第4話 学園の聖女様が全然聖女様してなかった
「……プリクラ、初めてだったのか?」
膝を抱えて黙り込んでしまった斎さんにおそるおそる訊いてみると、ちらっとだけこちらに顔を覗かせた。瞳いっぱいに涙を浮かべている。
この顔だけ見てるとアホほど可愛いのに、涙目の理由があまりに残念過ぎてどう接していいのかわからない。
「そうよ、初めてだったのよ。みんな撮ってるからどんなもんなのかと思って撮ってみただけなのに……」
ううう、とまた膝を抱えて泣き出す。
「せっかくバレないように三十分も電車乗り継いで遠くのゲーセンにいったのにぃ……」
ちゃんとピンプリが見つからないように対策はしていたらしい。あほ過ぎる対策だけど。
「……まてよ。斎さん、友達いっぱいいるんじゃないのか? なんで友達と撮らないんだよ」
「友達なんていないわよ」
むすっと拗ねたように言う。
この言葉は衝撃的だった。彼女は常に友達から囲まれているように見えていたからだ。
「え? 斎紗菜と言えば、ずっと女友達に囲われてて、女友達経由じゃないと話を通してもらえない高嶺の花って聞いたぞ。だから聖女様なんだろ?」
「はあ? 何よそれ。そういう話になってんの?」
斎さんは不服そうに顔を上げた。かなり不機嫌な様子だ。
「え? 違うのか?」
「違うわよ。あんな奴らが友達であってたまるかっての」
悔しそうに唇を噛み締める斎さん。
どういう事なのだろうか。全く話が読めてこない。俺が見ている世界と彼女が生きている世界が全く異なるような、そんな違和感を覚えた。
「じゃあ、あの人達はなに?」
「〝壁〟よ」
「は? 壁?」
「ええ。防壁と言ってもいいかもしれないわね。ただ、あたしに人が寄ってこないように防壁を作ってるだけ。昔からずっとそうよ」
くそが、とでも言いたげに彼女はカフェオレの缶を地面にバンと置いた。
「どういう事? なんでそんな事する必要があるんだ?」
「あー……そっか。薫くんは、外部生だよね」
あれ? なんだか知らない間に名前で呼ばれていた。いや、でも、まあ別に良いのだけど。
クオーターだから、もしかすると文化の違いなのかもしれない。海外の人はファーストネームで呼び合うのが普通だし。
「そうだな。俺は高等部から聖ヨゼフ学園に入ったよ」
「でしょうね」
納得した、と言わんばかりに、彼女は眉根を寄せて困ったような笑みを浮かべた。
ここ、聖ヨゼフ学園では、高等部から入学した人達を外部生という。聖ヨゼフ高校は幼稚園からあり、高等部では三分の二ほどがエスカレーター組だ。全体的に外部生は少数派と言える。
「あたしは幼等部の頃からここなんだけど」
「うわあ、家すげえ金持ちなんだな」
「うるさいわね。今はどうでもいいでしょ」
ぎろりと睨まれたので、「すみません」と謝っておいた。これ以上怒られたくないし。
「小等部の高学年くらいからかな。男子があたしに近付く事を嫌がるようになったのよ、あの子達」
「は? なんで?」
訊き返すと、「そんなの言わなくてもわかるでしょ」と彼女は溜め息を吐いた。
「あの子達の好きだった男の子が、あたしを好きだったってだけ。小等部の中学年くらいまでは、男女一緒によく遊んでたんだけどね。高学年からはずっと今みたいな感じよ」
要するに、斎さんがあまりにも可愛すぎるから、学校の大半の男子のハートを射抜いてしまったのだ。その結果、多くの女子を敵に回したのだろう。可愛いのも大変だ。
普通なら、いじめの対象にされてもおかしくない。ただ、これはおそらく俺の予想だが、斎さんの家は幼等部から聖ヨゼフ学園に通わせるくらいの金持ちだ。おおっぴらに攻撃できない理由があるのかもしれない。
というより、幼等部組は教師から過剰に手厚く保護されている可能性が高い。そこで、彼女に直接手を出せば、教師が介入して自分の親にもバレる可能性も出てくると踏んだのではないだろうか。
実際俺も実感している事だが、高等部から入った外部生とエスカレーター組では、教師からの扱いは大きく異なっている。もはや、差別かと思うくらいエスカレーター組は優遇されているのだ。というか、外部生が冷遇されている。例えば、課題忘れもエスカレーター組なら許されても外部生は怒られて課題が加算されるのだ。校則違反だって、エスカレーター組には緩い。これまでの学費と言う名の献金の差なのだろうけど、ひどい話だ。おそらく、斎紗菜が直接攻撃されないのは、それだ。
そこで、斎さんをいじめの対象にするのは難しいと判断した彼女達は、その逆の策を採った、という事ではないか。かごの中の鳥のように、守られているようで、実は閉じ込められる……そうすることで、彼女を他の男子から引き離そうと試みたのだ。
なるほど、そういう状況であれば、ピンプリという恥ずかしいものを他者に知られるのがどれだけ恐怖か、彼女の気持ちも少しわかってきた。彼女は、この校内で誰も味方がいないのだ。その状況で弱みを握られると、どうなるものかわかったものではない。
味方のように見えていた友達は、敵だった。しかし、実際にいじめ的なことはされていない。彼女の周りの防壁と化しているだけ。そして、きっとそいつらは、自分達経由でないと、斎さんに話し掛けられないような印象を周囲に植え付けたのだ。俺が無意識にそう認識していたように。
(なるほど、ね……)
全く手の込んだやり方だ。こんなやり方をされていては、斎さんは何もできやしない。彼女は実質何の被害も受けていないのだから。
華やかそうに見えた斎紗菜は、周りのイメージとは全く異なるほど、孤独で可哀想な女の子だった。ずっと鳥かごに閉じ込められている、囚われの、いや、仮初めの聖女様だったのだ。
「なあ……」
「なによ」
「ピンプリの事、さ。俺、誰にも言わないから」
「信じれるわけないでしょ。ここにあたしの味方なんて誰もいないんだから」
斎さんは不機嫌そうに言った。でも、ここで引き下がるわけにはいかない。ここで俺が引き下がったら……彼女はずっと、このままだ。
「信じて」
「信じない」
「じゃあ、もし俺が言ったなら……」
「言ったなら?」
俺はすくっと立ち上がって、屋上の転落防止の金網にまで近寄る。
「君の要望通り、ここから飛び降りる」
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