第12話 ぐぎゃぼろばれゔえ

 紗菜に手を引かれたまま、購買からほど近い校舎裏に連れていかれた。

 そして、人目がなくなるや否や──


「ぐぎゃぼろばれゔえ」


 紗菜がとんでもなくえぐい奇声を発した。もはや生き物が出す音なのかどうかも怪しい。

 しかし、俺も今はそこに突っ込んでいる余裕などない。自らの感情の嘔吐を抑え切れず──


「ぶどろぐゔぇどぅぉー」

「ぐぎゃぼろばれゔえ」

「ぶどろぐゔぇどぅぉー」

「ぐぎゃぼろばれゔえ」


 二人して膝を着いて這いつくばり、奇声を発し続けていた。

 この時、俺は初めて紗菜が奇声を発する理由がわかった。

 奇声とは、感情の嘔吐なのだ。どうしようもない感情を表す時に、他に言葉や手段がなくて、奇声を発するしかない……それが、俺と紗菜に唯一許された感情の表現方法だったのである。

 それからしばらくの間、心行くまでお互い奇声を発した。ようやく落ち着きが戻ってきたので、何とか呼吸を整えて、感情の嘔吐感を抑え込む事に成功する。


「……で?」


 紗菜がとっても怖い顔で俺を見ていた。アクアブルーの瞳が今では炎のように燃え上がっている。俺はとりあえず「はい」と返事だけして、正座をした。


「なぁんであんな事したのよ! どうすんのよ、これから!」

「すみません」

「昨日必死に二人で言い訳考えて、みんなに言い訳して、それで何とか一日で沈静化させたわよね⁉」

「はい」

「それで今日あなたがこれをしたせいでどうなった⁉」

「全て無意味になりました」

「そうね! 完全無欠に無意味っていうかむしろ悪化させてるわよね⁉」

「仰せの通りでございます」

「あなた、アホなの⁉ バカなの⁉ 死ぬの⁉ むしろ今すぐ死ねばいいんじゃない⁉」

「あ、それ懐かしい」

「懐かしがってる場合かぁぁぁぁ!」

「だって、それ俺らが初めてした会話みたいなもんだし」

「うがああああああああ!」


 紗菜が綺麗な金髪を振り乱し、顔を真っ赤にして全力で奇声というか怒声を発していた。

 そうそう、これこれ。これこそが俺達の本来の関係であるべきなのだ。俺が奇声を発するのはおかしい。顔を真っ赤にして奇声を発している紗菜を見て、そんな安心感を覚えるのだった。


「とりあえず紗菜、落ち着けって」

「全力で搔き乱しまくっておいて宥める側に回らないでくれるかしら⁉」

「そんな事してないぞ。どっちかというと平穏を守ろうとしている」

「どこがよ⁉ 薫くんのやってる事、完全にミキサーだから!」

「ほら、落ち着くにはこうして呼吸するんだよ。ひっひっふー」

「そうそう、元気な子供産まなきゃねー……って産むかああああッ!」


 激しいノリツッコミと共に、おもいっきり紗菜の唾が顔面に飛沫してくる。ぜえぜえ、と盛大なノリツッコミで疲れを見せる紗菜。

 もはやそこには聖ヨゼフ学園始まって以来の美少女で聖女様と呼ばれた斎紗菜の姿はなかった。そこにいたのは、ただのポンコツ金髪聖女様である。いや、そうさせてしまったのは俺だという自覚もあるのだけれど。


「はあ……最悪だわ……どの面下げて教室に帰れっていうのよ……」


 冷静になったのか、紗菜は膝を抱えて座り込んで、また顔を膝に埋めた。


「いや……その、そんなに嫌なら俺の誘いは拒否ればよかったんじゃないか……?」

「……じゃない」

「ん?」

「……やじゃないわよ」


 凄く小さな声で、紗菜が何かを呟いているが、聴き取れない。


「え、なんて?」

「嫌じゃないわよ! 嬉しかったのよ! それもすっごく!」


 大声で宣言して、俺と目が合うと、みるみるうちに新品の郵便ポストのように真っ赤になっていった。


「って、何を大声で報告してんのよあたしはあああ!」


 また頭をばりばり搔いていた。

 あーあー、また綺麗に整えられたツーサイドアップがぐしゃぐしゃになってる。


「いや、まあ、紗菜が嬉しかったなら、よかったんだけど」


 あの時は俺も完全に頭がおかしくなっていた。これこそ紗菜の為になると思っていたが、冷静に考えるとちょっと強引すぎた。

 もしも彼女が今の生活を望んでいたら、完全に余計なお世話になっていたところだろう。


「そ、それよ!」

「は?」

「それも何なのよ、いきなり! 意味がわからないわよ!」


 また顔を真っ赤にして、顔を膝に埋めて両腕で覆い隠す。


「何が」

「だ・か・ら! なんでどさくさに紛れていきなり〝紗菜〟って名前で呼んでるのかって訊いてるの!」

「いや、訊いてなかっただろ」

「訊いてたのよ! 察しなさいよ!」

「ええー……」


 そんな無茶苦茶な。さすがに無理だ。


「い、いきなり男の子からそんな風に名前で呼ばれたら、ドキドキしちゃうに決まってるでしょ⁉ 心の準備ってのがあたしにも必要なのよ!」

「そうなの?」

「そうよ! あなたあたしの名前なんだと思ってるの⁉ ペットの名前とは違うのよ⁉ あたしの事ポチだとでも思ってんの⁉」

「あー……えっと……まさか、ポチって呼ばれたかったの?」

「うがああああああああ!」

「ご、ごめんって」


 めちゃくちゃ怒ってらっしゃる。良かった、どうやら違うらしい。さすがに俺も女の子の事をポチって呼ぶのは抵抗がある。

 その全く意味がわからないペットに関する追撃は置いといて……どうしていきなり名前で呼んだか、か……。


「えっと……そうだな。呼びたかったから、かな」

「へ……?」


 ぽかん、と紗菜が口を開ける。


「〝紗菜〟ってちゃんと名前で呼びたかったから。それじゃダメか?」


 紗菜はそれを聞いてぽかんと口を開けていたかと思うと、首からおでこにかけてどんどん真っ赤になっていた。頭から湯気が出ているような赤さだ。

 そして──


「ぐぎゃぼろばれゔえ」


 奇声を発した。


「いや、さすがにこのタイミングで奇声を発するのはやめてほしいんだけど」

「そんな事言われても! 薫くんにそんな事言われたら、奇声の一つや二つくらい発したくなるに決まってるでしょ⁉」

「決まってないから」

「~~~~!」


 また顔をまっかっかにして膝を抱え込んでしまった。


「えっと……嫌だったら苗字に戻すけど」

「……じゃない」

「だから、聴こえないって」

「嫌、じゃない……」


 恥ずかしそうにそのアクアブルーの瞳だけ覗かせて、小さな声で言う。

 それがあまりにも可愛くて、俺の自制心がもう少し低ければ、抱き締めてしまっていたかもしれない。もちろん、そんな度胸もないのだけれど……いつか、そんな日が来ればいいな。


「そっか。よかった。じゃあ、これからも宜しくな、紗菜」

「ぐぎゃぼろばれゔえ」


 そこでも奇声出すんかい……。

 また紗菜の奇声が止まらなくなってしまったので、とりあえず昼休みは紗菜の背中を摩り続けるだけで終わってしまった。

 なんで俺達、さっきから互いの看病してるんだろうか。変な関係になってしまった。

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