第2話 学園の聖女様が奇声を上げる原因を作ってしまっていたのは俺?

 二時間前、すなわち昼休みが終わる前の出来事だ。

 中庭のベンチで缶コーヒーを飲みながら一息吐いていると、ベンチの後ろに女物の財布が落ちていた。キャラものの、高校生が使うにしては少し幼い財布だ。

 誰のだろうと思って中を見てみると、諭吉が二枚と、色んなポイントカードや綺麗に整えられたレシートの他、学生証が入っていた。学生証はここ聖ヨゼフ学園では必要不可欠なアイテムで、図書館などに入るときに必要な他、自分のロッカーや学校のPCを使う際にも必須となってくる。この学校の生徒であれば、こうして財布やスマホのケースに入れて、肌身離さず持っているのが普通だ。

 学生証を出してみると、そこには『斎紗菜いつきさな』の名前とクラスと顔写真、そして学生番号が記載されていた。


(斎さんの財布か……意外にも財布はキャラものなんだな。っていうか証明写真なのにこの可愛さってすげえ)


 斎紗菜は、ここ聖ヨゼフ学園では有名人だ。まずはその美しい容姿とスタイルの良さで人目を引き、加えて成績は学年トップ。それだけでなく、各運動部が喉から手が出るほど欲しいと言わしめる程の運動能力の高さを持っている。更に、人間性にも優れていて、欠点がまるでない空前絶後の美少女として、近隣の学校でも名を轟かせている程だ。

 そして民は彼女をこう呼ぶ──〝聖女様〟と。

 もちろん、聖女様は俺のようなモブ男子生徒が会話をできるような人間ではない。彼女には選ばれた人間しか話し掛けてはいけないというような、暗黙のルールがあるのだ。彼女に話しかけれるのは、取り巻きの女の子達だけだった。

 斎さんは上流貴族のような立ち振る舞いをしているので、財布もてっきりブランド物を使っているのかと思えば……小中学生が使ってそうな可愛いキャラクターデザインの財布。少しそれが意外だった。


「意外に可愛いところあるんだな。つか、学生証ないと困るだろうし、早く渡してやらないと」


 そう思って、学生証を財布に入れた時に、ぱさっと一枚のシール用紙が落ちた。それと同時に予鈴もなったので、慌ててその紙を拾ってポケットに入れて、教室に戻った。

 斎さんは俺の隣のクラスなのだけれど、次は俺が移動教室だったので、財布を渡す時間がなかった。申し訳ないなと思いながらも、昼休みは諦めて、六限前の休憩時間に彼女のクラス──二年B組──に寄ってみた。


(まあ、どうせ俺は話せないし、取り巻きの誰かに渡せばいいか……)


 そう思って、二年B組の扉の引き戸を開けた時だ。


「うおっ」

「あっ」


 すぐ目の前に目的の人物──斎紗菜──がいた。彼女もどうやら今扉を開けようとしていたようで、少し驚いていた。大きなアクアブルーの瞳が見開いていて、俺を見ている。それだけで、その深い瞳の海に吸い込まれてしまいそうだった。

 話したいのに、あまりに綺麗過ぎて、言葉が出てこない。身分違い過ぎて、話しかけるのすら失礼に当たるような気がしてきてしまったのだ。俺みたいな平民以下が聖女様に話し掛けられるわけがない……改めてそう思わされてしまった。


「あ、ごめんなさい。どうぞ」


 しかし、さすがは聖女様だ。丁寧な言葉遣いで、道を開けてくれた。

 が、どこか焦っている様子だった。おそらく財布がない事に気付いたのだろう。


「あ、違うんだ。俺は君に用があって」

「あたしにですか?」


 少し怪訝そうに俺を見つめる彼女。

 あ、もしかして、怪しまれてしまっているのだろうか。しかも、今にして気付けば、B組の連中からの視線が痛いほど俺に集中していた。敵意や疑念、そういったタイプの視線だ。俺が最も無縁だった視線だ。あまりの息苦しさに、早く逃げ出したい気持ちに襲われる。

