第9話 聖女様は鳥かごの中にいた

「あ、薫。昨日言うの忘れてたんだけど、次の世界史で図解使うぞ。持ってきてるか?」


 翌日の二限目が終わった時だ。和春が唐突に訊いてきた。


「いや、持ってきてないな。もしかして今日使うのか?」

「ああ。お前そういや昨日サボってたから、持ってきてないよな。言うの忘れてたよ……悪い」

「くそ……最悪だ」


 昨日聖女様こと斎紗菜によってサボらされた授業は、世界史だ。次の授業がその世界史で、何とどうやら普段あんまり使われない図解集を用いるらしい。世界史の教師は忘れ物には厳しく、チクチク嫌味を言ってくる。出来ればその嫌味攻めは避けたい。


「そういえば、B組も今日世界史あるらしいから、B組の奴に借りればいいんじゃね? 例えば、斎紗菜とか」


 和春はニヤニヤして提案してきた。


「バッ……!」


 思わず怒鳴りそうになるが、すんでのとこで堪える。危ない、こいつの挑発に乗せられるところだった。


「あ、でもB組なら左藤がいるな。あいつに借りるか」


 左藤とは、左藤明日太の事だ。一年の頃同じクラスだった奴で、彼も高校入学組の外部生だ。二年になってから絡みは少し減ったが、一年の頃は和春と三人でよく遊んだ。


「いやー、ナイス助言だわ。ありがとなー」


 舌打ちをする和春を背に、足早にB組へと向かった。

 B組の教室に入る際に引き戸に手を掛けると、その手が若干震えている事に気付く。


(なんで俺がここに入るのに緊張してるんだよ)


 大丈夫、そういえば佐藤は廊下側の席だったから、入口からすぐだ。斎さんとは顔を会わせずに済むはずである。

 一度大きく深呼吸してから、がらっと引き戸を開く。

 目に入ってきたのは、左藤ではなくて……窓際にいる斎紗菜だった。無意識に斎さんを探してしまっていた自分が情けない。

 斎さんはいつものように取り巻き──彼女曰く〝壁〟──に囲まれて、お話をしているようだった。


(ああ、やっぱりすごいな、斎紗菜は)


 これだけ教室に人がいるのに、彼女の周りだけ輝いている。この教室がそれだけで綺麗な場所に思えてくるのだ。それは……俺が、彼女に惹かれているからだろうか。

 教室に入った俺に気付いた斎さんは、驚いた顔をしたかと思うと、頬を赤く染めて、ぷいっと顔を背けた。そこではっとして俺も彼女から視線をずらして、左藤を探す。

 左藤は自席でラノベを読んでいた。タイトルは『一〇歳のショタ勇者、お姉様な美女魔王に飼われる』だった。なんだそのラノベは。ちょっと気になるぞ。


「あ、左藤」

「ああ、鈴谷くん。久しぶりだね」


 左藤はラノベを閉じて、にっこりと優しい笑顔を向けた。彼は背が低くて体も強くない、でも女の子みたいな顔をしている所謂ショタ系男子だ。外観的に女の子に見えなくもないから凄い。

 もしかして、ショタ勇者に自分を重ねているのか? などと言おうものなら、きっと図解を貸してもらえなくなるので、そこには触れないでおく。


「昨日すごかったね。教室が騒然としてたよ」


 おそらく『モブ男子・斎紗菜に連れ去られる事件』の事を言っているのだろう。うちの教室では、もう風化している事件だったが、こっちの教室ではどうなのだろうか。まだ俺の方をちらちら見ている人はいるが、話かけているのが左藤だとわかると、すぐに興味をなくしたようだ。もしかすると、左藤はあまりこのクラスに馴染めていないのかもしれない。

 そういえば、B組はエスカレーター組比率が多いという話を聞いた事がある。その中で外部生が入ってしまうと、このようにぼっちになってしまうのだ。なかなか厳しい学校だ。


「ああ、それな。で、ちょっと聞きたいんだけど、世界史の図解持ってる?」

「図解? ああ、持ってるよ。忘れたの?」


 机の中から図解を出して訊いてきた。


「悪い、貸してくれない? 終わったら返すから」

「うん、じゃあ昼休みにでも返して。五限だから」

「おっけー。今度俺らともまた遊ぼうぜ。いつでもA組遊びにこいよ」

「うん!」


 そんな会話をしながら、左藤から図解を受け取る。

 実は、この時左藤と話しながら、俺は横眼で斎さんを見ていた。斎さんを、というより、斎さんのグループを見ていた。

 一見、仲良し五人組で話しているようにも思える。エスカレーター組だけで出来上がった仲はそれだけで間に入れない空気感が出来上がっていて、とてもではないが外部生が話し掛けられる空気ではない。

 いや、よく見ると違う。仲良さげに見えて、斎さんは会話に上手く入れてもらっていない。

 相槌を打ったり、話を振られた時にそれっぽく返答しているだけで、彼女はにこにこしているだけだったのだ。


(これが、斎さんの日常なんだな)


 友達ではなく〝壁〟。その言葉を聞いてからこれを見ると、何となくわかる気がした。

 何も知らなければ、お淑やかな美少女に友達が集まってきて、彼女を囲んで話しているだけ。でも、その実、それは彼女に人を近づけさせない為の〝壁〟だ。小等部からのエスカレーター組が集まっていると、余計にその〝壁〟が一般生徒から見れば高いように見える。これでは、男子はおろか、心理的には他の女子もなかなか話し掛けられないだろう。とても巧妙な〝壁〟に彼女は覆われていて、本当に鳥かごの中にいるみたいだった。

 彼女は、卒業までずっとこうして鳥かごの中で過ごすのだろうか。


(こんなの……あんまりだろ)


 そう思って、俺はB組を後にした。

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