刀鍛冶の引き際

 車窓から流れていく景色を、青野はぼんやりと見送る。


 運転席には、機嫌の良さそうな長男の顔がある。存外丁寧な運転に、青野は内心で舌を巻いていた。


 刀鍛冶のことしか教えてこなかったのになぁ。


 青野は、子供達と過ごした日々を振り返って、少し寂しくなった。


「ここかい、親父」


 長男は最近建てられたばかりのデザイナーズマンションを指差し、青野は頷いた。


「ひゅー、こんな所をポンっと買えちゃうなんて、やっぱり刀匠・青野仁は違うね」


「別に金に糸目をつけてないわけじゃないさ。ここは高齢者用の設備が充実しているんだよ」


 長男はマンションの駐車場に車を停め、パネルを操作して助手席のドアを開けた。


「さぁ降りて」


「ああ」


 青野は長男と連れ立って、買ったばかりの部屋へと向かう。


 部屋は高層にあるので、青野と長男は長いことエレベーターの中で二人きりだった。


「……」


 広いエレベーターの中で二人は距離を取り、無言であった。


「……親父、俺さ」


 先に沈黙を破ったのは長男だった。


「良い決断だったと思うよ」


 ぶっきらぼうな言い方で目を逸らす長男を見て、青野は長男が思春期の頃を思い出して笑った。


「笑うなよ、人がせっかく褒めてるのに」


「いや、すまない」


 エレベーターの窓からは街が一望できる。初代が拓き、青野の人生が詰まった山も見えた。


「……なぁ親父。免許を返納してくれたのは嬉しいけど、やっぱり刀工まで引退することはなかったんじゃないか」


 長男は、すでに畳まれた庵のある山を眺めて言った。


「なんだお前、今更後を継ぎたくなったか?」


「違ぇよ! ……いや、確かに後継者の問題は解決してないけど、そこまで思い切る必要はなかったんじゃないかな、って……」


 青野は長男と共に山を眺める。


 先祖も、青野自身も、青野の子供達も、皆あの山で暮らした。


 子供達の学校には毎日車で送り迎えをしたし、子供達の友達を迎えに山を下りることもあった。


 青野は思う。


 その山を、あの男はどんな気持ちで登ったのだろうかと。


「お前言っただろう」


 エレベーターが開き、青野は足元に気をつけてゆっくりと歩き出す。


 青野が目指すべき部屋を指差すと、長男はキビキビと動いてドアを開き、父を招き入れた。


「もう引き際じゃないかって」


 僅かな時間とはいえ初代と日々を共にしたあの男は、引き際を間違えた。


 初代が頼りない弟子を育てあげる前に隠居を決めたのは、そういうことなのだろう。


 少なくとも––––初代青野仁の魂を受け継ぐ人間として、最後の青野仁はそう思った。


「お前の言う通りだよ。ここが引き際だ」


 初代があの男の為に打った刀が、せめて人を斬らずにいてくれたらいい。


 青野はそう願い、後ろ手にドアを閉めた。

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刀鍛冶の引き際 ポピヨン村田 @popiyon_murata

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