 おそらくこのクラスでも、男が斎さんに話しかけるなんて本来あってはならない事なのだろう。それだけこの斎紗菜という女性は、この学園では尊い存在だったのだ。


「あ、用って言っても、君の落とし物を拾っただけだから。それ渡しに来ただけ」


 そう言って、彼女の財布を制服のポケットから出した。それを見ると、聖女様の顔がぱぁっと明るくなった。


「これ、君のだよね?」

「あ、はい! どこに落ちてましたか?」


 彼女は財布を受け取り話ながら、廊下に出てくれた。教室の中だとどうしても注目を集めてしまうからだろう。俺もそろそろ視線に耐えきれなくなっていたところだったので、彼女の気遣いには助けられた。

 こういった気配りもできるから、彼女は人気者なのだな、とこの短時間で悟ってしまった。まさに完璧だ。


「中庭のベンチの後ろ」

「あ、やっぱりあそこだったかぁ……お昼あそこで食べてたんです」


 彼女は安堵したように大きな溜め息を吐いて、思わず三千円くらい代金を支払いたくなるような笑顔をこちらに向けてくれた。

 なんだ、この聖女スマイルは。これが学園の聖女様か。この人、笑顔を振りまいてるだけで食っていけるんじゃないか? そんな事を思わせるような完璧な笑顔だった。


「あ。あたし、斎紗菜って言います」

「俺はA組の鈴谷薫すずやかおる。とりあえず、渡せてよかったよ」

「鈴谷薫くんね。お財布届けてくれて、本当にありがとう」


 次の授業でパソコン使うから焦ってたのよ、と彼女はもう一度聖女様スマイルを見せて教えてくれた。なんだか、これだけで一週間は生きていけそうだな。それくらい人を幸せにできる笑顔だ。

 しかし、それからすぐに彼女ははっとした表情をした。何かを思い出したというような顔だった。


「……ところで、どうしてこれがあたしの財布だってわかったの?」


 そして、天使の笑顔からいきなり警戒されたような表情になる。どうしたのだろうか。


「ああ、中見て学生証を見させてもらったよ。大丈夫、お金とかそういうのは触れてないから」

「学生証……見たのは、それだけ?」

「うん? あとは、ポイントカードとかお金だけかな。他は見てないよ」

「そう、それならいいのよ。ありがとう」


 それを確認すると、また一転して彼女は笑顔を向けてくれた。

 もしかすると、何か見られたら困るものが入っていたのかもしれない。さすがに、女の子の財布を全部ひっくり返してみるような変態ではないので、そこは安心してほしい。


「んじゃ」

「ええ、また」


 俺は片手だけあげて、もう片方の手をポケットに入れた。その時、ポケットの中でシール用紙が手に触れた。

 そうだ。そういえば、彼女の財布から何か紙が落ちたんだった。これも返さないと。ちなみに、この紙が何なのかは見ていない。存在すら今の今まで忘れていたのだ。


「あ、待った」


 彼女を呼び止めると、彼女は「はい?」とにっこりとした笑みを向けて、首を傾げた。


「そういえば、これも君の財布に入ってて、さっき落ちたんだけど──」


 その手に引っかかった紙を彼女に差し出した瞬間──斎さんが固まった。俺も手元の紙を見て、固まった。

 そこには、なんと……あの聖女様こと斎紗菜の、ピンプリがあった。ピンプリとは、一人で撮ったプリクラの事だ。友達のいない寂しい人がたまにやる、痛い遊び。しかも、凄い決め顔で、かっこつけたポーズの、ピンプリ。

 これは、その……どう言葉を選んでも、痛々しさが漂うピンプリだった。


「あ、れ……?」


 俺はもしかしては絶対に見てはいけないものを見てしまっているのではないだろうか。そこではっとして斎さんを見ると、彼女は肩をぷるぷると震わさせていた。


「ちょっと来なさい」


 ドスの利いた声を出して、俺の手首をがしっと掴んだかと思えば、そのまま引きずるように屋上まで連れていかれた。

 そして、屋上につくや、彼女はこう叫んだのである。


「あなた、アホなの⁉ バカなの⁉ 死ぬの⁉ むしろ今すぐ死ねばいいんじゃない⁉」

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