい、〝壁〟から解放されてもまた孤独を味わおうというのだろうか。
「薫くんはともかく、左藤くんと、その和春っていう男の子には迷惑かけたくないかな」
「ちょっと待った。何で俺はいいんだよ」
「あなたは……なんだか嫌がらせされても効かなそうじゃない?」
「なんだそれ。ひどいな」
言って、お互い笑い合う。
そう思ってくれるのは、俺が紗菜にとって特別だからだろうか。いや、本当に嫌がらせされても効かないと思ってるんだろうけど。
実際、大抵の事では効かないと思う。むしろ嫌がらせされた翌日には〝壁〟の靴箱の中に蛙がたくさん住んでいて上履きが湿気でべったりとなっている事だろう。俺への嫌がらせをやめるまで、彼女たちはその苦しみを味わう事になる。だから、俺なら多少の事なら大丈夫だ。
でも、きっと……俺が嫌がらせされたら、紗菜はすごく怒ってくれるんだろうな、とも思う。〝壁〟の連中に直に怒鳴りにいきそうだ。何となくだけどそんな気がして、そんな紗菜を思い浮かべると、愛おしくなってくる。
「安心しろよ。あいつらも大丈夫だから」
「どうしてそう言い切れるの?」
「そんな俺の友達だから」
「ああ……アホの友達だからその二人もアホってこと? それはそれでやばいわね」
なんだかすごくバカにされている気がする。いや、間違いなくバカにされている。和春はバカだけど左藤はまともだぞ、多分。オタクだけど。
「そう、あいつらやばいんだ。特に和春なんてバカでさ、昨日なんて俺を守るためにゲイのフリして、『斎紗菜と遊んでも俺を捨てないでくれー!』って教室で叫ぶんだぜ? それで、俺と紗菜の話は全部立ち消えてそっちのBLの方にみんな興味津々ってわけ」
「うっわ、なによそれ。頭のネジ吹っ飛んでるんじゃない? むしろあなたよりやばいわよ」
引いたふりをしつつも、面白そうに俺の話を聞いていてくれる紗菜が大好きで。ずっとこうして話していられたらいいのに、なんて思ってしまう。
「だろ? やばいんだよ。そんな事ができる連中だからさ……気にしなくていいよ。それに、さっきあいつらに訊いて、もうそういう話になってるから」
「そういう話って?」
「紗菜が俺らの仲間になるって話」
「何よ、あたしに選択権はないの?」
彼女は少し呆れたようにわざとらしく嘆息した。
「あるけど、嫌なの?」
わかっているけれど、敢えて訊いてみる。すると、彼女は首を横に振って、微笑んだ。それはすごく優しい微笑みで、胸がきゅんと締め付けられる。
「嫌じゃないわよ。凄く嬉しいわ。もう友達なんて、久しくできた事なかったから」
ずっと〝壁〟に覆われてきた数年間。本当の友達がもはや何なのかすらわからなくなってきているのかもしれない。
一緒に遊んだり、バカをやったり、青春したり……そんな事とは無縁な学園生活を彼女は送ってきていたのだ。
「でも、その二人は女子でも仲良くしてくれるのかしら」
「男子だから~とか女子だから~とか、そんなの気にする連中じゃないから」
「それなら良いのだけど」
「あ、でもちょっとだけ不安がある」
和春の顔を思い浮かべた。俺の友人の、あの長身イケメンコミュ力男だ。
「何よ」
「和春の奴がさ、すっげーイケメンなんだよな」
「それが?」
「その……紗菜が和春の事、好きにならないか、心配で」
言ってから後悔した。これでは、俺までなんだか告白しているみたいじゃないか。一気に顔が熱くなって、顔を背けた。
「……ならないわよ」
紗菜がぽそっと、ほんとに小さな声で言う。
「なるわけ、ないじゃない」
そして、ぎゅっと手を握ってくれる。
これは……彼女の気持ちとして受け取ってもいいのだろうか。
その言葉が何よりもうれしくて、そっとその手を握り返して、見つめ合う。紗菜の青い瞳に俺が映し出されていて、もっと近付きたいけれど、これ以上近付く勇気がなくて。
昨日失敗したばかりだし、せっかくこんなに良い雰囲気なのに、これ以上近付いて「ぶどろぐゔぇどぅぉー」だなんて言いたくない。だから、今はここまでで我慢。こうして手を繋いで正面から見つめ合っていられるだけでも、昨日に比べれば十分進歩だ。
「暇だな」
「そうね……」
何となしに話してみた。
「また昨日みたいにPIBGでもする?」
五限が終わるまであと三〇分弱と、まだまだ時間はある。紗菜が退屈なのではないかと思って訊いてみたが、彼女は首を横に振った。
「PIBGは片手じゃできないもの」
俺との間で繋がれた手を見て、困ったように笑った。
「確かに、そうだな……」
あのゲームは両手を使わないとできない。ゲームをするには、この手を離さないといけなくなる。
「今は、このままがいい……」
小さな声で、彼女はそう言った。
「俺も、そう思ってた」
言うと、彼女がことんとこちらに体を預けてくれた。そして、俺の肩に、遠慮がちに頭を乗せてくる。
紗菜の良い香りが鼻孔をくすぐって、一気に胸が高鳴った。ドキドキして死ぬかと思った。でも、そんな心臓の高鳴りが心地よくて、もどかしくて。
残りの三〇分は、彼女の香りと体温と、そしてほんの少しの重みを感じて過ごした。
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