第5話 なぜか俺が本当に飛び降りようとしていた

 ──ここから飛び降りる。

 俺がそう言うと、斎さんは驚いたようにこちらを見上げていた。青くて綺麗な瞳が震えている。


「な、何よ、それ……」

「何なら、今すぐ飛び降りてやろうか? 君が信じてくれないなら」


 思ってもない事を言っている。全く死ぬ気はない。が、もし、ここでじゃあ飛び降りろと言われたら、どうしようか。飛び降りる? 嫌だなぁ。絶対死ぬよ……。


「はっ。そんな事、できるわけないでしょ」


 すぐに冷静な顔に戻って、彼女は吐き捨てるように言った。


「できるさ」


 嘘です、できません。したくありません。


「そんな事したって、あなたにメリットなんて何もないじゃない!」


 苛立った様子で、彼女の語気が強まった。

 その通り、一般的なメリットなど何もない。でも──


「メリットならあるよ」

「何よ!」

「……君の信用が得られる」


 その言葉に、斎さんのアクアブルーの瞳が大きく見開かれた。口もぽかんと開けている。


「少なくとも、俺の言葉は嘘じゃなかった。それを君に伝える事ができる」


 その為だけに死ぬのも何だかなぁと思うわけだけども。俺の命、ちょっと軽すぎない?

 ただ……この言葉は、彼女には有効だろうと考えた。彼女の周りには、信用できる味方がいない。だから、俺は彼女が信用できる人間になりたい──そう思うようになっていたのだ。

 あと一押し。そう判断した俺は、金網を掴んで柵を登った。


「ちょっと⁉ 何してるのよ!」

「まだ信じてくれてなさそうだから、とりあえず柵の向こう側に立ってみようかなって」


 そのまま金網を登っていく。金網をてっぺんまで登ってみてわかったが、これはその……めちゃくちゃ怖かった。

 でも、町が遠くまで見渡せた。五月の青空は遠くまで澄んでいて、ここから飛んだら本当に空を飛べそうな気持ちになれる。


(でも、飛べないだろうなぁ……)


真下のコンクリートを見ると、自分の脳漿がぶちまけられる様が簡単に想像できた。痛そうだ。


「落ちたらどうすんのよ! 危ないでしょ⁉」

「俺に死んでほしいんだろ?」


 言いながら、金網の反対側に行こうと柵を乗り出した。

 反対側に半身を乗り出しただけで、めちゃくちゃ怖い。体中が竦んでしまう。かっこつけてここまで登ってきたけど、やるんじゃなかったと死ぬほど後悔している俺である。


「……待ちなさいよ」

「あん?」

「だって……あなた、まだ誰にも言ってないじゃない。ピンプリの事」

「だな」

「だから……その、死ななくて、いいわよ」


 なんだか恥ずかしそうにもじもじと言う。

 こういう会話でなければ、きっとその仕草も可愛いと思えたんだろうけど。


「そう? ならよかったよ」


 俺は嘆息して登ってきた金網を降りた。

 にしても、ここまでしないと信じてもらえないとは、彼女はよほど人間不信なのだろう。


「あなた、アホなの⁉ 何なのよ!」


 金網から降りた俺に対して、彼女は泣きそうになりながら掴みかかってきた。


「目の前で飛び降りられたら、そんなの、あたしの方こそ生きてられないわよ……」


 俺の肩を殴りながら、彼女は胸に顔を埋めてきた。

 さっき散々死ねと言われていたはずだけど……と思いつつも、あの聖女様にくっつかれていると思うと、動悸が一気に跳ね上がった。彼女のとっても上品で良い匂いが俺を包み込んでいたのだ。


「信用されるためとか……アホ過ぎるでしょ……」

「アホアホ言うなよ」

「アホよ!」

「成績は中の中だぞ」

「あたしは上の上よ。これからは斎様って呼びなさい」

「成績上の上でも友達いなくてピンプリは嫌だなぁ」

「うがああああああ!」


 彼女は俺をドンと突き放すと、髪を掻きむしりだした。また奇声も上げてるし。


「ぐっ……このっ! ピンプリは言わないって言ったくせに! 嘘つき! 嘘つきは泥棒の始まりって言うのよ⁉ 今日の帰りとか絶対コンビニで万引きするわよ⁉ 最低よ! そんな事したら通報されて親にも泣かれて死ぬほど後悔するんだからね⁉」

「いやいや……」


 話が飛躍し過ぎててもはやツッコミが入れられない。


「他の人には言ってないだろ。斎さんは本人だから言って良いんじゃないか?」

「禁止よ、禁止! 言っていいはずがないでしょ⁉ 何なの⁉ やっぱりアホなの⁉ もはやピンプリっていうワードもタブーよ!」

「ええ……そんな殺生な」

「当たり前でしょうが!」


 ピンプリネタで斎さんをいじるくらいしか俺のメリットがないわけなんだけど。

 授業サボらされるわ罵られるわ、挙句にあの学園の聖女様()斎紗菜に屋上まで連れ去られたとこ見られてるわ。どうすればいいんだよ、俺。被害甚大だ。

 ちなみに、俺の中では斎紗菜は完全にぼっち残念奇声女という位置づけになっている。もはや学園の聖女様()で十分なのだ。


「あ、じゃあピンクプリンならいい?」

「……殺していい?」


 思いつきで提案してみたら、とても冷たい目つきで言われた。

 アクアブルーの瞳が殺意に満ちると、心までひんやりするという事がわかった。

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