第6話
いつの間にか青々とした葉を枝一杯に繁らせた木々達が、夏はすぐそこまで来てるとでもいうように風にその身を委ね、さわさわ、さわさわと、辺り一面に耳心地のよい旋律を響き渡らせている。
私の頭上一杯に広がる新緑は生命力に満ち満ち、その下で風に踊る葉を眺めていると、まるで『お前も精一杯生きろ』と応援されるような、そんな少し気恥ずかしいの悪い気持ちにさせた。
下ばかり向いていた去年の自分なら、葉の囁く声も、揺れる葉から覗く陽光にも気付けなかっただろう。
こうしていられるのは自分が強くなったわけではなく、あくまで黒澤さんが側にいたから助けられただけの話であって、もし黒澤さんがいなければとっくにこの世を去っていたと思う。
もし彼女が私から離れていったら――きっとこれまでと同じ苦しみが繰り返されるだけで、根本的に苛めが解決するわけではない。
この問題にちゃんと向き合わなきゃいけないのはわかっているけど――
いつもの待ち合わせ場所で、今日も私は彼女を待つ。
「おはよう。富江ちゃん」
「うん。おはよう美智子ちゃん」
さりげなく私の手を握ってくるのはいつものことだけど、そのたびに私はドキドキさせられ、彼女といるときはどうしても胸が苦しくなる。
そんな体調の変化に慣れない毎日を過ごしていた。
隣を同じ歩幅で歩く彼女の手は春の陽気に負けないほど暖かく、私は手汗を気にしてひやひやしていたけどこの手は離したくなかった――結局、離れたくないだけなんだ。
私が彼女に思慕の念を抱いているから。
「あら、おはよう小倉さん」
「お、おはよう田所さん……」
学校に着くなり、下駄箱の前には一番顔を合わせたくないリーダー各の田所さんが立っていた。運悪く黒澤さんとは既に別れた後だった。
いつも苛められてるからわかってしまうけど、決して世間話でもするような雰囲気ではないのは確かだ。
たまたまそこに居合わせたわけではないのは、私が来るのを待ち構えていたとでもいうようにその目には怒りが見てとれたことから察しがつく。
「少し話があるの。ちょっとついてきてくれるかしら」
どうせ
腹を切られるのか、首を切られるのか、はたまた首をくくるのか――私に下される判決はなんだろう。
いつもの空き教室には、いつものメンバーと新顔が混じって剣呑な雰囲気を漂わせている。
新顔のなかには私も知っている子がちらほらと混じっていて、積極的に苛めに荷担するような子ではないと思っていた子もまた、田所さんと同じくその目には暗い感情が見えた気がした。
私が教室に入るなり、皆の視線が私に集まる。
ヤンキーなんて、今にも私に飛びかかってきそうなほどの威圧感を放っていて、さすがに腰が引けた。
「小倉さん。どうして皆さんがここに集まっているかお分かりになるかしら」
「い、いえ……わかりません」
「あらあら、おわかりになりませんか?困りましたねぇ……では教えて差し上げるのも私の役目かしら」
そう言ってヤンキー女に目配せをすると、薄気味悪い笑みを浮かべ、渾身の力で顔を殴ってきた。
「痛いっ!何すんのよ!」
「なに口聞いてんだよ阿呆が。こっちは
一発目で体制を崩した私に、蹴りと拳を容赦なく見舞ってくる。急に訪れた嵐のような暴力に、ただただどうしようもなく過ぎ去るのを待つしかなかった。
それから何分たったかわからないけど、息を切らした彼女はその手を止め、代わりに他の女性徒からそれぞれ蹴りと罵る言葉で殴り付けられた。
先程に比べれば大したことはい力だけど、そのぶん言葉が汚かった。
「この
「鎌倉女から出ていけ」
「同じ空気も吸いたくないわ」
それぞれ憎しみを込めた言葉で私の首を締め付ける。
今にも心が折れて絶望しそうだった。
「そこまでにしてちょうだい。鎌倉女の床をこれ以上汚すのは許しませんよ」
「「す、すみません」」
「小倉さん。まだわからないかしら」
助けてくれたわけではない彼女を見上げる。
「…………」
「はぁ。しょうがないので答えを教えて差し上げますわ。あなた最近黒澤さんと良い仲のようじゃありませんか」
『良い仲』
その言葉を田所さんの口から聞いた私は、瞬間的にお湯を沸かしたような、端からみたら真っ赤な顔になっていたと思う。
誰から聞いた話かわからないけど、誰にも知られたくなかった秘密に片腕を突っ込まれたような汚らわしい気分になり、気付いたら目の前の彼女の頬を張っていた。
その瞬間、自分が何をしでかしたのか理解し、熱くなっていた顔が一転真っ青に変わっていくのがわかった。
田所さんは田所さんで、何が起こったのか理解できていないような呆けた顔をしている。
私に遅れて事態を把握するとすかさず私の頬を張り返してきて、そこからは見るに耐えない争いとなった。
「あなたごときが黒澤さんと釣り合うわけないでしょ!身の程を知りなさい!」
「私だってそんなことわかってるわよ!でも一緒にいたいんだからしょうがないじゃない!」
髪を掴み、爪で引っ掻き、罵り合う。
そんな幼子のような喧嘩にその場にいた女性徒達は、どうすればいいか対応を決めあぐねていた。
「こらっ!お前ら何してるんだ!」
騒ぎを聞き付けてやってきたのか、男性教師が仲裁に入ってきた。
そのお陰というのも癪だけど一応はその場を納めることには成功したが、私と田所さん、その他の女性徒はそれぞれ厳しい説教を受けた後に謹慎処分となった。
「それで謹慎処分になったのね」
様子を見に来てくれた黒澤さんはいつの間にか私の部屋でくつろいでいる。
彼女は誰かが喧嘩したとは聞いていたみたいだけど、その生徒がまさか私だとは思っても見なかったらしくとても驚いたという。
彼女の驚いた顔なんてそうそう拝めないから、その顔を見れなかったのは残念だった。
「ほんと驚いたわ。まさか飛び降りようとしてた富江ちゃんが苛めの張本人に立ち向かうなんてね」
「気付いたら手を出してたみたいで……あんまり覚えてないんだよ」
「ふうん。で、なんで急に怒ったりしたのかしら?」
彼女は私の顔を覗きこんでは、にやにやと笑っていた。なんでってそれは……と答えようとしたときに、あのとき自分が言った言葉を思い出し、一人馬鹿みたいに焦った。
『一緒にいたいんだからしょうがないじゃない!』
あのときの熱が再び頬に舞い戻り、何も言えずに下を向いては、もごもごと意味を為さない言葉を漏らすしか出来なかった。
その様子を見て満足とでもいうように、私の頭をポンポンと叩いてくる。
きっと彼女は一部始終を誰かから聞いたのだろう。そしてそれを私に言わせようとしたんだ。
危うく引っ掛かるところだったけど、私のこの隠しておきたい気持ちは彼女にバレてはいやしないだろうか――
だとしたら、この関係性はどうなってしまうのか。
そのときはまだ何もわからなかったけど、一つ言えるのは、彼女を思う気持ちは誰よりも強いということは確かなんだ。
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